20、道の魔王ソフィスエイティア
カタリナがザルスシュトラのことをどう思っていようとも、三人は会話を弾ませながらラグーザへの道を歩く。
森の中を貫く一本道を歩き始めて数十分が経ち、ふと会話の流れが止まったあと、ザルスシュトラは確認するように言った。
「この森を抜けたらラグーザに着くみたいだな」
ラグーザに着いたら、ザルスシュトラは知り合いを紹介し、カタリナとエアの旅に同行させる予定だった。
「ねぇるーくん。私たちの仲間になる子ってどんな子?」
「美女だ」
カタリナとエアは顔を見合わせる。同時に首をかしげる。
「美女って、どれくらい?」
「君たち二人よりもさらに綺麗なくらいだ」
カタリナとエアは互いに首をかしげる。互いに、容姿にはあまり興味がなかったので、お互いのことを美人だと思ったこともなければ、自分たち以上の美人といわれても、よくわからなかった。
「るーくんは、女性の容姿、けっこう気にするの?」
「女性に限らず、人の容姿はよく見るようにしているな。人柄も出るし、どのような境遇に生まれついたのかもわかる」
「いまいちピンとこないな」
「たとえば、カタリナは、二十歳あたりで年を取らなくなっているが、不老と言えども外見は多少変化する。肌の質はあまりよくないし、髪も傷んでいる。しゃべるときに少しだけ口がゆがむのも、おそらく自覚していないだろう」
「え? そうなの?」
カタリナは自分の口元を触り、エーテルを鏡面化し、あいうえおと言いながら自分の口元をチェックする。
「確かに微妙に歪んでる。気づかなかった。エア、気づいてた?」
「ううん。でも言われてみたら確かにそうかも」
「つまり、カタリナは、自分の容姿にあまり興味がないことが、その顔つきから十分に推察できる。そのうえ、会話時の表情が乏しいにもかかわらず、口元や眉は、何かあるたびに豊かに動くことから、感情は豊かであり、理性によってそれをうまく制御していることもわかる」
「ほえー! すごーい! え、え! それじゃあ私は?」
「君は見たまんまだ。天真爛漫、純真無垢、善良さと無邪気さの塊で、それでいて妙に意志が強く、人間を心の底から愛している」
べた褒めされて、エアは照れくさそうに頭を掻く。
「その反面、自分自身にも他の個人にもほとんど興味がなく、何か間違いがあっても反省しない上、問題が生じた時のその原因となった人物を、つまり悪人を、普通の人間と同じように扱うため、他の人からは平等ではあるが公平ではない人間だと思われがちだろう。人から愛され、求められる人間であると同時に、人から利用され、搾取され続け、破滅する未来が容易に予想される人格だ」
エアは肩をすくめて、目をつぶって眉をあげ、口を伸ばし、変な顔をする。カタリナは、エアの思惑通り笑いを抑えられず声を漏らしてしまう。
「ぷふふ。あ、えーっと、じゃあ、あなた自身はどうなの。ザルスシュトラ」
「私は、人並み以上に外見を気にしていながら、外見を気にしていない人物だと思われたがっている、めんどくさい人間だ」
けらけらとエアは笑う。カタリナは呆れながら「自分でそれ言う?」と突っ込んだ。
「さて、それにしても、気づいているか、ふたりとも」
「何が?」
エアは呑気に足を高く上げて機嫌よく歩いている。カタリナは、ふと黙って空気中の魔力に意識を向けた。異常だ。
「エアも、少し周囲に気を配ってごらん?」
「あれ、ほんとだ。なんか変だ」
先ほどから、空気中の魔力、エーテルの質が一切変化しないのだ。通常、魔力は風や水の流れと同じように、常に流れているがゆえに、つかみどころがなく、その空間を流れている魔力の特徴は、少しずつ変化し続けている。にもかかわらず、三人が歩いている道は、自分たちが動き続けているにもかかわらず、ずっと魔力の質が同じで、まるで時が止まっているかのように思われた。
「これは……人為的に張られた結界に近い気がするけど」
「その割には範囲が広すぎる。数分前からずっとそうだ」
ザルスシュトラはとても落ち着いている。カタリナも、焦ってはいない。エアは、何が問題なのかよくわかっていない。
「慎重に進むしかなさそうだね」
「そうだな」
エアは、ザルスシュトラの顔をちらっと見た。先ほどザルスシュトラが言ったように、人の外見、表情や仕草をもっとよく見てみようと思ったのだ。
ザルスシュトラは、痩せてはいるが、最低限の筋肉はちゃんとついている。表情は、カタリナ以上に固く、眉も口元もあまり動かないのに、言葉から感情がありありと伝わってくる。でもその感情が、作られたものなのか、自然に生じたものなのかはわからない。
