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25、鳥人族の英雄ハープ

「なぁイグニス。記憶を失う前のエアの言葉で、忘れられないものはあるか?」

 老魔術師と痩せた背の高い男が向かい合って食事をとっている。返事は遅い。

「あるが、お前には言いたくない」

 私、君のこと、好きだな。

 最初に思い出したのは、愛の言葉だった。でもそれは、自分だけに向けられたものではなかった。エアは、機会されあればだれに対しても好きだと言った。彼女にとって、すべての存在が愛おしく、素晴らしい存在だったのかもしれない。

「彼女は、見ているこちらの胸が苦しくなるほど純真だな」

「ゆえに、多くのものを傷付けた」

「それが、彼女を封印していた理由か」

「ザルスシュトラ。あいつの善良さは、お前が思うよりずっと壮絶な結果をもたらした」

「私には、善良さが、それほど大きな悲劇を引き起こす原因になるとは思わないのだがな。人間の罪のほとんどは、男性の支配欲と、女性の独占欲に起因すると思うのだがな」

「そんな単純なものではないだろう」

「冗談さ。帝国人が今のを聞いたら差別だと腹を立てるだろうな」

「帝国人の感覚はわからんな」

「彼らは隙あれば人の発言を咎めて罪にしようとする。私もずいぶん痛めつけられたものだ」

「沈黙は金、というわけか」

「私は語る方が好きなのだが。語らない方がいいことを語ることも含めて。その点君は逆だな、イグニス。君は語らなすぎる」

 イグニスは鼻で笑って席を立った。



 結局エアは、一晩ぐっすり眠ったらいつも通りの明るさを取り戻した。

「おはようふたりとも! それで、次の街はなんて名前?」

 カタリナとヴァイスはそれにほっとしつつ、その元気さがカラ元気ではなく、本当にいつも通りのエアであることに一種の奇妙さを覚え、昨日のことを尋ねたいという好奇心を抱かずにいられなかった。

 そういえば、とカタリナはエアと出会った時のことを思い出した。飢えていて、片腕を失っていて、仕事もなくなり、雨に打たれて、そんな状況だった次の日には元気よく、カタリナに自分が経験したことを話すエアの姿は、どこか、人間離れしたものを感じたのだった。

「リカタだね。この近辺では一番栄えている都市らしいし、色々補給できると思うよ」

「彼岸の拠点もありますし、エクソシアがどちらに向かったのか情報も得たいですね」

 彼岸、という言葉にカタリナは敏感に反応する。昨日のことがあったばかりだ。エアを横目にちらっと見るが、何ともなさそうに口を開いた。

「ねぇヴァイスちゃん。善悪の彼岸のメンバーって何人くらいなの?」

「えぇっと。メンバーっていうか、あんまり閉ざされた組織じゃないんですよね。理念に共鳴したら、その時点で仲間っていうか。ただ、一応主要メンバーの集まりみたいなのはあって、そこでは二十人くらい毎度集まりますね。まぁそのたびに知らない顔がひとりふたり増えてたりするんですけど」

「リカタに誰がいるかとかはヴァイスちゃんわかるの?」

「えっと……リカタには確か、マリオネットさんがいたかな? 帝国出身で……あれ? あ」

「どうしたの?」

「いや、あの人帝国出身の魔導具技師なんですよ。こっちの大陸に来てからはシグさんの義肢のメンテとかも、あの人がやってたはず」

「あ! それじゃあ私の新しい左腕もらえたりする?」

「かもですね。ただ材料がないかもなんで、もしだめならごめんなさい」

「ザルスシュトラは前、その人はパレルモにいるって言ってたけど?」

「あー。結構行ったり来たりしてるんですよね。ザルスシュトラさんがそういうなら、いないかもです」



 リカタは中央大陸の南海岸に位置する小都市であり、古くから漁業が盛んである。また、魚油を利用した石鹸が特産品としてよく知られている。

「へー。ここの海泳げるんだ」

「そうなんですよ。それもあって、ザルスシュトラさんがここにちょっとした拠点兼別荘を建てたので、けっこう人が来るんですよ」

 三人が別荘に到着すると、出迎えたのは、むすっとした背の低い鳥人だった。全身が羽毛に覆われており、腕が翼になっている。足は細く、その先は裸足であり、鋭いかぎづめで地面を踏みしめている。顔は、人間とは異なるものではあるが、どこか幼い印象があり、まつ毛がとても長かった。

