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32、ザルスシュトラとカタリナ

 宴会が終わった次の日、宮殿で寝泊まりしているカタリナは、ただぶらぶらと建物の中を歩き回っていた。なんだか落ち着かなかったのだ。

 そんなとき、同じようにぶらぶらと歩きまわっていたザルスシュトラに声をかけられた。

「カタリナ。マリオネットから聞いたんだけど、私のことが気になっているそうじゃないか」

 カタリナは無視して通り過ぎようとしたが、素早く正面に回り込まれた上に、完全に目が合ってしまった。

「嫌われてるってわからない?」

「人はね、他者の好悪だけでなく、自分自身の好悪すら誤解する生き物なんだ。本当は好きな相手を嫌いだと思い込んだり、本当は嫌いな相手を好きだと思い込んだり」

「じゃあ逆に聞くわ。あなたから見て、私はあなたのことをどういう風に見てると思う?」

 ザルスシュトラは、あごに手を当てて考える仕草をする。カタリナの全身をじろじろと見て、そのあと笑う。

「私のことを警戒してる」

 何らかの冗談を飛ばしてくるかと思ったのに、普通に当たり前のことを言ってくる。カタリナは、会話のリズムが掴めなくて、頭を抱える。

「君は私とどうしゃべっていいのかわからないんだ。今まで見たことのないタイプの人間だから」

「あなたみたいなのがごろごろいたら私だけじゃなくて世界全体が困ると思う」

「私自身も含めてね。あとふたりくらいは欲しいなと思うことはあるけど」

「どういう意味?」

「自分と同じレベルで話せる人間がいたら、楽しいのになぁという話だよ」

 会話が一度止まった後、カタリナは、前々からザルスシュトラに聞いておきたかったことを尋ねた。

「ねぇ。マリオネットは、あなたを不器用で感情表現が下手な人間だと言った。でも私には、あなたが、人の感情を見透かして、その気になればコントロールできる人間のように見える。本当のところ、どうなの」

「それは両方とも当たっているよ。私は人付き合いが苦手で、感情表現も下手だった。だから、人の感情を読み取る能力と、人の心と行動をある程度制御するすべを身に着けた。そうしなくては、不安でしかたがなかったんだよ」

「その極端な正直さは? 普通そういうことは、天気の話をするような気軽さでは話せない。まったく考える間もなく、即答することなんてできるはずがない。私はあなたが理解できないし、恐ろしいと思う」

 ザルスシュトラはにやっと笑った。

「君は勇敢な人間だ。普通、私を恐ろしいと思っても、そのことを言ったりはしないし、それどころか、自分自身にそうだと認めることすらできない。人間は、すぐ感情をごまかす生き物だからね。その点君は、自分自身の感情と認識から逃げない。正面から向き合おうとする。そして君は、他者に対してもそうしている。君は、正面から人とぶつかり合うのを好む人間だ」

「あなたについての質問をしているんだけど。私がどういう人間であるかは関係ない。どうしてあなたが、そこまで他者に対して開けていられるのか、と聞いている」

「なんでだと思う?」

 にやにやと笑うその顔に、カタリナは、心底苛立った。

「答える気はないわけね?」

「答えられないこともあるからね」

「どっちの意味で? 答えたくないのか、そもそも答えを持っていないのか」

「答えはあるよ。私は私のことをよく理解している。でも、他者に理解されてよいラインは決まっているし、君はそこに踏み込もうとしている。もし踏み込みたいのなら、それにふさわしいくらい、君自身が深い人間にならなくてはならない」

「どういう意味? 深い人間って何」

「複雑で、奇妙で、矛盾しているという意味だよ。君は人間として素直すぎるし、もっと言えば、まだ経験が浅い。たとえば君の師である黒夜梟こくやきょうノワール。帝国の唯一帝ブラン。あのあたりは、まさに深い人間だ。あと、私の親友であるイグニス。それに、記憶を失っているとはいえ、エリアル・カゼットも、そういった類の人間であることは明らかだ」

「私を幼稚だって言いたい?」

「ある意味ではね。君は幼稚だよ、カタリナ。ヴァイスもそうだ。君たち、ある意味では現実的で、大人らしい振る舞いができる優秀な人間は、我々よく悩む人間、我々自身にもよくわからない人間と比べて、どこか未熟なところがある」