「厄介なことになったな」
その口ぶりからは、嘘のにおいは少しもしなかった。だが、何か事情を知っていそうだとエアは感じた。この現象に、心当たりがあるような。
「るーくん。さっきから、景色も全然変わってないよね」
「そうだな」
「リナちゃん。こういうのって経験ある」
「一度だけ。ユーリア大陸の北東には、迷いの森と呼ばれる場所があって、そこは土地の魔力の動きがきわめて規則的かつ似通っているうえに、進んでいても景色がずっと変わらない。でもその森は、道が入り組んでいるから迷って出られなくなるのであって……」
「今私たちが通っている道は、先ほどからずっとほぼ直線であるにもかかわらず、進んでいる感じがしない。そうだな?」
「まるで空間が引き伸ばされているみたい。いや。別の空間に迷い込まされた? でも、そんなことが……」
三人は黙って歩き続ける。本来なら、もうとっくにラグーザについているはずの距離を歩いている。
「カタリナ。君は転移の魔法を使えるか?」
「使えない。理論的なことも、十分に把握できていない。ザルスシュトラは?」
「理解はできているが、扱えはしない。世界機構の理論も、座標書き換えの過程も理解しているが、実際に魔力を操作して行うのは無理だ。前、試しにどうでもいい道具の座標転移を試したが、粉々に砕け散った。これが自分の体だったらと想像して、二度と手を出さないと誓ったよ」
「……転移の魔法に関連して、私はひとつこんな話を聞いたことがある。長距離を瞬間的に移動する方法はふたつあり、ひとつは今話した座標転移。もうひとつは、空間に扉を作り、別の場所につなげること。そっちの方の理論はまだわかっていないと聞いている」
「そうだな。確か吸血鬼ルイナだったか?」
東の大陸で名を知られている吸血鬼ルイナは、知性を持ち、自力で不老の術式を自らの肉体に施すことに成功した魔物である。ノワールと違うのは、自らの人間への本能的敵意を、術式によって抑えていない点にある。ノワールと仲がいいという話はよく聞くが、彼女自身は大ギルドと敵対関係にある。
彼女は、扉の魔法で長距離を一瞬で移動することができ、そのせいでギルドもなかなか討伐できないでいるのだ。
「魔物は私たちの理論ではまだ解明できていない魔法を使いこなすことがある」
カタリナは、確認するようにそう言った。
「そう。だからこれも、その一種なんじゃないかと私は考えている」
三人は、目の前に不穏なものを見つけて立ち止まる。馬車だ。それも、壊れた馬車。その手前には、馬の骨がある。馬車の中をのぞくと、人間の骨が、おそらく三人分。
「向き的に、戻ろうとしたのかな」
「今から戻るか?」
「そうしよう」
三人は引き返したが、三十分ほど歩いて、先ほどの馬車と全く同じものが、今度は反対向きで存在していた。
「ループしているな。完全に閉じ込められている」
「空は?」
エアがそう尋ねて、三人は頭上を見上げる。空は狭いが青い。
エアはまだ飛行の魔法が使えないので、空気中にエーテルの塊を都度作り出して、そこに飛び乗る形で上空にあがっていく。残りの二人は、空気中を泳ぐように、スムーズに上昇していく。
「壁がある」
エアがふたりにやっと追いついたと思った時、頭に衝撃を受けた。
「あいて」
見えない壁が、上空を覆っていた。
空から見下ろす森とそこを通る一本の道は、上から見ても、どこまでも続いているように見えた。
「壁を壊すのが早いと思う」
「同感だ」
ふたりがそれぞれ強力な術式を準備しようとしたとき、後ろから聞きなれない声が響いた。
「それは困るな」
三人は振り返った。そこには小さな女の子がいた。
「最近、おかしな女の子に絡まれることが多いね」
エアは、少し嬉しそうにそう言った。
その子は、顔も髪もどろどろに溶けており、服もまた、体の一部と混ざっていて、空間との境界線があいまいだった。
「あなたは何?」
カタリナは臨戦態勢を維持したまま問う。
「私は……」
その女の子は、ザルスシュトラが顔をしかめていることに気が付いて、言葉を選ばなくてはならないことを察した。
「私は、人食いの森」
「あ、嘘ついてる!」
エアは無邪気に指摘する。
女の子の声には、明確に迷いと怯えが含まれていた。しかも、相手の様子をうかがうようなニュアンスもあり、エアでなくとも明らかに嘘なのではないかと疑うような声だった。
「それが嘘にせよ、本当にせよ、この森が魔物の一種で、滅ぼさなければならないことに変わりはなさそうだね」
「そうだな」