「か、かわいい!」

 エアは一目見て、彼女に駆け寄った。鳥人の少女はむすっとしたまま「あなたがエア?」と尋ねた。

「うん。エア。君は? その翼、かっこいいね」

 エアが、その翼と握手するように優しく掴むと、少女は少し得意げに鼻を鳴らした。

「私、ハープ。鳥人の守護者にして、善悪の彼岸の一員。ザルスシュトラの馬鹿に頼まれて、仕方なくあなたたちの面倒を見ることになったのよ!」

 そのしゃべり方は、どこか古くさい印象を覚えたが、それも含めてとてもかわいらしかった。

「ところでそこのスパイ。あなたはこっち来ないでよね」

 ヴァイスは苦笑いして、隣の困惑しているカタリナに耳打ちする。

「あちゃー。あの子、私のこと嫌いなんですよ」

「聞こえてるんだけど!」

「しかも地獄耳なんですよ」

「早くどっかいけ!」

「はいはーい」

 ヴァイスは気にしていないそぶりで背を向けた。

「じゃあハープ、二人のことは任せましたよー」

「えー。ヴァイスちゃんも一緒がいいな」

 エアが、ハープの手を放して、ヴァイスの方に駆け寄ろうとするのを見て、カタリナはひたいに指を置いて、めんどくさいことになってきたぞとぼやいた。

「エア! そいつを信用しちゃダメよ。丁寧なフリして、いつも意地悪なんだから」

 ヴァイスは、困ったように笑う。

「仕方なくないですか? なんかこの子って、ちょっとイジメたくなりません?」

 カタリナは、正直、その気持ちは少しわかったが、関係を悪くしたくないので、黙っていることにした。

 エアは、困ったように両者をきょろきょろして、そのあとなぜかカタリナと目が合って、にへっと笑った。カタリナはため息をついた。

「まぁ、私も最近ずっとエアと一緒で、ひとりの時間が少し欲しかったから、二日くらい別行動しようか。お金渡しておくから、自由にしてていいからね」

 エアは寂しがるかと思ったが、別段そういうわけでもなく、カタリナから嬉しそうに小銭を受け取って、ハープのそばに駆け寄って、その頭を撫でた。ハープは気持ちよさそうに、ぐぐぐ、と喉から出てくるような声を鳴らした。

「エア、あなた、撫でるの上手ね」

「ハープちゃんも、撫でられるの上手だね!」

「当たり前よ!」

 そのほほえましい光景をカタリナもヴァイスももう少し見ていたかったが、ハープがふと我に返ったようにヴァイスをにらみつけたので、カタリナとヴァイスは互いに顔を見合わせて、並んで去ることにした。


「鳥人なんて、珍しいね」

 カタリナは、ヴァイスと出会ってからずっと、一度ふたりきりになって話したいと思っていた。ヴァイスの方も、カタリナに聞きたいことがいくつかあった。

「絶滅しかけてましたからね。聞くところによると、ある人が数百人しかもう残っていない鳥人の集落を保護して、人間の手の届かない孤島に移住させたらしいんですよ。で、時が経って帝国がそこを自国領にして、鳥人たちを保護し、帝国に住まわせるようになったんですが、あの子ハープは、いざというときに戦うことによって同胞を守るという役割を背負わされた不老者なんですよね。ま、鳥人たちの生き残りは喜んで帝国人として生きているみたいなんで、お役御免になって寂しい思いをしていたところを、ザルスシュトラさんが拾ったって形ですね」

