52、入学式 学長リーンの挨拶
毎年、ウスティカ魔法学園都市に入学する生徒の数は、少ない年では五十人、多い年では二百人を超えることもあり、かならばらつきがある。
入学の条件として十六歳以上という縛りはあるものの、魔法を習得するのに年齢はあまり関係がなく、職業上必要な魔法をより高度な形で教わりたいという者も入学してくる。
そのため今年も、様々な年齢、容姿のものたちが入学式に集まった。中には、中央大陸の九割以上を占める純人以外の人種の者もいた。もっとも目立っていたのは、高い身長と、透き通るような肌、美しい白髪の女性、ヴァイスだった。
本来の彼女の役割からすると、目立つのはあまりよくないのだが、ヴァイスはあまり気にしない。むしろ、冗談交じりに「自分は帝国のスパイだ」と友人たちに語っている。
ともあれ、そんな彼女がそれほど浮いた感じにならないほどに、種々雑多な人々が集まっていたのだ。
屋内競技場のステージには、容姿は若いが、存在感が薄い、困ったような顔つきの、背の高い青年が上がっている。いつの間に、という感じだった。
もし、魔法というものに詳しくない人がいたとすると、彼は新入生の代表か何かだと勘違いしたかもしれない。しかし実際は、百五十年を生きる大魔術師にして、ウスティカ魔法学園都市の学長を務める男だった。
「新入生の皆さんこんにちは。私は今期、学長に就任しました、歴史学科正教授のリーン・フォーティチュードと申します。
フォーティチュードという家名は、もしかしたら皆さんは聞いたことがないかもしれません。それもそのはず、フォーティチュード家は、魔術の名門として数百年前は栄えていましたが、没落し、私の代で途絶えてしまいました。ひとり息子であった私が、若くして不老の術式を習得してしまったのが、最大にして最後の要因でございます。皆さんも知っての通り、不老となったものは、子孫を残すことができなくなりますので。
さて、私の自己紹介はこのくらいにしておいて、魔法、魔術を志す皆さん。魔法と魔術の違いというものを考えたことがありますか? 大半の人は、そう大して違いがないとか、魔法は無意識的で、魔術は意識的で、というような感覚で理解しているかと思います。それも、別に間違っているわけではありません。しかし、歴史学的な観点でいうと、この二つは明確に区別されます。
古い文献を調べますと、千五百年前までは、魔術という言葉はなく、すべての、精神と物体の相互干渉を、『魔法』という語で記述していました。
では、いつ『魔術』という語が成立したのでしょう。その答えは、およそ千五百年前にあります。今はなき、当時中央大陸で最大の王国であったモウリシア王国の、魔法研究者たちの一部が、魔法を体系的にまとめ、理解することさえできれば誰もが魔法を唱えられるようなシステムを作り上げました。彼らは、ただ自分自身が魔法を扱えればいいという他の魔法使いとは違い、ともに知識と精神を高めあい、より高度な魔法を行使できるようになることを目指すという、当時では一風変わった理念をもとに、魔法の探究を行っていました。その自負から、彼らは自分たちのことを『魔術師』と呼び、さらに、彼らの扱う魔法を、他の人間のそれとは区別して、魔術と呼んだわけですね。
ではさらに歴史を掘り下げていきましょう。魔、という字は、基本的にネガティブな意味を持っています。魔物。悪魔。魔性。どれも、悪いもの、危険なものであるという共通認識があります。
なぜ私たちが扱うこの法則や術式は、魔法、魔術と呼ばれているのでしょう? 現在私たちの生活には欠かせないものであるこの魔法や魔術は、かつてはすべて禁忌とされて扱われていたからです。その名残として、魔、という言葉で形容されているわけですね。
ではなぜそのようなことになっていたのでしょう。残された文献が少ないので正確な時代まではわかりませんが、少なくとも魔術という言葉ができるよりさらに古い時代には、神、天使、悪魔といった言葉が今よりも身近で、現実的なものとして扱われていました。
精神を用いて物体に影響を及ぼすことに、法則性はなく、すべては神が作り出した奇跡としてものごとを捉えていたわけですね。それゆえ、神に祈るのではなく、現実を現実のまま認識し、その法則を悪用したり、捻じ曲げたりすることを、悪魔の法、つまり魔法と呼んだわけです。おかしな考えだと思うかもしれませんが、冷静に考えてみれば、この考え方にも、一理あります。
私たちの人生は一度きりで、再現性はありません。ある意味において、私たちの存在は、偶然がもたらした奇跡以外なにものでもありませんし、その行動や選択も、同様です。それを『そうあるべし』と定めたのを神とすれば、そういった一回性を否定し、精神によって現実を自分の都合のいいように作り替えようとすることは、確かに、自分たちを創り出した神の必然性に対する冒涜であり、運命に対する反逆である、と見ることはごく自然なことのようにも思われます。
とはいえ、彼らも魔法に近いものを扱っていました。彼らは、自分たちにとって都合のいい魔法のことを、奇跡と呼んで区別していたわけですね。
現代で奇跡というと、理論的な説明ができない魔法的現象のことをそう呼びますが、当時はまた別の意味で語られていたわけです。
あぁ、皆さん少し眠そうですね。でも皆さん、こういう知識は、新しい魔法、魔術を研究、開発していくうえで、意外と役に立つんですよ。魔術すらなかった古代の文書から、行き詰っていた最新の魔法研究への突破口が見つかったという事例が、ここ百年で、何度かあったんです。
私が歴史学を志した二百三十年前には、歴史学は役に立たない学問として肩身が狭い思いをしていましたが、今ではこの私も、学長の地位につき、現在空席である心理学正教授の代理として授業を受け持つことさえ許されているわけです。
まぁともかく、皆さん、実技だけでなく、座学も頑張って学んでくださいね。概念に対する理解だけでなく、過去についての知識や興味が、皆さんの可能性を広げることは、往々にしてあるわけですからね。
以上でスピーチは終わらせていただきます」
拍手はまばらだった。エアはあくびをしたあと、誰よりも大きい音で拍手を鳴らす遊びをして悪目立ちしていた。