7、期限切れ
「は? 期限切れ?」
尻が痛くなるほどよく揺れる馬車に苛立ちながらも、カタリナは無事、ミナッツォに到着した。
ミナッツォはメッセナより少し規模の小さい商業と漁業が盛んな小都市であり、比較的平和であるという話だった。カタリナはここで、中央大陸の情勢と、できればともに冒険する仲間を集めたいと思っていた。
「あぁ。ここのところよく見てくれ」
「いや、先週作ってもらったばかりなんだけど」
そういわれて、さししめされたところを見ると確かに日付が過ぎていた。衛兵は意地悪している様子でもなく、ただただ気の毒そうだった。
「これだと通れないな」
一緒に馬車に乗った女性は、先に街に入っていた。カタリナはため息をついて、彼女が言うように金で解決することにした。
「はぁ。じゃあ、いくら必要なの?」
「……いくら持ってる?」
「ねぇ。これって賄賂なの? あなたの懐に入ってるの?」
「……ただ通行証ナシで入るだけなら、ただの通行税だけだが、あんたの場合その通行証が偽造の疑いがあることを考えると、金をもらわないなら拘束させてもらわなくちゃいけない」
カタリナは苛立って、男を睨んだ。
「力づくで脅すってのは?」
カタリナの右腕の一部が、ピキっという音を立てながら結晶化していく。男はのけぞりながら、手を挙げる。
「あんた、この大陸のもんじゃないだろ? 評判を落としてもろくなことはないぞ。仕事ももらえなくなるし、賞金首狩りに負われることになる」
実際、人間社会のルールを破った者がどうなるのかはカタリナ自身よくわかっていた。東のユーリア大陸では、一度目の軽い違反程度ならギルドからの警告だけで済むが、それが繰り返される場合や、重大な違反だった場合は……特処が出張って、暗殺されたり、よくても拘束されて多くのものが奪われる。
この大陸にはギルドのような圧倒的な支配勢力はないようだが、それでも問題を起こした人間は、あとあとその対価を払わなくてはいけなくなることだろう。それは人間社会の道理であり、カタリナはそれが理解できないほど子供でもなかった。腕の結晶化をやめて、肩を落とした。
「で、いくら?」
男が提示した額は、明らかに足元を見たものだった。なんと、通行証を発行するのにかかる額の半分だった。
「それなら、今からでもメッセナに戻って新しいものに変えてもらった方がいい」
「そもそも、古い通行証を渡してきた連中だぞ?」
男は気の毒そうな顔をしている。おそらくは……金を持っている世間知らずは、絞られるだけ絞られるのがこの大陸では当たり前のことなのだろう。
「良心は傷まないの?」
「これでもマシな方だ。死ぬわけじゃねぇし、見たところお嬢さんは戦えるんだろう? 戦争でも起きれば大儲けできるだろうし、魔物退治で最低限の生活費だってまかなえるだろう。こっちもこっちでかつかつなんだ。魔王の脅威もあって、街から人が離れつつある」
魔王、という言葉を聞いてカタリナは興味を惹かれる。メッセナの街でも、人々が話しているのを何度か耳にした。
「わかったら、払うよ。かわりに、少し魔王について話してもらう。だからこれは、仕方なしに払う賄賂ではなく、私が望んで君から情報を買ったということにする」
「今日はお前で最後だから構わないが、なんでそんなバカな言い訳をしなくちゃならんのだ?」
おかしな人間を見るような目をしてから、衛兵は、カタリナが叩きつけた貨幣を数えて、いやらしく笑った。
「どうも」
中央大陸東側の地域で暴れまわっている欲望の魔王エクソシア。力の魔王と呼ばれることもある。
西側の地域で人々の心に干渉し、争いを引き起こしている情念の魔王ペイション。精神の魔王と呼ばれることもある。
神出鬼没で運の悪い人間を食らい続ける知性の魔王ソフィエイティア。道の魔王と呼ばれることもある。
まるで物語を語るように傭兵はこの大陸で暴れている三体の魔王のことを説明した。二か月ほど前からこの魔王が人々の話題にあがりはじめ、今でも被害は拡大傾向にあるらしい。
カタリナはその魔王の話について不審に思った。彼女は冒険者時代、計四体の魔王の討伐戦に参加しており、そのうち一体は彼女自身の手でほふった。そんな経験豊富なカタリナからして、魔王が固有名をもって人々の口に乗ることは珍しくはないものの、あまりにその名称が概念的で、種族的な系統がまったく想像できないのだ。
短い期間に複数の魔王が近い地域に出現することは珍しいが、歴史をかえりみるに全くないわけではない。七百年前の大戦争の後、ユーリア大陸にて十三体もの魔王が十年のうちに出現し、その結果としてギルドが発足されたという誰もが知る実例がある。