「なかなか複雑な事情があるんだね。それで、なんで嫌われてるの?」

「いや、だってあの子面白いんですよ? なんていうか、ちょっと意地悪したくなっちゃうんですよね。かわいくて」

「気持ちはわからなくはないけど、でも嫌われたらそれも難しくなるんじゃないの?」

「もともとあの子、帝国嫌い、皇帝嫌いで、その眷属の私に対して結構偏見持ってたんですよ。最初から嫌われてるなら、いいかなぁと思って」

「なるほどね。あ、あとさっきの話だと、あの子はけっこう戦えるんだ?」

「はい。善悪の彼岸の中でもかなり上位の実力者だと思います。まぁ暴力は好まない性格だから、そんなに見る機会はないと思いますけど」

「一度手合わせしてみたいな」

「リナさんって、意外と武闘派ですよね」

「そういう風に生きてきたからね」



「で、なんで私があなたなんかと戦わなきゃいけないのよ!」

 海岸沿いの砂浜で、ちゃっかり鳥人用の長剣をその翼の背側に取り付けて武装しているハープが叫んだ。対面しているのは、ヴァイスだ。

「仲直りしたいと、私も思っているんですよ。ほら、私たち戦ったことないじゃないですか? もし戦ったら、ハープさんが私をぼこぼこにするじゃないですか? そしたら、すっきりしてハープさんのイライラも吹っ飛ぶんじゃないかと思って」

 ハープは顔をしかめたままだ。その理屈には納得できていない様子だった。

「まぁ、訓練は好きだから別にいいわよ。でも、手加減に失敗して怪我しても文句言わないでよね!」

「もちろんですよ」

 ヴァイスは、こぶしを握り締める。体全体が、白緑のうろこで覆われていく。対するハープは、翼を大きく広げ、宙に浮く。おそらく翼に施された術式で隠していたのであろうその膨大な魔力を惜しげもなく空気中にまき散らす。

「それじゃ、私から行かせてもらうわよ!」

 ハープはその体をひねり、翼ごと剣を振るう。その剣先から魔力の斬撃波が放たれ、ヴァイスは地面を蹴って回避する。ハープはもう一回転。もう一回転。回転するたびに放たれる二発の斬撃がハープから垂直方向に逃げるヴァイスを追いかける。その斬撃のサイズと威力は、回転が増すたびに増加していく。

「やっぱり私も何か強い遠距離の攻撃手段覚えた方がいいんですかね……」

 そもそも戦闘員でないヴァイスは、簡単な体術以外の戦闘技術を有していない。一通りの攻撃魔法は扱えるが、何百年も種の守護者として戦いを究めてきたハープにそれが通用するとは思えない。

 ハープは体を回すのをやめて、翼を広げる。

「もう終わりにするわ」

 その翼の内側についている羽が逆立ち、そのすべてがヴァイスの方を向いていた。一斉に射出されたそれは、驚くほどの追尾性能で走ってよけようとするヴァイスの右足だけを狙う。しかし羽の刃では、ヴァイスの固い鱗の装甲を破ることはできない。

「あれ、鳥人の守護者って、そんなに大したことないんですかね?」

 ヴァイスは煽るような言葉を放った後、地面を蹴り、飛び上がり、こぶしを振りかぶった。その瞬間、先ほど攻撃を受けた右足が強く、地面に向かって引っ張られ、抵抗しようにも足にうまく魔力が通らず、そのまま地面に落下し、砂埃を上げた。

