閑話 シグの過去
全身義肢のシグは、暇していたので顔見知りに会うためにウスティカ島を訪れていた。
「あ、シー君。久しぶりー!」
カタリナと一緒に歩いていたエアは、シグを見つけるなりそう叫んで手を振った。
隣のカタリナは少し顔をしかめたが、小さく手を振って一応友好的な態度を示した。
「よぉエア。カタリナも」
「なんであなたがここに?」
「暇だったから、お前らの様子でも見ようかと思って」
「はぁ」
「ねぇねぇシー君。シー君は学校はいらないの?」
「俺、そもそも入れんの?」
「お金さえあれば何とかなるんじゃない? ザルスシュトラに頼んでみたら?」
「んー。でも学校はいいかな。あんまりいい思い出ないし」
「帝国での話?」
「そ。俺、こういう体だからさ。いろいろ面倒だったんだよ」
シグの肉体は、コア以外ほとんど精巧な機械でできている。当然、他の人間よりも優れた身体能力を有しており、魔力の操作技術も卓越している。
「シー君の昔の話、私聞いてみたいな」
「んー。かわいらしいお嬢さんにそう言われたらなぁ。どうしよかったな。もうひとりの美女がなんというかにもよるかなぁ」
カタリナは露骨に嫌そうな顔をしながらも、シグの過去には少し興味があったので「話して」と言った。
三人は近くの喫茶店に入って、席に座った。シグが語り始める。
俺は前に、自分の体のことを、生まれつき四肢がなかったと説明したよな。あれ、実は嘘なんだ。俺は、まぎれもなく五体満足で生まれてきた。
だが、幼少期に四肢を切断された。端的に言えば、虐待だ。俺の父親はなかなかひどい奴でな。なかなか立派な職についていた男だったんだが、どうにも精神がゆがんでいてな。愛する人間の苦しむところが見たくて仕方がなかったみたいなんだ。
まぁ、やつの詳しい心情のことはわからん。ともかく、俺は体を切り刻まれ、そのたびに義肢と取り換えられていった。そんで、気づけばこんな体になっちまった。
別にここまではいいんだ。おそらくショックが大きすぎたんだろう。ほとんど覚えていないことだし、事実として、俺はこの体で生活に困るようなことはなかった。
問題になったのは、父親の所業が世間に発覚してからだ。父親はすぐさま死刑になった。俺は、大犯罪者の息子として生きることになったわけだ。
体のことを聞かれるたびに、父親のことを説明した。周りの人間は、俺に同情する者もいれば、怖いと言って避ける者もいた。大人になるほどに、俺は周りの人間の身勝手さにうんざりするようになった。
あぁ言い忘れていたが、母親は、俺が物心つく前に父親にもっとひどい目に遭わされて亡くなっていたから、俺は会ったことがない。
ともかく、俺は物覚えがよかったし、義肢もよく馴染んでいた。それで、当時ミリネが運営していた特殊な学校に入ることになり、そこでザルスシュトラと出会ったんだ。
当時俺は、自分の過去をどう扱えばいいのかわからなかったし、そもそも人間というものが何なのかもよくわかっていなかった。
ザルスシュトラは、俺に多くのことを教えてくれた。特に、俺自身のことを教えてくれた。あいつは遠慮せず、何でも聞いた。俺は正直に、自分が知っていることを何でも教えた。あいつは、俺の行動も、発言も、態度も、容赦なく分析し、解釈した。そのほとんどはまったくのあてずっぽうで、どう考えても外れている場合もあった。それでもよかった。あいつは、俺に、『人間というのは面白いものだ』ということを教えてくれた。俺は、俺自身の過去を、面白いものだと思うようになったんだ。確かに、実の父親に四肢を切り取られたなんていう話を他に聞いたことがなかったし、悲劇にしても、リアリティアがなさすぎてうまく呑み込めない。でもそういうことだってあるんだ。この世界には。ザルスシュトラは、それをただまっすぐ見つめたうえで、俺を俺として認識し、面白いと言ってくれたんだ。
俺は、特に思うことがなければ、生涯こいつについていこうと思ったよ。
あいつが不老の術式の構築を志すなら、俺もそうしようと思ったし、あいつよりはるかに時間がかかったが、なんとか構築できた。
俺にはあいつの考えていることも、悩んでいることも、何ひとつわからんが、別にそれは構わない。というか、今は正直、あいつについていきたいともあまり思っていない。好きなように生きていたら、たまたまあいつと一緒にいることが多くなってしまっただけだと思っている。実際そうだ。数年会っていなかった時期だって何度かある。
こんなもんでいいかな? なんか、ザルスシュトラの話ばかりしてしまった気がするが。
エアはうんうんと頷きながら、話が終わると「シー君ありがとう!」と言って、シグの手を握った。隣のカタリナは、頬杖をついて、目を細めている。
「ひとつ質問いい?」
「いいぞ」
「なんで嘘ついたの? 最初から、親に手足切り取られたから、全身義肢なんだって言えばいいじゃん」
「リナちゃん……」
エアは残念そうな顔でカタリナを見つめている。カタリナは首を傾げて「エアはわかるの?」と尋ねた。
「わかるよ。でも、説明は難しい」
