71、夏闘祭⑥
「よぉイグニス」
試合が終わった後、イグニスのもとにふたりの友人が駆け寄ってきた。レオと、ハープだ。
「徹底的にやったな」
「エアに会わなくていいのか、レオ」
「挨拶はしてきた。だが、昔のことは話さなかった。一目見て、お前が言っていたことの意味がわかったよ」
おそらくは、わかっていない。だがイグニスは、レオがエアを見てどう思ったのかは理解した。
レオは、エアが友人たちと談笑しているのを見て、彼女の本質が変わっていないことを理解すると同時に、今の彼女の世界に、血なまぐささや、深刻さのようなものはまだほとんど入り込んでいないことを知り、そしてその平穏が、時限付きであることも理解した。
レオは、イグニスが、自分という危険で戦いしか知らないような男がエアの生活を脅かすのではないかと心配して、自分とエアを遠ざけようとしたのだと想像したのだ。
「二日目はどうする。お前も出るのか」
「もちろん。ハープも出るよな?」
「うん」
「イグニス、お前は出ないんだよな?」
「生徒以外の学園関係者の出場は禁止されている」
「それ、なんでなんだ」
「余計なトラブルを避けるためだ。理事同士がぶつかって、万が一死傷者でも出ようもなら、学園の運営そのものに問題が生じる」
「まぁ、そりゃそうか」
「本来なら、彼岸の関係者も禁止されるはずだったんだが、ザルスシュトラが知らぬ間に根回ししてたからな」
「さっすが盟主様だな」
「もういいか?」
「あぁ、すまん。じゃあなイグニス」
「またね」
イグニスが姿を消すと、レオとハープは互いに顔を見合わせて、肩をすくめた。
「相変わらず不愛想だな、あいつは」
「でも戦ったあとだからかな? いつもより少し興奮してた気がする」
「まともに勝負になってなかったように見えたが」
「魔法を究めると、そもそも勝負になんてならないものなのかもね」
「お前でも、イグニスは無理か、ハープ」
「無理だと思う。いろいろ準備して、いろんな人と協力して、最後に私がとどめをさす、とかならありえるけど、そうでもしないとまともに勝負にならないと思う」
「そりゃそうか。まぁ、明日の大会にイグニスが出ないなら、優勝は俺がもらうことになりそうだな」
「レオ、私に勝てると本気で思ってるの?」
「ふだん五分だろ? 俺たち。いつも以上に気合入れたら、その分俺が勝つ」
「私いつも手抜いてあげてるんだけどなぁ」
「そりゃ俺も同じだ」
「ま、どっちが勝っても恨みっこなしだからね!」
「そりゃもちろん」
意識がはっきりしてくると同時に、強烈な痛みを全身に感じた。
「……こりゃひどいな」
そう言って、笑った。でも、いい経験だった、と心の中でつぶやく。
「リナちゃん」
エアの心配そうな声が病室に響く。
「大丈夫。後遺症とか、どう? 残るって?」
「ううん。処置が早かったから、ほとんど残らないだろうって」
「まぁ、残ったら残ったで、身体改造のモチベーションになるから、それでもよかったんだけどね」
全身に痛みを感じながらも、強がりでなく、カタリナはそう思っていた。事実、イグニスと戦う前から、そういう可能性を事前に考えていたのだ。
「ただ、一個残念なのは、明日の大会には出られないことかなぁ」
「一緒に見に行こう」
「エアは出ないの?」
「うん。彼岸のみんなは結構出るみたいだよ。しー君に、ハープちゃんに、レオ君。あと誰かいたかな?」
「そういえば、ザルスシュトラは来てないのかな」
「しばらく行方不明らしいからね。よくあることってみんな言うから、気にしてないみたいだけど」
「ヴァイスは?」
エアは唇を噛んだ。何か言いにくいことがあるとき、エアはこんな表情をする。
「イスちゃんは、興味がないって言ってた」
「ん? どういうこと?」
「帝国に帰りたいんだって」
「……そう」