 ヴァイスの右足は完全に砂の中に埋まってしまい、感覚もほとんど感じられなかった。おそらく遮断属性と接続属性の魔力に干渉されているのであろう。

「一応言っておくけど、私の羽は、私から離れても、回路が繋がってるから、好きに属性を変えられるし、術式だって遠隔で発動できるのよ」

「はぁ。なんか、やっぱり私って弱いんですかね」

 ハープは器用に翼に取り付けられた武具を外しながら近づき、その翼でヴァイスをいたわるように抱き起した。

「別に弱いことは悪いことじゃないわ。でも意地悪はダメよ」

 ハープは立派なことを言えたことが誇らしくて胸を張った。

「それに、鳥人属の守護者として、これくらい当然ね」

 ヴァイスは心の中で「何をえらそうに」と反感を感じずにいられなかったし、そもそもハープはもうすでに鳥人属の守護者でもなんでもない、帝国に馴染めなかった、不良野良鳥人だ。

「まぁ、いいですよ。カタリナさん、交代です。やっちゃってください」

「ハープ。私とも手合わせてしてもらえるかな」

「カタリナっていうのよね、あなた。どこかで名前を聞いたことがあるわ。思い出せないけど」


 ちょこんと膝を抱えて座っているエアの隣に戻ったヴァイスは「どっちが勝つと思いますか?」と尋ねた。エアは、悩むような仕草をしたあと「多分、ハープちゃんだと思う」と答えた。

「どうして?」

「なんとなく。それにしても、あのふたり、ちょっと戦い方似てるよね」

「言われたみたら、確かにそうかもしれません」


 両者の戦いは、魔力の斬撃波の打ち合いで始まった。ハープは空中で、カタリナは地上で剣を振るい、敵の攻撃は最小限の動きでかわしていく。まるで魚が水中を泳ぐかのように華麗に空中を舞うハープの姿は見事としかいいようがない、それだけでふたりを「おおー」と声をあげずにいらえなかった。

 一方カタリナの方は、剣を振るっている間に右腕を結晶が覆っていた。しかしその色は、エアが見たことのないものだった。黒ずんだ緑色のそれは、ぶくぶくと泡立ち、常に膨張しては縮小してを不規則に繰り返していた。

 先に仕掛けたのはカタリナだった。左手で振るう剣の攻撃に紛れて、右腕を横になぎ、緑黒の液体をハープに向けて飛ばした。ハープは一瞬翼で体を隠そうとしたが、何かを察したように無理やり体を捻り、高度を下げた。液体は一滴もハープに触れなかったが、地上に近いところに降りてきたハープに、カタリナの次の攻撃が襲う。

 砂の中から氷の柱が次々と飛び出し、ハープの体をかすめる。それだけでなく、ハープに近いところにある柱の先が破裂し、氷の破片をまき散らした。ハープは柱の間を高速で移動することで、一片も当たることなく回避し、カタリナの目前のところに勢いを殺さず突っ込む。翼の先につけた剣をカタリナの顔に突き付けて、その勢いのまま貫こうとする。カタリナは、その目に一切の手加減を感じなかった。死闘。油断をしてどちらかが死んだのならば、それは死んだほうが悪い。その目が、そう言っていた。

 ならば、とカタリナは応戦する。頭をひねって剣を回避し、その反動でどろどろにとけた右腕を、突き出されたその剣に合わせるように振るう。

 剣の先が、カタリナの腕に飲み込まれていく。ハープは勢いを殺さず、剣を捨ててそのままカタリナの背後遠くまで飛んでいく。カタリナは腕を振るい、突き刺さった剣を放った。それは回転しながら砂の中に突き刺さり、ものの数秒でどろどろに解けて砂の中に消えた。

「いやらしい戦い方をするのね」

「こんなにうまく対応されたのは初めてだよ」

「そう?」

 ハープは翼を体の内側に織り込むような仕草をしたあと、再び大きく広げた。その先には、先ほど捨てた短い剣が、両側に各六本、系十二本取り付けられていた。

 さらに、その翼の内側の羽がカタリナの方を向き、襲い掛かる。カタリナは先ほど自分が出現させた氷の柱の陰に逃げ込み、羽の追尾を回避しようとするが、その羽は氷の柱を器用に避けてカタリナの元に迫る。カタリナは舌打ちをして、近くにある氷を爆破させ、自分ごと羽を破壊した後、空中に飛び上がって仕切り直しをしようとした。しかし、下方から変わらず羽の刃が追ってきているのを見て、それが見た目以上に頑丈であることに気づく。

