閑話 剣聖アレクサンドラ
三人は、魔法都市にある食堂で仲良く食事をとっている。
カタリナ
「エア、腕、少し触らせてもらえる?」
エア
「いいよー」
治ったばかりのエアの左腕は、ぷにぷにとしていて柔らかく、ほどよく肉がついていた。魔力の通りもよく、そもそも体全体が、以前より、魔力回路が複雑になっているようにカタリナには感じられた。
カタリナ
「体に、違和感とかない?」
エア
「ないよ。リナちゃん、なんかお医者さんみたいだね」
ヴァイス
「カタリナさん、エアさんのことすごく心配していたんですよ」
エア
「そうなの? ごめんね、心配させちゃって」
カタリナ
「前も言ったけど、もっと自分の体を大切にして」
そう言いつつも、カタリナはエアのその性格を直すことは諦めていた。エアは、自分自身のことに関してどうしようもなく無頓着であり、だからこそ、美しく、同時にかわいらしいのだということもカタリナはわかっていたのだ。
カタリナ
「エア、ちょっと概念形装出してみて?」
エア
「どっちの?」
カタリナ
「どっちのって?」
エア
「あ、そっか。あの、エクソシアが持っていた大剣あるじゃん。裁断の原理ってやつ。あれも、多分もともと私のものっぽいんだよね。ちょっと見てて」
エアは目をつぶって、右腕に集中する。周辺の魔力を吸収して、剣の柄が彼女の手に握られる。しかしその剣が形になる前に、形を保てずに崩壊した。
エア
「ね? まだ出せないけど、多分エクソシアを倒せば使えるようになる気がする。ニス君もそうっぽいこと言ってた。あと、私魔王だったことなんてないんだって。るーくん、ザルスシュトラの予想は忘れろってニス君言ってたよ」
カタリナはため息をついた。ザルスシュトラは本当に何も知らなかったうえに、間違った情報を、しかも勝手に勘違いしてでっちあげた情報を三人に流して、それで人の感情を不安定にさせていたのだ。
ヴァイス
「まぁ、あの人はそういうところありますからね。ちょっとお馬鹿なところっていうか」
カタリナ
「最近、あいつと話す機会があって、ちょっと尊敬できるかもって思ってたんだけどな。なんか、そう思ってしまった自分が恥ずかしいわ」
エア
「でも、るーくんは賢いし、素敵な人だよ。魔王がうんぬんっていう話だって、私たちが無理やりさせたようなものだったじゃん。知らないって言ってるのに、予想でもいいからって」
カタリナ
「そうだったっけ。そうだったかな」
ヴァイス
「ですね。でも、エアさんはそういうことはしっかり覚えているんですね」
エア
「私賢いからね」
カタリナ
「あぁ、記憶と言えば、腕は直ったけど、腕を失った時のこととかは、ちゃんと問題なく覚えてる?」
エア
「覚えてるよ。やっぱり、こう、両腕があるってちょっと安心するね。不便することもないし、戦いやすくもなったと思う!」
カタリナ
「いや、それはそうなんだけど、そうじゃなくて。私と出会う前に、腕を失ったときのこととかは……」
エア
「思い出そうと思えば思い出せるけど、つらい思いをしたことをわざわざ詳しく思い出しても仕方ないから、あんまり考えたくはないかな」
カタリナ
「ごめん」
エア
「うん。でもいい経験だったと思う。この先何百年も前の記憶を取り戻していくことになると思うけど、それで今生きていることを忘れたりはしないよ。大丈夫」
カタリナ
「元気なようで本当に安心したよ。それで……その、概念形装のことなんだけど。今思ったんだけど、ふたつ概念形装を発現させる人って、歴史上本当に数えるほどしかいないはずなんだよね。ひとつだけでもかなり珍しいのに」
エア
「うん」
カタリナ
「だから、三百年前だっけ? それくらい昔だったとしても、潔白の重鎧と裁断の原理のふたつの概念形装を発現させた人物を調べれば、何かわかるんじゃないかって思うんだよね。エクソシアを倒さなくても、本とか記録とかから」
ヴァイス
「あぁ、それなら私、もうだいたい調べましたよ」
カタリナ
「はぁ?」
ヴァイス
