38、似ているふたり
ザルスシュトラは、遅れて魔法都市にやってきた。彼はあまり長く滞在するつもりはなかった。新学期の挨拶だけ頼まれており、それが済んだらすぐ大陸に戻り、また気の赴くままにひとり旅をしようと思っていた。
ただ、その前にあいさつをしておきたい相手が何人かいる。彼が最初に訪れたのは、イグニスの研究塔だった。
「やぁイグニス」
「ザルスシュトラか」
ノックもせずに入ってくるザルスシュトラに対して、イグニスは特に何の感情も抱いていないかのような、無表情な老人の顔のまま、呼んでいた本を閉じた。
「何の用だ」
そう言いながら、立ち上がり、ザルスシュトラに、近くの席に座るよう促し、茶を入れて出した。
「計画の調子はどうかと思って」
「問題はない。皇帝の機嫌もとった。エアも無事だ」
「なぁイグニス。そろそろ私にもエアが何なのか教えてくれてもいいんじゃないか」
「お前は喋りすぎる」
「それは否定できない」
「だが、お前の的外れな予想を他のやつらに吹聴されるくらいなら、そうならない程度に事実を告げておいた方がいいかもしれないと思っている」
「ははは。私としては真剣にあてにいったつもりなんだが」
「エアが魔王だなんて言ったらしいじゃないか」
「違うのかい?」
「違うに決まっている。あいつは、どれだけ邪悪な存在に堕ちたとしても、それでも人から愛され、親しまれるようなやつなんだ」
「君は本当にエアを愛しているんだね」
イグニスは鼻で笑った。
「俺はあいつを憎んでいるんだ」
「愛憎の念、というわけか」
「お前はものごとをすぐ理解しやすいよう単純化する癖があるな」
「理解を放棄するよりはいいだろう? 私は否定されることが好きなんだ。そうすることによって、互いをより深く理解できる。より複雑に、ね」
「まぁいい。ともかくエアは、奇跡の実験を行っていた。そしてそれに失敗し、たくさんの人を死なせたうえに……人を殺し続ける存在になった」
ザルスシュトラは首をひねって不思議そうに尋ねた。
「それは魔王と呼んでいいのではないか?」
「違う。それは、あいつが望んだことではなかった。むしろ、あいつが望まなかったからこそ、そうなったのだ」
「意味が分からないな」
「奇跡の本質は、人が望んでいることを現実化させることにある。あいつは、人の望みをすべて現実化させれば、世界がもっとよくなると考えたのだ」
「あぁなるほど、そういうことか」
ザルスシュトラはニヤッと笑った。
「それはなかなかに愉快なことだな」
「そうだろう」
「それについては、確かに、言わぬが花だ」
「わかってくれたか」
「あぁ。彼女は純粋すぎる善良さゆえに、人を信じすぎたわけだな? 人間の悪意や敵意の根深さ、利己的な本能の強大さを、見誤っていた」
「かもしれない。俺は、エアが何を見て、何を考え、何を信じていたかはわからない。ただ、あいつは魔王なんかよりずっと美しく、残酷で、どうしようもない存在になった」
「それがどんな存在かは教えてくれないのかい?」
「いずれ分かることだ。今ここで説明されるよりも、実際に見た方がよいだろう」
「その方が確かに面白そうだな。だがイグニス。ひとつ納得できないことがある」
「なんだ」
「なぜこんな遠回りな方法をとる? エアを解き放ち、世に示したいなら、最初からそうすればよかったじゃないか」
「理由は二つだ。ひとつは、俺がエアに施した封印は極めて強固で、俺自身でさえも、解除に長い時間と、大量の魔力、そして特殊な方法が必要であるということ。もうひとつは……俺がエアを愛していることだ」
「ほう。具体的に、どういうことだい?」
「それは言えないな」
「彼女を可能な限り苦しめたい、ということかな?」
イグニスはため息をついた。
「お前の馬鹿で的外れな予想にはうんざりだ」
「なら、はっきり言ってくれたらいいじゃないか」
「言葉にできないことだってある」
「それもそうだが」
「今日はもう帰ってくれ。余計なことを話しすぎた」
「私にとっては貴重な話だったけれどね。イグニス、ありがとう」
「俺はお前に借りしかない。礼を言われるのは気分が悪い」
「ははは! 私は与えるのが好きなんだ。それじゃあ、また別の友人にも贈り物をしなくちゃいけないから、ここらでお暇させてもらうよ」
「さっさと行け。お前にはうんざりだ」
ザルスシュトラは堂々と席を立ち、笑みを浮かべて手を振った後、部屋を出ていった。
イグニスはまたため息をついて、独り言を言った。
「あいつは少しエアに似たところがある」
だから苦手なのに、惹かれてしまうのだろう。