とはいえ、カタリナはその話を聞いて何か気味の悪いものを感じた。魔物が生じるのは自然現象であり、そのある個体が人間や動物などに対して勝利、吸収し、その肉体の複雑性と不安定性が増大した結果として、魔王と呼ばれるにまで至る場合がある。
しかし、三大魔王の話を聞いているかぎり、あまりにそれらの性質は特殊であり、物語的であった。魔物について詳しくない人間が魔物について語る際、ある程度は誇張気味になり、あまり関係のない直近の出来事と結びつけたがる傾向はあるものの、それでもカタリナは、これが何か人間の意志が関わっているのではないかと疑わずにいられなかった。
かつてカタリナが暗殺部隊に所属していた際、使役可能な魔物の召喚という禁忌を犯した高位魔術師を処分したこともあった。三大魔王の件も、裏にそういう事情があるのかもしれない。
「まぁ、今の段階では何もわからないか」
街に入ってからもカタリナは情報を集めたが、逆に魔王について尋ねて回っているおかしな女がいると街中で噂になってしまい、子供たちにからかわれたり、暇な者たちの話のタネになってしまった。
ミナッツォには一週間ほど滞在したが、財布が軽くなってきて、そろそろ仕事を探さなくてはならないとカタリナは考えた。
ユーリア大陸で、腕が立つものにとって楽で給料のいい仕事は、商隊の護衛と相場が決まっていた。こちらの大陸でも、複数の商人たちが数十人規模で固まっているのをカタリナは見かけていて、その中に傭兵らしき男が数人いるのも確認した。
カタリナは職業斡旋所に赴き、護衛の仕事はできないか尋ねた。受付の男は、くくっと堪えきれないようすで小さく笑った。
「誰があんたみたいな得体のしれないのを雇うんだ?」
「腕は立つよ」
「腕が立つなら、なおさら誰も雇わない。その気になれば、他の者が見ていないところで商品を奪ったり盗んだりするかもしれないだろう?」
その言い分は正しかった。
ユーリア大陸において、実績がなくとも冒険者なら気軽に護衛の仕事ができた理由は、問題を起こした冒険者を、ギルドが責任をもって処分するという、そういう暗黙の了解があったからだった。そういった抑止力が働かず、法の機能も緩いこの大陸で、信用がないということは、いつでも暴力に訴える危険性があるということなのだ。
「それに、その通行証偽造品だろう?」
「騙されたんだよ」
「だろうな。メッセナでその手口が横行してるのは話題になってる。もっとも、東の大陸から渡ってきた人間でもなければ騙されんがな」
カタリナはため息をついた。
「あなたも私から金を巻き上げるのか」
「まさか。腕の立つ元冒険者様に恨まれたくはないね」
別にそう名乗ったつもりはなかったのに、いつの間にかそういう話で自分の名前が知られているのは不服だった。
「なぜそんなに噂がすぐに広がるのか教えてもらってもいい?」
「恰好が目立つ。歩き方が只者じゃない。奇妙なほど落ち着いている。あんた、自分が思っている以上に危険人物扱いされてるぜ」
カタリナは自分の行いを振り返ったが、何を反省すればいいのかわからなかった。服装は、いつ戦いになっても十分に動けるよう合理的な格好をしていたし、それを変えるつもりはなかった。そもそも、これ以上地味にすることができないほど、清潔ではあったが、簡素な服を身にまとっていた。
「それじゃあ、仕事はないってことだね」
「……ないってことはないと思うぞ。特に、地下の連中なら、あんたを欲しがると思う」
「地下?」
カタリナはその言葉の意味を理解できなかった。ユーリア大陸のいくつかの大都市には地下に大きな街や貯水庫、上下水道などが整備されていることがあったが、ミナッツォはそういったものを必要とするほど大きな都市ではなかったうえに、そもそも舗装された道路が土を固めただけのもので、地下の空間を維持できるようには思えなかったのだ。
「あんた、ほんとに世間知らずだな」
受付の男は自分の足元をゆびさして、困ったように笑った。
「……ならず者たちってこと?」
「まぁそういうこった。どんな街にも、街で暮らせなくなったやつ、村から追い出されたやつがいつく場所がある。薄暗くて、どんよりしていて、不潔。お前が働きたいなら、そういったところを支配してる連中に頼るのがいいだろう。ただここでは紹介できんな」
カタリナは顔をしかめた。英雄を志す身として、犯罪に加担したくなかったのだ。それだけでなく、もともとはそういった問題を起こす者たちを殺して生計を立て、地位を手に入れていたこともあり、非常に強い抵抗を覚えていた。誰が好き好んで、かつて自分が殺してきた人間と似た存在になりたいと思うだろうか。