「仕事なので。ウスティカ島についてから、イグニスさんに頼んでエアさんの情報を探してたんですよ。イグニスさんが言うには、エアさんを封印するにあたって、イグニスさん自身が可能な限りエアさんの情報を焼却して、存在そのものをなかったことにしようとしたらしいんですけど、それでもやっぱり多少は残るみたいで、三百四十二年前に、この学校に入学してたって記録がありました。それで、四年で卒業。十六で入って、二十のときに卒業したらしいです。まぁ、わかったのはそれくらいでしたが」
カタリナ
「なんで教えてくれなかったの」
ヴァイス
「聞かれなかったら言いませんよ。その、私一応皇帝陛下の眷属ですよ? 仕事の話を自分からベラベラ話すわけにはいかないじゃないですか」
カタリナ
「今話してるじゃん」
ヴァイス
「今はしゃべっていいってお許しが出てるんで」
カタリナ
「他にも隠してることあるんじゃないの」
ヴァイス
「ありますよ。でも漏らしませんよ?」
エア
「ねぇねイスちゃん、それで、私の概念形装の情報は何かわかったの?」
ヴァイス
「あぁ。それはえっとですね。潔白の重鎧については、かなり珍しい概念形装で、記録としてはエアさんのほかに三人、一番最近だと、約五百五十年前に帝国でひとり発現させた純人がいましたが、不老の術式を完成させずに普通に子供を作って六十歳くらいでなくなったらしいです。特に何か成し遂げたこともなくて、穏やかに生涯を過ごしたらしいです。概念形装の特徴としては、まぁそうですね。とても硬くて、形状をある程度コントロールできる、シンプルで優秀な防具って感じですね。武器としても使えるらしいです。精神的特徴としては、清廉潔白、意志堅固って感じです。見たまんまですね。あと特筆すべきは、この概念形装所持者は、精神的に外部から浸食されえないらしいです」
カタリナ
「どういうこと?」
ヴァイス
「私たちが会話をしたり、同じ空間にいると、微量の魔力が互いに交換されるわけじゃないですか? 意図的にせよ、そうでないにせよ、やっぱり互いに影響を与え合うのが、生命なんですからね。でも、この概念形装を身にまとっている人は、ある特定の魔力回路が体内に入ってくるのを自動的に防げるらしいんです」
カタリナ
「特定の魔力回路?」
ヴァイス
「それについてはあまり詳しい情報はなかったんですが……まぁ試しに、リナさんの腐蝕属性で触れてみてくださいよ」
エア、治ったばかりの左腕を白鎧で覆った。カタリナは、そこに手を当てて、腐蝕性の魔力を流し込む。エアの白鎧の表面がぶくぶくと泡立っているが、確かに浸食は進んでいない。白鎧の表面のエーテルにのみ浸食がすすみ、緑紫色のドロドロ自体は、大きくなっており、エアの体の白鎧で覆われていない部分に近づいていった。
エア
「ちょ! ストップストップ!」
カタリナは反属性の魔力をそのドロドロに加えて、腐食性の魔力を消滅させた。白鎧は、まったく傷ついていなかった。
カタリナ
「なるほどね。でも、物理的な攻撃や、強力な魔力の攻撃はどうなの?」
ヴァイス
「それは普通に効くみたいですよ。ただめっちゃ硬いんで、生半可な攻撃は意味なさそうですが。それで、裁断の原理の方なんですが……まぁこれは有名ではあるんですが、よくわからないんですよね」
エア
「ほえー」
カタリナ
「剣聖アレクサンドラ。僭王デュオニシオス。狂将ルドラ。名だたる英雄、偉人たちがその所有者として挙げられるくらいだけど、どうしても話に尾ひれがついてしまって、実際的な部分がよくわからないってこと?」
ヴァイス
「そうなんです。人との縁を断ち切ったとか、運命の分かれ道を無理やり繋ぎ止めたとか、時空を切り裂いて別世界に旅立っていったとか、そういうレベルの話までありますから。一応帝国でもいろいろ研究されてたみたいなんですが、いかんせん、これもきわめて珍しい概念形装ですし、所有者の性格に問題がある場合が多すぎるんですよ」
エア
「私、性格ダメ?」
カタリナ
「エアはいい子だよ」
ヴァイス
「片鱗はある気がしますが。まぁ、端的に言えば、概念形装所持者って、めちゃくちゃ頑固で、自分の世界を持っている人ばかりなんです。エアさんみたいに、善良さにふりきれている場合はいいんですけど、悪辣さとか、野心とか、なんかやばいものに執着している場合もあって、概念形装が強力であるほど、困ったちゃんになっちゃう場合が多いんですよね」
