21、不老者であること
ユーリア大陸では、英雄になりたいと思うこと自体は珍しいことでもなんでもなく、わざわざ語るほどのことでもなかったし、そういう目標を持っていることが分かったとしても、馬鹿にされることはなかった。
大ギルドは、新たな冒険者を常に必要としていた。だからこそ、英雄を志すことはよいことであり、その第一歩として冒険者として大ギルドに所属するという常識を、長い時間をかけて地域に根付かせていたのだ。
半面、ここ中央大陸では、そういった幼児の夢のようなものは誰からも馬鹿にされるうえに、気の毒に思われたりもする。
しかしそれなら、ここ中央大陸で魔王を滅ぼしたり、戦争を終わらせたりした者は、なんと呼ばれるのだろうか。憧れの対象になったりはしないのだろうか。
カタリナは、よく考える人間だった。自分の目標について熟考し、ときにはよく疑った。
中央大陸に来てから、何度も言われたことがある。お前は英雄らしい人間ではない。そういった否定的な言葉ひとつで傷つくほどカタリナは精神の弱い人間ではなかったものの、小さな不安の種のようなものは芽生えずにいられない。
まっすぐで、善良で、わかりやすい強さを持ち、人との関わりの中で成長していく、そういった人物を、英雄の典型例として皆あげる。剣聖アレクサンドラも、龍殺しのルクスも、知性ではなく、剣で道を切り開く者たちだった。そしてカタリナ自身も、そんな人間に憧れていた。
「自分のやっていることの意味をちゃんと分かっている人の方がかっこいいよ」
よく考える人間は、かつて自分が言われた言葉を何度も何度も自分の頭の中で繰り返す。それを言われた瞬間は、感動もしなければ、喜びの感情も湧き上がってこないが、何度も言葉を繰り返しているうちに、かみしめているうちに、その言葉の重みにうっとりし、幸せを感じることがある。
エアの言葉には、そういった力が宿っていて、カタリナはエアが自分について語った言葉を思い出すたびに、自分の道が正しいことを確認することができた。
「新しい英雄像、か」
冷静で、知的で、ひねくれていて、それほど強くなくて、自分のやっていることの意味をよく理解している。語りにくい人物だ。
でももしかすると、カタリナが聞いて憧れてきたような英雄譚も全部、語られていく中で次第に、誰でも語ることができるように単純化されていっただけで、元となった人物は皆、カタリナと同じように、どこか冷たいところがあり、現実的に考え、そして自分の行動が後の世にどんな影響を及ぼすか、ちゃんと気にしていたのかもしれない。
語られる際に、消えてしまう本当のことは確かにある。それを、なかったものとして扱うこと自体が愚かなことなのではないか?
「いずれ消えてしまう、本当のこと、か」
隣ではエアがぐっすり眠っている。ラグーザについた時にはもう夕暮れであり、新しい仲間との顔合わせは明日にしようということになった。
ザルスシュトラがふたりの宿を決めてくれることになって、エアとカタリナは別室がいいかと尋ねてきたが、エアが一緒がいいというので、カタリナたちはひとつのベッドの上で寝そべっている。
エアは寝つきも寝相もいい。その寝顔も、何ひとつ不安なことなどないかのように、幸せそのものを体現したようなようすだった。
ただ見ているだけで、心が和み、旅の疲れが癒されていくようで、もし自分が子供を作っていたら、ということをカタリナは想像せずにいられなかった。
不老の術式は、人体にあらかじめ備わった生殖の術式とトレードオフの関係にある。
当然のことだが、生物は時とともに自らの肉体を滅ぼしていく。同時に、異なる同種の存在という、ある意味矛盾した存在との交わりによって、新たな異なる命をはじめられるからこそ、種の可能性が開けていく。有限であるがゆえに、新たな有限を際限なく生み出していくという無限の連鎖が、生物の本質である。
もし前の世代の者が永遠の命を手に入れてしまえば、次の世代を作る意味がなくなってしまうし、種そのものの成長も止まってしまう。
不老の術式は、ある意味では、生物としての、種としての役割を捨て、個人としての役割に誓いを立てることだ。
そのときふと疑問に思った。エアはどうなのだろうか? 彼女がかつて封印されていたことが確かだったとすると、彼女はもしかするとカタリナが思っているよりもずっと長い時を生きてきている可能性がある。彼女もまた不老者であり、長い時をひとりで生きることを定められた者かもしれない。
別の命に、自らの一部を託してこの世を去ることができなくなった、そういう人物であるのかもしれない。
後悔はしていない。よく不老者の中に、不老の術式を完成させる前にひとりかふたり子供を作っておいて、その行く末を見守る楽しみを作っておけばよかったと語る者がいる。しかし、たいてい子供を作ってしまえば、不老の術式を完成させるという大仕事に対する情熱が失せてしまうとされている。自分が時とともに老い、自然に死んでいくことが、むしろ喜ばしいことに思えて、それを拒むことなど馬鹿げていると思わずにいられないという。
想像は難くない。老いていく人々のそばで、自分だけが老いないというのは、それだけで寂しく、空しくなるものである。そういう思いをしたくないから、どの地域に行っても不老者は不老者と惹かれ合い、つるむようになる。
直近の例だと、ザルスシュトラとイグニスだ。一目見て、彼らがそうであるとカタリナは理解した。長い時を生きていて、外見がずっと変わらない者たち。魔力が衰えず、永遠にその技術を高められる者。
不老者は、何らかの生きる目的を必要とする。カタリナの師匠であるノワールもそう言った。
「私の役割は、人間を愛し、守ることだと思っている。そうしている限り、私は自らの無意味な生を、意味のあるものとして捉えられるから」
その感覚は、未だカタリナにはわからないが、いずれ分かるようになるのではないかと予想していた。