 エーテルを固めて壁を作り、それを何重にも重ねつつ、高度もあげていく。しかし羽の刃はそれを容易に突き破り、カタリナの元に迫る。ドロドロに溶けた上に、剣によって貫かれたままの右腕を自分を下方から追いかける翼に向ける。そして、その腕の根元にカタリナ自身の体を保護するように防御結界が発動する。腕が、爆発する。

 腐蝕属性の腕の残骸が液体となって下方にまき散らされる。エアとヴァイスは慌てて逃げ出す。少しでも触れたらただでは済まない。


 カタリナは、自分の元にハープが迫ってきているのを感じていた。右腕の再生は間に合わない。ハープは体全体をひねりながら、翼に取り付けられた十二本の剣を回転させながら迫りくる。剣先から放たれる魔力の斬撃をかわすことができず、簡易的なエーテルの防壁で防ごうとするが、容易に突破され、魔力の塊が肉体を殴打し、さらに上空に飛ばされる。この高さでは、ほとんど姿勢が制御できない。肘のところまで再構成された右腕も、先ほどの衝撃で吹き飛ばされ、続く斬撃波で再びダメになる。地上に容易したトドメ用の腐蝕属性を込めたアイスランスも、いくつかの罠の魔法も、この高さまでは絶対に届かない。

 カタリナは悔しい気持ちになりながらも、左手に握った剣を捨てて、手を挙げて、目をつぶった。すると、体全体が何か柔らかいもので包まれていくのを感じた。

「なかなか楽しかったわ。ありがとう」

「こちらこそ、いい経験ができたよ。ひとつ質問してもいいかな」

「いいわよ」

「あの羽の刃に対して、上空に逃げたのが敗因だったと自分では思ってるけど、もしあのまま地上を走って逃げたとしたら、あなたはどうしてた?」

「あなたが砂の中に氷柱の術式をあらかじめ構築していたのと同じように、私も砂の中にいくつかの術式を用意しておいたのに、空中に逃げたから無駄になっちゃったわ」

 そう言って、口笛を吹くとごおおおと音がして、下方から壁がふたりがいる高さまでせり上がってきた。しかもそれは四方を隙間なくうめており、完全に閉鎖されていた。試しにカタリナは、再構成された右腕をポケットに入れて、そこから釘を取り出して魔力を込めて、腐蝕属性を内側に組み込んだアイスボルトを壁に向かって放つが、それは簡単にはじかれる。

「腐蝕の反属性の魔力を込めておいたの。だから少し時間がかかっちゃった」

「今の私じゃ、逆立ちしてもあなたには敵わないな」

「でも、扱いの難しい腐蝕属性の魔法をあんなに使いこなせる人なんて、あなた以外には私の師匠しか知らないわ」

 二人は地上に降りてきて、自分たちが出したものを片づけたが、それでもカタリナが飛ばした腐蝕属性の液体が作った不自然な砂の穴は残ったままだった。

「その師匠の名前、聞いてもいい?」

「ノワール。有名人だから、知っているかな?」

「だと思った。じゃああなたは姉弟子だ」

 ハープはほほ笑む。戦いの中で、カタリナの師が自分の師と同じ人物であることを察していたのだ。

「私、ずっと末っ子として生きてきたから、お姉さんをやるのは無理だよ?」


 ハープとカタリナは、その後ヴァイスとエアにはわからないノワールという人物の話で花を咲かせていた。結局別荘にはハープとカタリナが止まることになり、ヴァイスとエアはふたりでリカタの街をぶらぶらすることになった。


