18、ザルスシュトラとイグニス
「おおー。あれが力の魔王か。元気いっぱいだな」
背の高い黒髪の男は、宙に浮かんだまま遠くを見通すように手を目の上にかざした。
力の魔王は、常に嵐を身にまとっている。防御の術式を扱えない者は、近づくこともままならないだろう。
ただその中心にあるいるのは小さな少年であり、その手には、巨大な大剣が握られている。それを一振りするだけで、強大な魔力の斬撃が、その行き先を切り裂くというより、叩き潰すように、破壊し尽くす。
「おいイグニス。あれ、大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。制御はできている」
「制御、ねぇ」
黒髪の男の隣に立っているのは、赤い服を全身に身をまとった老魔術師。
「ザルスシュトラ。予定では、パレルモの手前、モンレアーレの要塞で力の魔王を足止めし、引き返させる」
「倒してはいけないんだな?」
「あぁ。それはまだだ。エア自身に、やつを倒させる。ただ、ひとつ、いやふたつ計算違いのことがあってな」
「何?」
「黒夜梟が紹介してきた冒険者崩れのあの女、カタリナと言ったか。あいつは想定していたよりずっと腕が立つ上に、冷静で、状況判断能力が優れすぎている。英雄になるなんていう馬鹿げた目標を掲げる奴だから、向こう見ずで頭の足りない体内循環魔力量だけが取り柄の二流魔術師だと思っていたが、そうじゃない」
「じゃあ、排除するか?」
ザルスシュトラは当たり前のような顔で、ぶっそうな提案をする。
「いや、そのつもりはない。うまくその優秀さを利用する方針で進める。もうひとつの問題の方が厄介だ」
「それは何かな」
「セラが想定していた以上に弱く、無能であることだ」
ザルスシュトラは「あー」とまの抜けた声を出した。遠くの方で暴れまわっているエクソシアを見ながら、ため息をついた。
「そのうえ、頭が悪く、どれだけ言っても理解しないうえに、思うように動かない。行動原理も、はっきりとはわからない」
「四体目の魔王のなりそこない、か。本来どんな魔王になる予定だったんだ?」
「もともと不確定要素があまりに多い計画だったから、そこまで綿密に考えていたわけではない。その場その場で判断しつつことを進めている」
ザルスシュトラは、首を捻った。
「でも、そこまでして君は何がしたいんだ? 刺焔のイグニス」
「そのバカみたいな二つ名はやめてくれ」
「ははは。ごまかさないで聞かせてくれてもいいじゃないか」
「とても個人的なことだ。だが、世界にとっても重要なことでもある」
「世界にとっても、か」
「そうだ」
「善良すぎたがゆえに、人々を不幸にするしかなくなった人間の存在を許すか否か、か」
ザルスシュトラは、かつてイグニスが言っていた言葉をそのまま口に出した。その言葉の具体的な意味は、まだ分からなかった。
「俺は生に飽きていたが、この計画を思いついてからは、また世界を愛おしく思えるようになったんだ。お前たち彼岸の連中のおかげでもあるかもしれない」
「お、珍しいな。君が私たちを褒めるなんて」
「気難しい老人のふりをするのは疲れてきたんだ。セラのこともある。お前との付き合いも長くなってきた。互いのことをある程度は、知っておいてもいいだろう」
ザルスシュトラは、イグニスを見てその言葉にうなずく。同意をしようと口を開く前に、イグニスは言葉を繋ぎ、遮る。
「だが、俺はわかっているぞ。俺がお前に好意を抱く理由は、単にお前がそう仕向けたからだ。ザルスシュトラ。俺の方がお前に聞きたい。お前は何がしたいんだ? 人々は皆言っている。お前は皇帝の尖兵なのではないか、と」
「私は皇帝の友人ではあるが、仲間ではないよ。というより……私はあのかたとは真逆の生を望んでいるにもかかわらず、あのかたは私をコントロールし、自分の都合のいいように使おうとしている。それにあらがえない自分がいる。
私もよく自分自身に問う。ザルスシュトラ。お前はいったい何者なのか、と。どちら側なのか、と」
「いつも思うが、お前のその正直さは奇妙だ。自然状態のままでは意識にあがってこないようなお前自身の心の深部まで、お前は自ら意識的に切り込み、さらけ出す。どうしてそんなことができる?」
「それは君自身に問うべきだろう、イグニス。私のこの癖が、君にもうつっているから、君は私に対してこんな無駄話をするようになったんだろう?」
イグニスは、はっ、と馬鹿にしたように笑った。
「だとすると、お前の正直さは、見せかけの、選び抜かれた複雑な外向きの自分に過ぎないということになるな」
「そうだよ、イグニス。私も君も、もっとも大切なことは誰にも言わず隠し持っている」
「いいや、隠しているのは、もっとも大切にしていることではなく、もっとも捨て去ってしまいたい事柄だろう」
「どれだけ捨てたくても捨てられなかったものが、もっとも大切なことなんだ。わかるだろう、今の君なら」
「うんざりだな」
ふたりはその以上、言葉を交わすことなく、別れていった。
ザルスシュトラは、素早く空を飛び、エアたちの元へ向かった。