カタリナ
「でも、かっこいいなぁって思う。その人の人格的特徴が、武器や防具として自由自在に扱えるなんて、特別って感じがする」
ヴァイス
「リナさんはけっこう常識的なところあるんで、概念形装を出すのは無理そうな気がします」
カタリナ
「だろうねぇ。ところでエア、概念形装ってどんな感じなの?」
エア
「ん? こう、生きているとさ、ふと浮かんでくる言葉ってあるじゃん? それに近い感じかなぁ」
カタリナ
「どういうこと?」
エア
「たとえば『意志は、固く、強くあるべし』とか『世界はなんて美しいんだろう』とか、そういう言葉とか概念ってこう、ぼうっとしていると何度も浮かんできたりしない?」
カタリナ
「ヴァイス、ある?」
ヴァイス
「うーん。まぁそういうのが、才能なんじゃないですか」
エア
「ええ! ふたりとも思わないの!?」
カタリナ
「そりゃ、きれいな景色を見ればきれいだなぁって思うし、頑張らなくちゃなぁって思うときは頑張らなくちゃって思うけど、状況によって考えることは違うかな」
エア
「あ、いや、考えるとかじゃなくて、なんか、魂に刻み込まれている言葉をなぞるというか……自分自身を噛んで味わうというか、そんな感じなんだよね」
ヴァイス
「やっぱり、歴史に名をのこすような大きなことをする人って、そういう特別なものを持っているものなんですかね」
カタリナ
「確かに言われてみれば、アレクサンドラの物語の中にも、繰り返し出てくる言葉があるね。なんだっけ。『因果のもつれを断ち切るのは剣』とかだっけ」
ヴァイス
「私の聞いたことのある話とリナさんが知っている話が同じかはわかりませんが、アレクサンドラは問題や悩み事を容赦なく剣で断ち切っていく印象があります。一番有名なのは『暴力はすべてを解決する』だと思いますが」
エア
「それ嫌いだな。私、そんな乱暴な人と一緒にされたくないかも」
カタリナ
「あれ、エアはアレクサンドラの物語知らないの?」
エア
「うん。リナちゃんがよく出す名前だなぁくらいしか。でも、私と同じ概念形装を持ってた人のことは、ちょっと気になるかも」
カタリナ
「あぁ、じゃあいい機会だし知っている範囲だけど話そうか?」
エア
「やったぁ」
カタリナ
「ヴァイスも、知っているのと違うところがあったらあとで教えてほしいな」
ヴァイス
「はい」
剣聖アレクサンドラの物語は、中央大陸とユーリア大陸ではよく語られる英雄譚のひとつである。彼女が実在していたことは、あまりに広い地域に同じ容姿の女性の話が語り継がれていることから、確からしい。おそらくは、千三百年前から、千百年前あたりの間に活動していたと思われる。
黒い髪と黒い目を持った彼女は、孤児として生まれ育った。幼いころから圧倒的であったその武の才能を見出され、十五のときに当時ユーリア大陸で最大の王国の王女付き近衛兵として召し抱えられた。彼女は年の近い王女セリステラの友人兼護衛役として抜擢されたのだ。
まだその時は、彼女は特別な人間などではなく、ただきわめて優れた魔法と武術の才能を有している少女に過ぎなかった。彼女の数奇な運命は、騎士の任、親友にして、自らが守るべき対象であった王女セリステラが毒殺されたことによってはじまったのだ。
カタリナ
「ヴァイス。ここまでで、帝国で語られているのと違う部分ある?」
ヴァイス
「王女の名前がセリステラじゃなくてセリスティナってところくらいですかね」
カタリナ
「あぁまぁ、細かい人名や地名は語られてる内に違って覚えられること多いからね」
ヴァイス
「帝国の研究者が古い文献をいろいろ調べたところ、セリスティナの方が正しいらしいですが、まぁどうでもいいですね」
エア
「ねぇねぇ早く続き!」
カタリナ
「子供かな?」
そう言いつつも、エアが目を輝かして話の続きを急かしてくれることを、カタリナはとても嬉しく思っていた。
王女の毒殺を計画していたのは、彼女の叔父にあたる人物で、アレクサンドラを毒殺の主犯にしたてあげるべく、証拠をいくつも捏造していた。