ヴァイスはため息をついた。彼女は、早い段階でソフィスエイティアと協力関係を結んだザルスシュトラに会いに行き、彼の動向を皇帝に報告していた。
自分の有能さを誇らしく思う反面、ヴァイスは状況の複雑さにうんざりしていた。
学園生活は思ったほど面白いものではなく、エアたちの他にも怪しい動きがたくさんあり、しかも無能な同僚の面倒まで見なくてはならないため、とても忙しかった。また、イグニスとザルスシュトラの動きを見て報告しているうちに、だんだん全体像が見えてきた、それゆえ、このあと起こることの想像がついて、不安と恐怖、理不尽に対する無気力な憤りのようなものを感じずにいられなかった。
知り合いが死ぬのは悲しい。そして、もうそれはほぼ確定していることである。
自分がやるべきことは、ただそれを見守って、皇帝に報告するだけ。
本当はただ、自分の知らない世界を、楽しく、仲良く、見て回りたかっただけだったのに。心の中でヴァイスはそう思っていた。
カタリナが、イグニスに伸されて、ひどいけがを負ったのを見た時、ヴァイスは何も感じないように努めた。エアに、一緒に見舞いに行こうと誘われたときも、興味がないといって断った。
「私は、無責任で非情な女ですからね」
自分に対して言い訳をするように、ひとりそうつぶやくと、後ろから聞き覚えのある声がかかる。
「ヴァイス」
「あぁ、ザルスシュトラさん。どうしました」
「明日、おそらくエクソシアがこの都市を襲うはずだ。今急速にやつがこちらに近付いてきている」
ヴァイスは自分の精神を即座に仕事に切り替えた。
「陛下に報告しておきます」
「今、ウスティカにある戦力を考えれば、容易に撃退できるだろうが、問題はエアだ。こちらのもっている情報は可能な限り提供するが、その代わりに、学園内の動きをこちらに教えて欲しい」
「……陛下に相談します。ところで、ザルスシュトラさんの目的はなんなんですか。魔王に取り入って、セラさんを……消滅させて」
「彼女は放っておいても消滅する存在だった。だから、イグニスも、エアも、気にかけない」
「エアさんは気にかけてましたよ。最近見かけないけど、どこに行っちゃったんだろうって。イグニスさんの方も、彼女がいなくなった理由を、私から尋ねたら、ザルスシュトラがどうにかしたんだろうって、すぐに答えてきました。私はなんだか……自分がどう立ち回ればいいかわからなくなってるんです」
「この先もっとわからなくなっていくだろう。そのときに、君がどうするかは、君自身の心に尋ねてみるしかない」
「あなたが、わからなくしているんですよね」
「最初から、世界はそういうふうにできている。だが、皇帝や、他の力のある人間が、わかりやすい嘘を世界にばらまいたから、まるで世界も人生も、理解可能で、正解が決まっているもののように勘違いされる。
私の目的は、世界を混乱させることではない。ただ私の目的のための行動が、結果として多くの状況を混乱させてしまうだけだ」
「結局、どうしたいんですか。ザルスシュトラさんは」
「存在していてほしい」
「何にですか」
「すべてに、だ」
「なら、どうしてセラさんを消滅させたんですか」
「存在には行き先がある。それだけだ。私にも、いつかは死は訪れるし、君にもそうだろう。重要なのは、死ぬかどうかではなく、いつ、どのように死ぬかだ。
君も、考えておくべきだ。この先、多くの人間が死ぬことだろう。君はどうする?」
「そんな、死にたいなんて思って生きている人なんてそういませんし、私もそうですよ。死ぬつもりはありません」
「そういうのを、帝国的っていうんだ。最初から、答えが決まっていると思い込んでいる。だが実際には、人はずいぶん死に憧れるし、かっこよく死にたいと思う生き物さ」
「どうしてあなたが帝国で『悪魔の舌』なんて言われてたか、今なんとなく分かった気がします」
「君はけっこう鈍感なんだな、ヴァイス」
「どういう意味ですか」
「今更か、って意味だよ」