56、できそこないのアイル
「ねぇ! なんで! なんでルティ君帰ってこないの!」
パレルモにあるケイロス家の邸宅に返ってきたレスフィスは、妹のアイルに泣きつかれていた。
「何度も言ったが、ルティア自身が決めたことだ。それに、あいつには可能性がある」
レスフィスは何度もアイルを説得しようとしたが、アイルは聞く耳を持たなかった。
アイルはルティアのいないひとりきりの時間が苦痛で仕方がなかった。傷をなめ合う相手がおらず、ただひとり家でじっとしている日々は、空しくて、不安で、どうしようもなくなっていた。
身の回りの世話をしてくれる使用人たちも、アイルに同情していたが、アイル自身はその目を、侮蔑の目だと思い込んでいた。彼女は、ルティアがいなくなってしまえば、自分の味方は誰もいないような気がしていた。
「……私も魔法学園に入る」
「それはやめた方がいい。ルティアと違い、お前には本当になんの才能もない。可能性すらない」
それは言われなくともアイル自身がよくわかっていることだった。アイルは涙ぐみながら、力なくレスフィスの胸を叩く。
「じゃあ私、どうすればいいの」
「結婚してケイロス家の後継ぎでも作ればいい。子育てでもしていれば、空しさなんて感じてる暇はないだろう」
「相手は?」
「それくらいは自分で見つけてくれ。俺は忙しい」
「でも結婚は家同士のことだから私ひとりじゃ……」
「俺以外の人間を頼れ。不老者に恋愛や婚姻の話をしても意味がないぞ」
レスフィスは、若くして不老の術式を完成させており、性欲は全くなく、恋愛についての知的好奇心もほとんどなかった。
以前、アリシアからも結婚についての相談を受けていたが、レスフィスは何も答えられなかった。
「でも……」
「お前ももう大人なんだから、すぐ家族に頼ろうとするのはやめたらどうだ。ルティアは、少しでも自分の力で生きていこうとしている。それなのにお前は、いつまでも家族に甘えて、それが当然だと思っている」
「なんでそんなひどいことを……」
「ひどいことじゃなくて、それが現実だからだ。魔術の才がなくとも、ケイロス家の一員として役割を果たせ。そうすれば、お前のことを蔑む人間なんていなくなる」
しかしいつもルティアにべったりだったアイルは、家族以外の男性と話したことはほとんどなかったし、友達もいなかった。蔑まれることにも慣れており、悔しさを感じるようなこともなかった。
「レス兄は、私やルティ君みたいな、才能のない人の気持ちがわからないんだ」
「ルティアを一緒にするな。あいつは才能がないなりによく頑張っている。お前とは違う」
アイルははっきりそう言われてわんわんと泣き出した。そして「生まれてこなければよかった」などと叫び始めて、うんざりしたレスフィスはアイルを置いて邸宅を出て行ってしまった。
アイルの心はもう限界に迫っていた。
さらに、ルティアが帰ってきてくれるかもしれないという希望が潰えたことと、レスフィスに突き放されたショックによって、精神的な抵抗力をほとんど失い、無気力な状態になってしまった。
そう。ここまで弱った人間相手であれば、精神の魔王ペイションが、その人間の精神に浸食して、その体の主導権を奪うことができる。
道の魔王ソフィスエイティアは、魔法都市に訪れることが不自然でなく、精神的に虚弱な人間を探しており、アイルはそれにぴったりと当てはまっていた。