しかし、王女セリステラ毒殺の知らせを受けたアレクサンドラは激怒し、叔父が動く前に王に、犯人を必ず捕らえ、死をもって償わせるとすさまじい形相で涙を流しながら叫んだため、完全に王も、その周辺の者たちも、アレクサンドラを犯人ではないと信じ、逆に捏造された証拠から、セリステラの叔父、王弟の罪が暴かれることになった。
王弟は捕らえられたが、殺されることはなかった。というのも、現王と血縁の者が彼しかおらず、事実、王がなくなった後の王位をめぐって国が内乱で荒れるよりは、罪びとであるとはいえ、正当な後継者を王位につけるのが国家にとって都合がよかったのだ。
事実、王は、自分の娘にほとんど興味がなく、逆に弟に対しては、ある程度親愛の情を感じていた。アレクサンドラはそのような現実に直面して、悩み苦しみ、決断した。
親友であり、忠誠を誓った王女セリステラの仇をとると。たとえ、すべてを犠牲にしたとしても。
アレクサンドラは、王弟の裁判が終わり、セリステラ毒殺の件がいったん片が付いたあと、王より直々に騎士階級を叙勲された。騎士階級とは、平民や、一兵卒でありながら国家に大きな貢献をした人間に与えられるもので、当時では大変な名誉であった。
しかしアレクサンドラは、騎士階級を数日後に返上し、その際王に、こう告げた。
「私は、セリステラ様を愛しておりました。あのお方なき今、私の役割は、もはや、私自身の心にのみあります」
そしてアレクサンドラは、単身、王弟の軟禁されている小城を訪れた。途中、衛兵に止められたが、アレクサンドラは王からの命令だと嘘をつき、無理やり押し通った。
「王弟カイリアス殿。あなたの死をもって今は亡き王女セリステラ様への手向けとさせていただきます」
王弟カイリアスが、何か言い返す前に、アレクサンドラは迷いなく剣を振り下ろした。カイリアスは頭から真っ二つになり、アレクサンドラの体は血で汚れた。
衛兵たちはすぐ異常に気づいたものの、血まみれで、堂々と城内を歩いているアレクサンドラに恐怖し、すぐさま王に伝令を飛ばすことしかできなかった。王は、アレクサンドラを捕らえるよう命じたが、衛兵たちが動き出すころには、アレクサンドラは王女セリステラの墓標の前にいた。
カイリアスを殺した剣は、ついた血が渇いて黒ずみ、ずいぶん錆びていた。アレクサンドラはそれを墓の前の地面に突き刺し、叫んだ。
「あなたは復讐を望むようなおひとではなかった! 王となるにふさわしい、お優しく、思慮に富んだかただった。あなたのような人が死ななくてはいけない世界を、少しでも正していくことが、あなたへの弔いになることでしょう! 私は、私の運命をここで定めます。いつか、私の魂があなたのそれとともに地に溶けて消え去り、またともに在るようになるその日まで、私はひとり、たったひとりで、歩き続けましょう。この世から、不正がなくなるその日まで、私はただひとり、歩き続けましょう」
エア、手で涙を拭って感動している。
ヴァイス、エアにつられてちょっともらい泣きしかけている。カタリナは苦笑いしながら、ほほえましいなと思った。
カタリナ
「で、この時の強い決意によって、概念形装『裁断の原理』を手に入れたって話になってるね」
ヴァイス
「やっぱりアレクサンドラの物語は面白いですね」
エア
「ねぇね。そのあとアレクサンドラはどうなったの?」
カタリナ
「軍と戦うんだけど、誰も殺さずに圧倒して、王と和解した後、病気がちの国王は部下たちに命じて、王にふさわしい資質を兼ね備えた孤児を何人か養子にとることにしたんだ。それで、アレクサンドラは養子として選ばれた孤児にして次期国王候補筆頭のサエルの師になるんだけど、そのサエルがね、頭はいいんだけど性格が悪くて」
ヴァイス
「リナさんちょっと疲れてません? 話し方が雑というか、さっきみたいにちゃんと語ってくださいよ」
カタリナ
「実はちょっと眠たい。また今度でいいかな?」
エア
「えー!」
カタリナは、子供のころノワールに、似たように夜遅くまで話の続きをせがんだことを思い出した。