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62、知らない方がいいこと/知りたくないこと

 知らない方がいいこと、というのがこの世に存在するかどうかという問いに対して、人はそれぞれ別の答えを持っていると、唯一帝ブランは再び自分に言い聞かせた。

 では、私はどうだろうか? 私自身にとって、知らない方がいいことは存在するだろうか。


 知りうることはすべて知ろうとしてきた。知らないということは、それだけで危険である。正しく判断するためには、正しく評価しなくてはならない。正しく評価するためには、その対象となるものをできるだけ多くの面から見る必要がある。

 習得しない方がいい魔法、というものの存在を、ブランは確信している。彼女自身が扱える魔法のうち、それがない方が彼女にとって得であったとはっきり言えるものもいくつかある。

 だが、知らない方がよかったこと、学ばない方がよかったことについては、ブランと言えどもはっきりと言えることは何もなかった。彼女にとってあらゆる知識、経験は、すべて何らかの形で彼女自身の利益に適っているように思われていた。

 それにしても、である。エリアル・カゼットについての知識については、彼女自身、率先して収集しようとはどうしても思えなかった。知らない方がいいというよりも、ただ、知らないでいたいという感情によって、彼女の行動は鈍かった。


 もともと唯一帝ブランは極めて勤勉かつ生真面目な人間であるが、あまり主体性のある人間ではない。彼女が白竜人族の王として即位したのも、その後王国が拡大して、ヘイルハルトが帝国を自称するようになり、彼女も皇帝を名乗るようになったのも、すべて彼女自身が考えたことではなく、彼女の周囲の人間が彼女に提言したことを、彼女自身が慎重にそのメリットとデメリットを天秤にかけて、正しく判断した結果に過ぎない。

 彼女はあくまで、最終的な是非を判断する立場にあるのみであり、方向性自体を決める人間ではない。彼女の政務のほとんどは、議会を通った政策や法案の許可を出すことや、表面化しているかに問わず、国内の問題に対する事前的な対処である。歴史的に見て、ヘイルハルトは国際関係おいて常に後手に回っており、それでいてここまで強国であることができた理由は、どこまでも合理的に内政を推し進めたことと、ブラン帝自身の圧倒的な個人戦力を背景に、軍事力や警察能力への資源の投入をかなり抑えられたところに起因する。

 彼女があらゆる形式の武力に対する対応をたったひとりでできてしまうがゆえに、国内の優秀な人材のほとんどを、技術や経済の発展に回すことができたのだ。


 人は幸福を望む生き物である。そして彼らが、外からの脅威に怯えず、互いに憎み合わず暮らせるならば、自然と人々は幸福な社会を形成する。自分たちの善き意志と賢明な思慮によって、自分たちの生活を、平等で、正義に適ったものに変えていく。帝国ヘイルハルトは、それを体現した国家であり、古代の伝説である千年王国を超えつつある偉大な帝国である。


「ミリネ。彼女についてわかっていることを教えてほしい」

 唯一帝ブランは、優れた発想によって状況を好転させるのではなく、既存の手段のうち最善のものを選ぶことに特化した人物である。

 それゆえ、彼女にとってももっとも重要なことは情報収集であり、その情報収集も、ひとりの人物や組織のみを頼りにすることはなく、あらゆる面から行っている。

 エアに対する監視は、ヴァイスをはじめとした眷属たちを中心としているものの、それだけでなく、古くからの友人であり、国政に携わっていたこともあるミリネもまた、皇帝の目と耳のひとつであった。

「その前に、ひとつ報告しなければならないことがあります。彼、ザルスシュトラが、三大魔王、ソフィスエイティアと接触し、友好関係を築いています」

 その情報は、すでにパレルモで情報網を築いている別の眷属からの報告で知っていたし、彼が三大魔王とどのような会話をしていたかまで、彼女は彼女自身の耳で聞いている。報告があってすぐ、彼女はすぐに現場に向かい、気配を察知されぬまま、彼らの会話を盗み聞くことができていたのだ。

「イグニスはそのことに気づいているのか」

「わかりません。つい先ほどさりげなく尋ねてみたものの、反応は曖昧でした。気づいていないか、気づいていないふりをしているかのどちらかだと思います」

「エアの方は」

「何事もなく学園生活を楽しんでいますよ」

「そうではなくて、三百年前、彼女が起こした事件について」

「あぁ。それについては……進展がありました。不確かな話ですし、あまり言いたくはないのですが」

 ブランも、聞きたくはなかった。三百年前、眷属のうちのひとりが産んだ子であるエリアル・カゼットについて、ブランは極力干渉しない方向で考えており、実際に監視の目を緩めていた時期もあった。ただその結果として、眷属のひとりが行方不明になり、知らぬ間に、もうひとりの忌み子であるイグニス・カゼットにより、エアは封印されてしまった。