「わかった。私があなたのことが嫌いな理由」

「なんだい?」

「あなたは私を軽蔑している。それも、極めて好意的な態度で。私の目は、それに、はじめから気づいていた。でも、私の目が気づいていたことに、私の意識は気づかなかった」

 ザルスシュトラは深くうなずいた。

「カタリナ。君はよい目を持っている。よい頭もだ。君はどこか、ハープに似ているところがある。ところで、なぜハープの頭があまりよくないか、君は考えたことがあるか」

「彼女は愚かではないと私は思う」

「そう。愚かではない。でも、うまく頭を回すことができない。きわめて素朴な善し悪しの判断と、戦闘にまつわる魔法の実際的な使い方だけを知っており、それ以外のことに対しては馬鹿みたいに無頓着であるうえ、他者を疑うことも知らない。理解しようともしない。計画を練ることもできないし、ものごとの違いを明らかにすることもできない。なぜだと思う?」

「彼女にその必要がなかったからじゃないの。あそこまで強ければ……あぁ、何が言いたいのか分かった。私もそうだって言いたいんだね」

「そう。君はこれまで、自らの全存在を賭けて悩んだことがないんじゃないか。いつも、自分にとって何がいいか、あまりにすっきりした考えに従ってきたんじゃないか」

「それの何がいけないの」

「もちろん、悪いとは言わない。ただ、浅くて幼稚であることだけは、本当のことだろう。君の選択は、いつも浅瀬では正しい。だが、深いところにいる人間にとって、君の選択は意味を持っていない。なぜなら、その選択をするのが、君である必要がないからだ。別の言い方をすれば、君の生に、必然性が感じられないからだ」

「意味が分からない」

「君は惹かれているんだよ。私やエアに。深い人間に。私が何を考えているのか、君は気になって仕方がない。エアの過去に何があるか、君は気になって仕方がない。英雄になることなんて、もはやどうでもよくなっているんだ、君は。別の言い方をすれば、精神的に、成熟しつつある。君はその幼稚さから、脱出しようとしている」

 カタリナはため息をついた。頭は回っていたが、一度に吸収できる言葉や概念には限界がある。ザルスシュトラの語る「精神の深さ」というものに関しては、カタリナはある程度納得できた。自分にそれがないことも、はっきりとわかる。そのあとの、自分の精神が深くなろうとしているという点に関しても、否定はできない。

 だが、この男の言うことをそっくりそのまま肯定することは、プライドが許さなかった。

「ザルスシュトラ。あなたは私をどうしたいの」

「私は君が教えてほしいことを教えているだけだよ」

「私の意識が? それとも私の目が?」

 目。それはすなわち認識の比喩である。

 人間の、ものを「見て取る」「わかる」ときに使う機能と、ものを「考える」「理解する」ときに使う機能は、微妙に異なっている。それはカタリナにも理解できる。だから、ふたりは「意識」と「目」を区別できる。

「両方にだよ。君は、深いものに触れるのに十分な目、すなわち魔力に対するよい感受性を持っている。あとは、その触れたものを、頭で理解できるように作り替える能力だ。君は、ものごとをありのままに捉えすぎる。別の言い方をすれば、他の人間にも理解できるように、ものごとを考え、理解しすぎる。つまるところ、意識や思考に関しては、君は未熟であり、凡庸であるということだ」

「どうすればいい」

「それを尋ねるところが、まさに、だ。たとえば私、ザルスシュトラの意識が深くなる時に、そんな神妙な表情で誰かに『どうすればいい』なんて頼むと思うか? エアがそんなことをすると思うか?」

「自分で考えろってわけね」

「いいや。おそらくは、君がどれだけ考えようとしても、浅瀬でじゃぶじゃぶ遊び続けるだけになる。君が根本的に深くなるためには、もっと強い衝撃を受けなくてはならない。だがそれは、君自身が考えてどうにかなる問題でもなければ、私に何かができるわけでもない。できるのは、種をまくことだけだ」

「種?」

 そのとき、ザルスシュトラはいいことを思いついたように拳で手のひらを打った。

「そうだ、カタリナ。私はパレルモでも小さな畑を買ったんだ。一緒に耕さないか? もちろん、便利な術式で楽をしようとするのは禁止だ」

 カタリナは、反射的に断ろうとしたが、少し考え直した。

「一日だけなら付き合ってあげる」

「おお。それなら早く終わりそうだ」

「でも、なんで術式でさっさと片づけないの? ゴーレムを使ってもいいし、道具の遠隔操作でもいい。その方が効率的だし、正確にできると思うんだけど」

「君は、もう少し君の先祖がどうやって食いつないできたか考えるべきだ」

「魔法が使えない人の気持ちもちょっとは考えろっていうわけね。分かった分かった」


 意味もなく体を動かすことは、カタリナにとってなかなかに楽しく、愉快な事柄であった。ザルスシュトラとふたりで、特に言葉をかわすわけでもなく、一日中黙々と単純な作業を続けたが、カタリナは体の充実感以外何も得ることはできなかった。

 次の日にはパレルモを出て魔法都市に行く予定だったので、ザルスシュトラとは別れ際に挨拶の言葉を交わしただけで、それ以上何かを語り合うことはなかった。

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