「まぁ癖になってんだな。これに関しては。帝国で、この体のことを聞かれるたびに、父親のことを話すのは不都合だ。生まれつきの病気だと言えば、人は勝手に納得するし、それ以上の詮索はしなくなる。変に同情されることもないし、意味の分からない気遣いにうんざりすることもない」
「うんうん」
「まぁそっか」
「ただ、すべての人間がカタリナみたいに現実をまっすぐ当然のこととして受け入れられる人間なら、俺もくだらない嘘なんてつかずに生きられたろうな」
そう言って、シグはカタリナにウインクした。カタリナはうっとおしそうに、頭をわしゃわしゃとかいた。
「あのさぁ、シグ。前から思ってたけど、なんなの?」
「何が?」
「私にだけなんか馴れ馴れしくない?」
「決闘までした仲じゃないか」
「それだけじゃないでしょ」
「正直に言えば、俺は君に好意を抱いている。強くて、冷静で、そのくせどこか抜けているところがある。人とずれているところも多いのに、それに関しては無自覚で、いつも自分が正しいと思っている。そういう君が、こうなんというかな、自分と相性がいいんじゃないかと思っているんだ」
カタリナは頭を抱えた。隣のエアをちらっと見ると、にこにこと楽しそうにほほ笑んでいる。
「エアはどう思う?」
「どうって?」
「私とこいつ、相性いいと思う?」
「うん」
「どこが?」
「どっちもあまりよく考えずしゃべるところとか!」
カタリナとシグは思わず目を合わせて、互いに苦笑いした。
「でも私、色恋沙汰とか嫌なんだけど」
「もっと長く生きて退屈してくると、性欲抜きで、伴侶というものが欲しくなるものさ」
「何? シグは私を伴侶にしたいわけ?」
「そうなったら面白そうだなぁとここ最近考えていた」
「うっわ気持ちわる」
「リナちゃん。反射的にそういう風に言うのはやめた方がいいと思うよ?」
事実、カタリナは別にシグに対して嫌悪感を抱いているわけではなかった。ただ、こういった形で、控えめではあるがストレートに好意を伝えられたことがあまりなく、単に受け止め方がわからなかったので、冗談交じりで拒絶してしまっていたのだ。
「別に構わないよエア。俺はむしろ、この女のそういうところが好きなんだ」
「ほえー。リナちゃんの、他人の感情にあんまり興味がないところ?」
「そう。自己中心的で、大雑把なところ。それに無自覚なところ」
「ねぇ。それ悪口だよね? っていうか、私だってそういうところあるなってある程度は自覚してるけど」
「でも悪いとは思ってない」
エアはにやっと笑いながら、そう言った。
「別にいいでしょ」
カタリナは興味なさげにそう言った。
「もちろん」
シグはそう言ってほほ笑んだ。
シグと別れてから、カタリナとエアは二人で並んでシグについて言葉を交わす。
「不老者にもいろんな人がいるよね」
「だね」
「リナちゃんは、彼のことをどう思うの?」
「どうも何も、変な絡み方してくるやつだなぁ、としか。エアは?」
「シー君は……結構優しい人だよ」
「ねぇエア。エアって、誰に対しても優しい人っていうよね」
「みんな優しいんだよ。分かりづらいだけで」
「それはそうかもしれないけど、優しさのほかに何かないの?」
「強い人だよ。シー君は。傷つくことを怖がってない。あ! リナちゃんと彼の一番大きな共通点はそこかもね。どっちも、超タフ。現実を見つめて、冷静に対処する能力がとっても高い。あと、シー君はリナちゃんが困っているところを見るのが好きなんだと思う」
「どういうこと?」
「あと、困るということが好きなのかも」
「意味が分からない」
「いやー。私もちょっとわかるなぁ。リナちゃんが困っているの見ると、なんかこう、面白いなぁって思うんだ。というか、リナちゃんすぐ困るよね」
「そう?」
「そう。すぐ頭抱えてため息つくし、すぐ切り替えて別のこと考えたり喋ったりできる。多分シー君は、リナちゃんのそういうところが好きなんだと思う。いやーわかるなぁ。シー君お目が高い」
カタリナは、また無意識に頭を抱えた。
自分が好ましく思っているエアと、自分がうっとおしいと思っているシグが、同じように自分に好意を抱いているという事実を、どう受け入れればいいかわからなかったからだ。
「ねぇエア……あ、ふふふ」
カタリナは自分がまたどうでもいいことで困って悩んでいることを自覚して、少し笑った。
「ま、いっか。シグのことも成り行きに任せることにする。別に彼のこと、嫌いなわけじゃないし」
「ニヤニヤしながら見守っておくね?」
「ところで、エアの方は恋愛とか興味あるの。ルティアのこととか」
「恋愛? うーん。私には理解できない感情だからね。見てる分には面白いし、好きになってもらえるのは嬉しいと思うよ」
「エアは、誰か一人を好きになるというより、みんなのことが好きなんだよね」
「もちろん! まぁ好きになれない人も時々はいるけどね」
「いるんだ」
「うーん……今ちょっと考えてみたけど、思いつかないからいないかも。いるような気がしたんだけど。みんないい人だからなぁ」