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47、挑発と覚悟

 パレルモからウスティカに行くには、船で数時間かけて移動するのが一般的だ。

 一部の高位魔術師は飛行の魔法で海を越えていくこともできるが、並み以下の魔力量しか持っていないルティアは、飛行の魔法で自分の体を支えることすらできない。せいぜい、エーテルの足場を数か所作ってその上に立てる程度である。


「ねぇ。あれ、ルティアじゃない?」

 船の後ろの席から、話し声が聞こえてきた。距離はずいぶん離れており、他の人の話し声にも混ざっているため、通常ならルティアの耳には届かないはずだ。しかしルティアは魔力の流れに対してきわめて繊細で、当然、空気中の魔力の細かな振動によって伝わる音というものにも、とても敏感であった。

「相変わらず、いるのかいないのかわからないような魔力量だね」

「あんなでも、魔術師って目指せるの?」

「さぁ? ケイロス家の力で、無理やり入学させてもらったんじゃない?」

「それか、普通に働きに来てるとか」

「あー。清掃員とかそういうの? でも魔法都市では、自動人形がそういうの全部やってくれてるんでしょ?」

「でもほら、料理とかは人がやった方がおいしいから、人手を使ってるって聞いたよ? そうだイリーナ。聞いてみなよ。ルティア君何しに来たのって」

「からかってるみたいでかわいそうじゃん」

 ふたりはくすくすと小さな笑い声をあげる。ルティアは目をつぶって、声の主の名前を思い出す。

 ひとりは、イリーナ・メロイ。不愉快なことだが、幼馴染だ。十六歳で、自分とは同い年。黒髪碧眼の美しい少女だ。

 メロイ家は、ケイロス家と同様魔術の名門であり、家同士の仲もよい。昔は、互いに隠し事がないくらい仲がよかったが、パレルモの初等魔術学校に入ったあたりから付き合いはなくなった。お互いに、釣り合わなくなったからだ。

 隣で話しているのは、レクシア。メロイ家に仕えている召使の娘で、魔術的な才能を見込まれて、イリーナの従者兼友人として同じ学校に通っていた。ふたりはいつも一緒にいて、時々ルティアを見かけた時に、その話を小声でしていることがあった。

 ふたりとも、決して性格が悪いわけではないのだと、ルティアは思っていた。彼女らの言っていることは間違ってはいないし、面と向かって、ルティアに聞こえるように陰口を言っているわけでもない。ルティアは、もっと直接的に人から悪く言われることにも慣れていたし、少し蔑まれたくらいで腹を立てるほど、感情的に未熟でもなかった。

「でもイリーナ、昔彼と仲良かったんでしょ?」

「その話はやめてって言ってるでしょ。恥ずかしい」

 その声には、照れ隠しではなく、明確な不快感が含まれていた。

「彼がもっと優秀だったら、許嫁になってたはずなんでしょ?」

「やめて」

 ルティアは、さすがに胸にずきずきと嫌なものを感じていた。顔が熱くなり、自分の存在が恥ずかしくなって、海に飛び込んでしまいたい気持ちになっていた。

「あんなのと自分が対等であったかもしれないなんて、想像もしたくない」

 イリーナは、別に耳が悪くなくともルティアまで届くような声ではっきりとそう言った。アレクシアは、イリーナをこれ以上怒らせたくはなかったし、ルティアに話を聞かれてトラブルに巻き込まれるのもごめんだった。肩をすくめて「はいはい」と笑った。

 ルティアは悔しかった。何とかして、見返してやるのだと自分の胸に誓った。今の自分の実力では、何をしたって笑われるだけなのは、十二分に理解していた。

「おいルティア。聞こえてるんだろ? 悔しくないのか」

 ルティアは自分の名前を呼ばれて、思わず斜め後ろの、声の主の方に振り返る。

 ケイロス家の次男、レスフィス・ケイロスだった。善悪の彼岸に所属している魔術師であり、魔法学園を首席で卒業した秀才でもある。

「兄さん。なんで」

「アリシアから話を聞いてな。お前がちゃんとやっていけるかどうか、見てやろうと思って。それで、どうするんだ? あのふたりはお前を侮辱したぞ。ケイロス家のものとして、何もせずにただ黙って耐え忍ぶのか?」

 本当はそうするつもりだった。というか、そうするしかなかった。でもこうなってしまったのなら、何かしら行動をとらなくてはならない。ルティアは、瞬時に自分がどうすべきか考えたが、答えが出なかった。

 兄に、どうすればいいか聞きたい衝動にかられたが、船に乗り合わせた数十人の人々の視線を感じて、もし自分がここで自分の頭で考えず、兄に助けを求めたのなら、自分はもう一生独立したひとりの人間として生きていけないのではないかという恐怖を感じた。

「俺は、これくらいのことで腹を立てたりしない」

 そう言ってから、イリーナとアレクシアの顔を見た。彼女らは、じっとルティアを睨んでいた。おそらくは、もうすでにトラブルに巻き込まれたと分かって、覚悟を決めているのだろう。魔術師として生きるということは、何か問題が起こったのなら、それを自分の力で解決しようとするということなのだ。ふたりは、ルティアが何を言っても、正しく対応することだろう。

 ルティアは、そう思った瞬間、はらわたが煮えくり返るほどに腹が立った。魔術師としての才能がある人間が、魔術師然としてそこにいて、自分を下に見ている。対処可能な存在として、ただ冷たい目で、対等な者ではなく、より下等な者を見るような目で、自分を見ている。