「英雄、ね」

 ハープはカタリナが中央大陸に来た経緯を聞き終わったあと、遠くを見るような目でそうつぶやいた。あたりはもう暗く、机の上のランプの灯りがふたりを照らしていた。

「私は、確かに鳥人族の英雄だったわ。皆の憧れで、尊敬されてて、愛されていた。でも、帝国が私たちの暮らしに入ってきてから、私は昔話の一登場人物として、好奇の目でしか見られなくなったわ」

 ハープは、どこまでも自分の主観でしかものを考えられない人間だった。ふたりの兄は、自分たちの役割が変化したことと、他の鳥人たちからどう思われているかということを敏感に感じ取り、鳥人たちの暮らしが帝国風に変わっていくにしたがって、自分たちの在り方も変化させていった。今では、上の兄は学者として大成し、下の兄はある競技のトレーナーの職についており、業界では有名になっているらしい。

 ハープはどこまでも自分の役割と能力に固執した。兄たちと違い、不器用で、戦うことしか知らなかったハープは、帝国の平和な社会では、まったく必要とされず、どこにいっても残念で危険な子としてしか扱われなかった。

「帝国に、英雄なんていらなかったのよね」

「いずれ中央大陸もそうなると思う?」

「さぁね。わからないわ。もしそうなったら、ユーリア大陸までザルと一緒に逃げようかなって思ってるわ」

 ハープは、ザルスシュトラのことをザルと親し気に呼んでいた。

「ねぇハープ。私たちはこれから力の魔王エクソシアを倒しに行くけど、協力してくれない? あなたがいれば心強い」

「誘いは嬉しいけれど、それはダメだって言われてるの。それに、戦いも、別に好きじゃないし」

 実際、極めて優れた戦闘の才能を持ち、人々を守るためにたゆまぬ自己研鑽を続けてきたハープは、戦うということ自体があまり好きではなかった。

 彼女はただ、誰かに必要とされ、愛され、望まれて生きていたかっただけであったのだ。

 ザルスシュトラが失意に沈む彼女を見出し、中央大陸に連れてこなければ、自ら命を断っていたかもしれないほど、ハープという人間は、誰かに必要とされること自体を、必要とする人間だった。

 そしてハープは、断っていながらも、カタリナの誘いに少なくない喜びを感じていた。しかしそれ以上に、ザルスシュトラが自分にくれたもののことを思うと、その命令に背くことはできなかった。

「ザルスシュトラにそう言われているの?」

「うん。別のあの人のことは好きじゃないけど、居場所を作ってくれた恩はあるから。私の扱いが雑なのは気に入らないけど」

「じゃあ、ハープは力の魔王エクソシアのことはどう思う?」

 カタリナは、ハープが戦闘以外のことについてはあまり頭が回らない人間であることを感じ取っていた。だからこそ、ザルスシュトラが隠していることを漏らしたりするかもしれないと思い、ストレートに尋ねたのだ。

「あれは……魔物じゃないと思うわ。あと、最近魔物がこの近辺で少なくなっている原因も、あの魔王じゃない」

「何が原因だと思う?」

「それはわからないわ」

「善悪の彼岸と、三大魔王の間の関係は何か知っている?」

「イグニスのじじいが何かを企んでいて、ザルがそれにふざけて乗っかってるのは知ってるわ」

「ふざけてって」

「ザルは、ただ楽しみたいだけなのよ。私だってはじめは、あの人が私のことを必要としてくれたから連れ出してくれたと思ってたのに、ほんとはただ、その方が面白そうだったからってだけのことだったの。ザルのことは嫌いじゃないけど、話してると胸がざわつく」