ザルスシュトラは、カタリナに任せようと、諦めたように戦闘態勢を解いて、地上に降りていった。意外なことに、いつ襲ってきてもおかしくないカタリナに対して、女の子は意識を外し、背を向けて、ザルスシュトラのあとを追うように道の方に戻っていったので、ふたりもそちらに行かざるを得なくなった。
「その、そこをまっすぐに行けば、出られるから」
地面に降りる途中で、その溶けた女の子はそう言った。
「できれば、ひとり残ってほしかったけど」
「どうして?」
エアは尋ねる。
「おなかが空いて。しばらく、誰も食べてないから……」
「人食いであることは嘘じゃないみたいだね」
カタリナは、左手で湾刀を抜く。
「ザルスシュトラ。反対意見はある?」
「ないよ。魔物の一種なら、殺すしかない」
その言葉からは一切の感情が抜け落ちていた。エアは「ちょっと待って!」とふたりを止めた。
「私が残るよ」
「はぁ?」
カタリナは、声を荒げる。溶けた女の子は「本当?」と嬉しそうな声をあげる。
「自分が何言ってるかわかってる?」
「うん。そこの子は、お腹が空いているんだよね? で、多分、動物を食べたいんだよね」
「ううん。知性を持った生き物が食べたいの」
「何その条件」
カタリナは、不信感をあらわにする。
「食べられるのは嫌だけど、一緒にどうしたらいいか考えることならできるかなって」
「カタリナ」
ザルスシュトラは、その子を殺すようカタリナにプレッシャーをかける。カタリナは、黙って左手に握ったサーベルを振りぬいた。見えない斬撃が、少女の肉体を霧のように払う。
「やっぱり単なる像か」
「おそらく私たちを逃がすつもりはないみたいだ。このまままっすぐ行けば出られるというのも、嘘だろう。やはり、壁を破壊するしかない」
「だからそれは困るって」
再び三人の後ろに、少女が現れる。
「困るということは、有効であるということだ。やれ。カタリナ」
「わかってる」
「やめて!」
カタリナは、右手を握り締め、ぶつぶつと呪文を唱える。右手の拳を中心に、魔法陣が形成され、彼女が手を開くと、魔法陣が拡大する。彼女の全身と同じほどの直系の魔法陣が、空間中、斜め上空に向けて固定される。
「出してあげるから!」
溶けた少女は悲痛な声をあげる。
「やれ」
ザルスシュトラは冷酷だ。
「リナちゃん」
エアが、小さな声でカタリナを呼ぶ。
「なに?」
「やめてあげようよ」
「どうして?」
「この子だって、生きてる」
「私たちだって生きていて、彼女は私たちを殺して食おうとした」
「その通りだと私も思う。エア、単なる感情に任せた善良さは、己の身を滅ぼすだけだ」
その言葉と同時に、ぱっと視界が開けはじめた。前方の木々が地面に溶けて行って、街の城壁が遠くに見えた。
「ま、間に合った」
カタリナは術式を解いて、振り返った。溶けた女の子が、遠ざかっていく。森そのものが、空間が引き伸ばされるように、急速に遠ざかっていく。
カタリナは再び術式を構築して、一撃食らわせようかと考えるが、エアの悲しそうな目を見て、やめた。しかし、納得したわけじゃない。
「なんで止めたの」
「だって……」
「おそらくあの化け物は、今後多くの人々を食らい、さらに厄介な存在になることだろう」
ザルスシュトラの声から、少しずつ感情が戻ってくる。
「とはいえ、私としてはエアの選択が間違っていたとは思わないがな」
「え? あなた、私にやれって命令してたよね?」
「そうしないと出してもらえないと思ったからだ」
「るーくんちょっと怖かったよ?」
「ごめんな」
ザルスシュトラはエアの頭をなでようとするが、カタリナに手をはたかれる。ザルスシュトラは肩をすくめる。
「済んだことだからいいけど、エアはもっと自分の身を守ることを考えるべきだと思う」
「それに関しては私も同感だ」
「うん」
エアは、あまり納得していない様子でうなずいた。
ともあれ、三人はラグーザに無事、到着することができた。三人ともほっとしたが、ザルスシュトラは、ふたりとはまた別の意味でだった。
今遭遇した化け物は、世間を騒がせている三大魔王が一体、道の魔王、ソフィスエイティアだった。
ザルスシュトラは、自分たちが今ここで彼女と遭遇するとは少しも考えていなかったし、そもそも彼自身、ソフィスエイティアを、人を迷わせ、命ごと知性を奪うという、極めて抽象的な説明しか受けていなかった。
ともかく、ここでソフィスエイティアを討滅してしまうと、イグニスの計画に支障が出るかもしれない。ザルスシュトラとしては、何事もなくやり過ごせたことに、ほっとしていたのだ。