「名前も顔も知らない、平凡な女ふたりに馬鹿にされたくらいでは」

 驚くほどに、はっきりと、滑らかに、挑発の言葉がついて出た。目をそらさず、はっきりとイリーナの目を見て。イリーナは、その時初めて表情を崩した。驚き。そのあとに見えたのは、怒りの感情だった。

「ルティア。嘘はよくないよ」

 イリーナの顔は相変わらず白く美しい色を保っていた。ただ、その碧い目は、怒りに燃えていた。

「イリーナ?」

 レクシアは、普段感情を表情や態度に出すことの少ないイリーナの手が震えていることに驚いていた。

「ルティアごときが、私を凡人扱い? ふざけないで」

 兄、レスフィスは愉快そうな表情でにらみ合う二人を眺めている。しばらくそういった険悪な雰囲気が続いた後、レスフィスはふいに口を開いた。

「偶然にも、お前ら二人は戦闘技術科の新入生だ。そしてまたまた偶然にも、俺は戦技科の卒業生だ」

 レスフィスはにやっと歯を見せて笑った。歯は、すべて金色にコーティングされていた。

「戦技科のしきたりは知っているな? 生徒間で問題が起こったのならば、資格を持った立会人のもと、決闘で解決すること。あぁ、愉快なことに、偶然にも、俺は立会人としての資格を持っている」

「望むところです」

 イリーナは、ルティアから目をそらさず、そう言った。隣のアレクシアは、ため息をつきつつも、面白いことになったなと内心では思っていた。

 ルティアの方は、表面上こそイリーナから目をそらさなかったものの、かなりの恐怖心が心を支配し、今すぐにでも逃げ出したい気持ちになっていた。イリーナと戦って勝てるわけがないし、そもそも兄がなぜここにいて、こんな問題を起こしたのかも理解できなかった。

 もしかすると、決闘に負けたという事実をもってまたパレルモの屋敷に戻るように圧力をかけてくるかもしれない。あるいは、次女のアリシアを説得して、強制的に退学させるようなことだってありうるかもしれない。

「ルティア。いいな?」

 ルティアは、頷くことしかできなかった。もしここで首を振って、自分は戦わないということができたのならば、おそらく兄レスフィスは、妹であるアイルの頼み事など無視して、ルティアの魔術師としての道を応援していたことだろう。

 しかし結局、勢いと雰囲気に流され、勝てない戦いを行うことになってしまった。このような精神性では、魔術師として大成することはない。精神は成長するとはいえ、基盤となる部分は生涯変わらないものとされている。事実、優秀な魔術師であるレスフィスは、自分がもしルティアの立場であったならば、くだらない冗談でも言ってごまかし、自分のプライドを保ちつつ、イリーナとの戦いを避けたことだろう。

 ルティアは、そういった器用なことができる性格でもない。彼は良くも悪くも生真面目で、かつ、緊張すると固まってしまう。自分自身でものを決めることよりも、周囲の人々の意見に流されて生きてきた。レスフィスの知る限り、そういった人間は、どれだけ魔力量が優れていても、魔術師としてうまくやっていけない。ある時点で頭打ちとなり、市井の人々と同じように生きていくことになる。

 もちろん、そういった生き方自体が悪いわけではない。だが、もしそういう道を歩むなら、早い方がいい。

 現実主義者であるレスフィスは、かわいい妹であるアイルの頼みを聞いてやりたいという気持ちだけでなく、末の弟であるルティアの人生をよりよく導いてやりたいという純粋な善意も持っていた。

「兄さん。俺は多分、イリーナに勝てない」

 しばらく沈黙が続いた後、ルティアは皆の前で、イリーナにも聞こえる声で、はっきりそう言った。レスフィスにとって、そのセリフは予想外だった。ルティアにとっても、自分がなぜそんなことを言ったのかわからなかった。でも自分の喉から出てきたがっている言葉があるのを感じて、それに抵抗はしなかった。

「でも、いつか勝てるようになる。そのために、俺は一度負けることにする」

 レスフィスは、ルティアの不安に怯えたような、揺れて潤んだ瞳をじっと見つめる。魔術師の目ではない。平凡で、善良な、普通の人間の目だ。

 だがレスフィスは、そのさらに奥の部分の光を見る。固い部分がある。揺らがぬ部分がある。確かにルティアは、アイルや、優しい両親のもとでずっと暮らしてきた上に、学校ではずっと魔術的な才能のない人間として扱われてきた。彼の精神に後天的に根付いた性根は、確かに魔術師としては出来損ないとしか言いようがない。

 しかし、先天的な、彼本来の才能の部分を、レスフィスは見抜いた。どこか、自分自身と似ているものを、いや、ある点においては、自分より優れた点を、弟の中に見た。

 戦いがどのような結果になるにせよ、レスフィスは、ルティアの将来について、すぐには判断しないことを決めた。同時に、アリシアがなぜルティアが戦闘技術科という、おそらくもっとも向いていない学科に入ることを許したのか、理解した。ルティアには、才能はないかもしれない。しかし、誰にも予想できない可能性がある。


 レスフィスは、ルティアの覚悟に対して、首肯をもって応えた。


 船がウスティカについてすぐ、荷物を寮に置いた後、グラウンドの一角を貸し切って、立会人であるレスフィスを挟んで、ルティアとイリーナは向かい合うことになった。イリーナは魔法の盾と短剣を持っている。対するルティアは、初心者用の杖一本。

 少し距離が離れたところで、アレクシアがイリーナを応援している。騒ぎを聞きつけた野次馬たちも集まってきており、その中にはエア、カタリナ、ヴァイスの三人もいた。

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