 ハープはぽろぽろと涙を流しながら、語る。

「ノワールも、めったに会いに来てくれないし。帝国で幸せそうに生きてるにいたちに迷惑かけたくないし。寂しいよ」

 カタリナは、下心なく、ハープに同情し、もう一度誘いの言葉を口にする。

「ねぇハープ。やっぱり私たちと一緒に行かない? 魔王の討伐はダメでも、それまでの間同行するくらいなら、ザルスシュトラも許してくれるんじゃない?」

 ハープはしばらく黙っていたが、しばらくして、言いづらそうに答えた。

「ヴァイスがいやだからやだ」

 カタリナは、呆れを隠さない声色「どうして?」と尋ねた。

「だってあいつ、帝国のスパイだもん。しかも、いつも意地悪してくるし」

 カタリナは、ひたいに指をあてて悩む仕草をする。どうしようか考えたが、面倒くさかったので諦めることにした。

「まぁ、それじゃ仕方ないね」

 それにしても、とカタリナは頭の中で思考の方向を変える。

 力の魔王エクソシアを倒すのに戦力が足りないからヴァイスを紹介してくれたのに、そのヴァイスは明らかに戦力として中途半端だ。もちろん、皇帝がカタリナたちを監視したいという思惑のことを考えると、確かにヴァイスは適任だが、その場合でもハープを同行させない理由がわからない。

「ねぇハープ。なんでザルスシュトラは、ハープに、私たちと同行することを禁じたんだと思う?」

「私が行ったら、魔王をひとりで倒しちゃうからだと思うわ。なんか、エアに魔王を倒させたいみたいだったから」

 カタリナは、ザルスシュトラが語っていたことを思い出した。かつて強大な力を持っていたエアの力を分けたものが、三大魔王だという話。エアが魔王を倒すことで、エアの力が戻り、それによって……それによって何がしたいのだろう? 

 あのとき、ザルスシュトラの話していたことが、あまりに非現実的で、理解の及ばないものだったから、詳しいことや、おかしなところを指摘することがあまりできなかった。カタリナはそれを悔やみながら、次にザルスシュトラか、また別の何か知っていそうな人物がいたらちゃんと聞いてみようと思った。

「じゃあ、ハープはエアの正体って何だと思う?」

 ハープは首をかしげる。

「ヴァイスかイグニスの知り合いじゃないの?」

 想定外の問いに、カタリナは頭を悩ませる。

「え、だって髪の毛の色、白っぽいじゃない? あの子も、白竜人の血が混ざっているのかと思ったんだけど」

 確かに、緑白色の髪は珍しかったが、エアの体はどこからどうみても純人のものだった。実際に裸を何度も見たことがあるが、竜人種の特徴は見られなかった。

 とはいえ、もし純人と他人種のハーフの場合、純人の血の方が遺伝的に強いので、ほとんど純人族に近い体の子が生まれてくることが知られているため、それだけでは何とも言えなかった。

「エアに白竜人の血が混ざっているかもしれない、か。それは考えたこともなかったな」

「違うかもしれないけれどね。私、あの子に関しては何も聞かされていないわよ」

「ん。ちょっと待って、さっきイグニスって言ったよね? イグニスも、白竜人の血が混ざってるの?」

「ううん。知らない。でもあのおじいちゃんの素顔見たことがあるけど、若くて、エアとよく似た髪の色をしていたわ。緑がかった白色で、むかつくけど、きれいだったわ」

 カタリナはだんだん頭が痛くなってきた。不確定要素が多いのに、あいまいな情報ばかりが増えていく。エアとイグニスがもし血縁なら……だからどうだと言うのだろう? ザルスシュトラの情報と重ね合わせても、何か新しいことがわかるとは思えなかった。

「まぁでも、あの子はいい子ね。昨日たくさんお話したけれど、あんなに明るくて優しい子は他に知らないわ。イグニスとは大違い」

「そうだね。エアと一緒にいると、なんだか、自分がもっと純粋だったころを思い出すというか」

「わかるわ。生きること自体が幸せで、楽しかったころのことを思い出すの。でも少し、後ろめたい気持ちにもなる」

 ふたりはその後、眠くなるまでずっとエアという人物について、思い思いのことを語り合った。語れば語るほど、カタリナは、エアという人物に、自分がどうしようもなく惹かれていることを自覚せずにいられなかった。


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