 情報を重んじるブランが、その情報については、重要視していたものの、その出来事に触れること自体に、本能的な倦怠を感じ、自らと遠ざけている部分があった。

「聞かせてほしい」

「彼女は、神を作ろうとしたそうです」

「神、か」

 ブランは、神という存在についてそれほど真面目に考えたことはなかった。この世界の創造主。あるいは、終末の際に、この世のすべてを裁く者。

「具体的には、人間の中にある、人間を愛し、救おうとする性質、感情を収集、結晶化し、天使として顕現させるような術式……奇跡を研究していたそうです」

「善意の根源、か」

「陛下は、そういった術式をご存じですか?」

「そういう考えを持っていた者が、かつていたということだけは知っている。でもその実験は、大した成果も出せぬまま頓挫したという話だ」

「彼女はそれに、ある意味では成功しました。根源を作り出してしまったのです」

 根源。その言葉は、人間にとっての心臓に対して、世界にとっての根源というように解される。つまるところ、それは、すべての物質と魔力のおおもととなるものであり、それが生きている限り、常に何かが現実として表出され続けることを意味する。

「それで」

「何があったかはわかりません。ただ……おびただしい数の死体が残ったことだけは、記録として残っています。その時期、魔王が出現してあたり一帯を破壊し尽くし多数の死者が出たことになっていましたが、どうやらそれは、イグニスが記録を改ざんした結果だそうです」

「彼は本当に、ていねいな仕事をするね」

「えぇ。そこまでするかというくらい、彼は、エアの存在と、彼女のやったことを消し去ろうとしました。おそらくは、彼は彼女を封印した段階で、それを永遠に続けるつもりだったのだと思います」

「だが、彼は三百年経った今、突如彼女を解放した。しかもそれは……我が国の問題児との出会いによって引き起こされたとも考えられる」

「ですね。そしてその……私の一番弟子でもある問題児は今、そのエアの分体である魔王と接触し、協力関係を結んでいる。陛下は、この状況をどうお考えですか。私としては、この魔法都市がエアによって破壊し尽くされることだけは、全力をもってして食い止めようと考えておりますが」

 ブランは改めて考えたが、結局のところ、彼女の立場と行動指針ははっきりしている。帝国の民を守ること。それだけが、彼女の意志であるのだから。

「私は様子見に徹するよ。もし帝国に害が及ぶようであれば、私が直接終わらせる。そのために、害が及ぶ可能性が確信に変わるタイミングと、その原因に対する情報の収集は、当然、何よりも重要になる。ミリネ。引き続き調査と報告を頼むよ。それと、私もこの魔法都市が破壊されるのを放っておくつもりはない。君が、この島を守りたいというのならば、私も、消極的な方法にはなるかと思うが、協力を惜しむつもりはないよ」

「そう言っていただけると心強いですね。まぁできるかぎり、陛下の手を煩わせないよう努力しますが」


 帝国領内にある執務室に転移で戻ってきたブランは、息をついた。エリアル・カゼットは、根源の研究を行い、それに失敗した。それは、ある意味において想定通りではあったが、それは彼女自身の胸に嫌なものを残した。

 ブランは、かつて根源と奇跡の研究を行ったことがあり、その際に大きな被害を出しかけて以来、それを断念し、もし帝国内で同じ研究を行う者が出てこようものなら、即座にそれを禁ずるつもりでいた。

 ブランはこの世界そのものの根源たる世界システムに関する研究や、この世界の外側やその境界といった領域の研究も、かなり率先して行っており、その成果もまた、扱いが難しいものの、極めて有用であり、それに関する彼女自身の知識も、この世界に並び立つものがないほどに深いものであった。

 しかし、新たな根源を作成する術式に関しては、自らに禁じていた都合上、それについての知識はほとんどないうえに、それらを再び研究する気にもなれなかった。あまりにもリスクが大きすぎるのだ。

「根源、か」

 自分が途中で断念した、根源作成の術式。エアはおそらく、自分よりうまく研究を進めた。おそらく、大きな被害を出すことなく、その可能性に気づくことすらないまま、深みに降りていき、そしてすべてが……変わってしまったのだ。


 それが、近い将来明らかになる。現時点で明らかなことは、エアはおそらく、直接的にしろ間接的にしろ、大量の人間を死に至らしめた。そして彼女は、そのことでひどく傷つき、悩み、封印されることを選んだ。封印される必要があったということは、彼女の意志や行動によって、彼女の……その危険性を抑えることは不可能であったということ。あるいは、その方法があったとしても、彼女自身とイグニスがそれを諦めたということ。

 いずれにしても、彼女が再びもとの力を取り戻すということは、悲劇的な結果をもたらすことを意味する。おそらくイグニスも、それを望んでいるのだ。

「もしかすると、私はこの時点でイグニスを殺害し、エアを再び封印し、今度は私がその封印を永遠に保つのが、もっとも善いことなのかもしれない」

 唯一帝ブランは、この世で最も人間離れした能力を持つ人物である。そして、自らに人間らしい感情を、可能な限り禁じている人間である。それでもなお、彼女はエアとイグニスを見ると、感情を動かされてしまう。彼女らを犠牲にすることはできないと感じる。


 眷属は、その本質からいって、唯一帝ブランが捨ててきた、自らの可能性の発露なのだ。自分が捨ててきた自らの、ありえたかもしれない人格と、能力の具現化であり、そのうちのもっとも個性的な一体が、自らの意志を持って、自らの生命よりも優先して産んだ子供たち。それがエアとイグニスであり、ブランにとって、彼らの意志と自らの意志は、権利的な意味で、自らと等しい力を持っているように感じてしまうのだ。

「私は傍観する。可能なかぎり、傍観する」

 だから、とブランは柄になく、祈るような気持ちになる。

 どうか、彼らの存在がわが愛する幸せの国、ヘイルハルトを害するようなことにならないことを。

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