39、信じる者と信じない者
次にザルスシュトラは、エアたちが現在寝泊まりしている戦闘技術科の寮に向かった。彼女たちにも、挨拶をしておかなければならない。
「るーくん!」
道中、後ろから声をかけられて、ザルスシュトラは振り向く。エアはちょうどひとりで外出中だったらしい。
「あぁ、エア。元気そうだね」
「うん。見ての通り。腕も治ったしね」
「それはよかった」
「それでさ、るーくん。いくつか聞きたいことがあるんだよね」
「いいけれど、知らないことは答えられないよ。さっきイグニスにも文句を言われたからね。お前がエアのことをかつて魔王だったんじゃないかなんて言ったせいで、話がややこしくなったって」
「あー。うん。じゃあ知ってることだけでいい。あのさ、シラクサは今、どうなってるの?」
シラクサは、エアが最初に目覚めた町で、エクソシアの破壊によって荒廃した町を、ザルスシュトラが主導して復興させていた。
その過程で、無理やり周辺地域から労働者を連れてきたりなど、善いとはいえない行いも、ザルスシュトラは指示していた。
「あぁ。今はダフヌに任せているけれど、報告通りなら、問題なく都市の復興は進んでいるみたいだよ」
「そっか。それでさ、私が本当に聞きたいのはもうひとつのことで、るーくんは、あの都市をどういう風にしたいのかなって」
「ふむ。どうしたらいいと思う?」
「どうして私に聞くの?」
「ははは。私にもわからないからだよ」
「どうしてわからない?」
「私は確かにあの都市の復興の計画を立てたし、そのための指示も出した。金も出している。だが都市の発展は、そのトップの人間の考え通りに進んでいくというよりも、その都市に住んでいる人々の欲望や努力の方向性によって決まっていく。私にできることはそれほど多くない。だから、私はあの都市を緩く彼岸の支配下に置きつつ、できる限り人々には自由にやらせるつもりだ」
「……自由?」
「そう」
「わからないんだよ、るーくん。るーくんは、自由に暮らしていた人々の自由を奪って、あの都市を復興させようとしている。それって、おかしいことだと思うんだ」
「おかしくはないさ。世界はそういう風に回っている」
「だとしても、それを、私たちみんなが、できるだけ幸せになれるように持っていくのが、力を持っている人の役割だと私は思う」
「エア。君はそう思うかもしれないが、私はそう思わないし、彼岸に属している人間の皆も、やはりそうは思わない」
「どうして?」
「その理念に基づいて作られた国家が帝国であり、私たちは帝国において、幸せになれなかったからだ。君の理屈が正しいなら、誰かを不幸にすることによってしか幸せになれない人間は、不幸なまま何もしないでいる他なくなる」
「人を不幸にせずとも、幸せな気持ちになれる方法はあると思う」
「そう。そうやって自分自身の選択肢を無限に狭めていった先にあったのが、私たち善悪の彼岸なんだよ。善い行いを探してきた。人々のために尽くしてきた。しかし私たちは満たされず、人々も私たちを認めなかった。私たちは、帝国を愛していたから、帝国にあだなすことはできない。帝国の人々を、不幸にすることもできない。それくらいには、私たちもまた善良だった。だから、私たちは帝国とは異なるここ中央大陸で、私たちの居場所を作ることにした。そしてそれはうまくいっている。都合のいいことに、私たちはここで自由に暮らしているが、それによって人々から憎まれるようなことはあまりない。もっと憎まれている人物や存在が山ほどあるからな」
エアは黙って考え込んだ。
ザルスシュトラは待った。彼女の考えが固まるのを。
「るーくん。私は人間を愛しているんだよ」
「私だって愛しているさ。おそらくは、君の愛と似た愛でね」
「私もそうだと思う。だから私は、私と君がどう違うのか考えていたんだ。でも、いくら考えてもわからない。るーくんはどう思う? 私と、るーくん自身のことを、どう思う?」
「君と私は同類だよ。歪んでいて、ねじれていて、それでいてまっすぐな、矛盾した存在。でも私と君は、歪み方もねじれ方も違う。まっすぐだといっても、伸びている方向が違う。君は、この不潔な世の中であっても、清潔であろうとしている。対して私は、どうように清潔であることを好んでいるが、同時に、泥遊びも大好きなんだ」
「趣味の問題なのかな」
「私はそうだと思う」
「なら私たちは、互いのすることに文句を言っちゃいけないんだろうね」
「お互いを信じるならね。君は私を信じるかい?」
「るーくんは意地悪だね。私が人を信じないということができない人間なのをわかっているのに」
「ははは! 君は人を信じるのが好きで、私は人を信じるのが大嫌いなんだ」
「るーくんは、私を信じてくれる?」
「絶対に信じない」
「うん。それでいい。るーくんはきっと、人間よりももっと大きくて重要だと思うものを信じているんだね」
ザルスシュトラは、目を大きく見開いた後、自分を落ち着けるようにため息をついた。
「エア。私は、君と友達になりたい」
「私たちは、きっと出会う前から友達だったよ」
「君はそれを、誰に対しても言うんだろう?」
「私がそう思ったなら」
「なら、君は誰に対してもそう思うんだ」
「かもしれないね」
ザルスシュトラはそれ以上エアに言うべき言葉を持っていなかった。ふたりはある大きな共通点を持っていたが、それ以外の部分はすべて異なっていた。ただ、たまたまふたりの歩く道が交わっただけのこと。
ザルスシュトラは少し憂鬱な気分に浸りながら、ひとり帰途についた。