15、セラの襲撃
隻腕であると、服を着るのも一苦労である。エアは、最初のころこそ苦戦したものの、慣れてきたということと、カタリナから教わった日常的な魔力の操作を身に着けたことによって、ほとんど問題にならなくなっていた。
「こんな便利な力があるのに、なんでみんな教えてくれなかったんだろう。いや、みんなも知らなかったのか」
魔力はどんなところにもあり、人間の体も、普通十分な量の魔力で満ちている。カタリナほど潤沢な魔力を保持しておらずとも、エアのような平均的な体内循環魔力量の人間でも知識と技術さえあれば十分に魔法を扱うことができる。
ただ、魔法を扱う上で問題となるのは、その理論が難解であるうえに、扱う上で重要なのは感覚的な部分であること。魔力に対する繊細な感覚がなければ、ただそれをむやみやたらに放出することしかできない。力の性質と向きをていねいに調整することは、才能のある人間にとってできて当たり前のことであるが、たいていの人間にとっては、長期間の努力を必要とする技能だった。
エアは自分の才能に無自覚であったが、カタリナはそれに気づいていた。思考の回転速度は並であるものの、概念把握能力、理解力、判断力は極めて高く、それ以上に目に付くのは、魔力に対する非常に繊細な感覚と、その技術の精密さである。
そんなことはいざ知らず、エアはカタリナに教えてもらったばかりの魔法に夢中になっていた。
温泉に入ったはいいものの、すぐにのぼせてしまい、先に出てしまったエアは退屈しており、空気中の魔力、エーテルを集めて温めてみたり、それを固形化して透明なナイフを作って遊んだりして、カタリナが風呂からあがってくるのを脱衣所の外で待っていた。
「エア」
そんな時、忘れることもできないような異形の姿がエアの前に降り立った。優雅に、華麗に。翼のうち二枚で足元を隠し、もう二枚で胴体を隠している。顔と胸元だけが見えている状態の少女は、エアをまっすぐに見つめている。
「えっと……セラちゃんって呼ばれてたよね?」
セラはうなずく。
「エア。左手はどうしたの」
その口ぶりは、どこか悲しそうで、心配そうで、愛情のこもったものだった。
「ええっと」
エアはどう説明すればいいかわからずに、首をかしげて、残った右腕でほほをかいて、笑う。
「事故っちゃって」
「……誰かに奪われたの?」
「え? いやそういうんじゃないよ。ほんとにただ、不幸なことがあって。誰が悪いというわけじゃないよ」
エアはもうすでに、詳しいことは忘れていた。がれきが落ちてきて、それを支えようとしたが、概念形装でおおわれていない部分が衝撃に耐えきれず激しく損傷し、治療もまに合わず、腐り落ちてしまった。エアはそう記憶していた。
「……つらくないの?」
「つらい? なんで?」
セラは、神妙な表情で首を振って、話を変える。
「……一緒にいる人は、優しくしてくれてる?」
「リナちゃんのこと? うん。すごくよくしてくれてる」
「……そっか」
その声色と表情には、安心したような、寂しいような、そんな複雑な感情が込められていた。
「それで、エア。伝えたいことがあるから、来てくれないかな」
セラは、残った二枚の翼で顔を隠して、背を向けた。背には大きな目がついており、エアをじっと見つめている。六枚の翼は、その目のまつ毛のように、下のまぶたに一対、上のまぶたに二対ついていた。
エアはそれを見ても、少しも驚かなかった。
「背中にも目があるんだね」
「すべてのものが見えるようにね。それで、来てくれる?」
背中の目が瞬きをする。
「うん。いいけど、リナちゃんが心配しないようにすぐ終わらせてくれる?」
「もちろん。すぐに終わるよ」
セラは、村を出て、山の中に入っていった。しばらく歩き、比較的平らで開けた場所に出た時、セラは振り向きざまに二枚の翼をエアに伸ばしてきた。
エアは、自分が攻撃される可能性があることをわかっていた。わかったうえで、セラを信じてみていた。だから、騙されたことを、少し残念に思った。
エアは右腕に純白のガントレットを身に着け、翼を掴むのではなく、握り拳で打ち付けた。翼は地面に叩きつけられる。セラは突っ立ったまま、目を見開いている。
「どうして?」
「リナちゃんに鍛えられて、さ」
「そうじゃない。いや、でも……」
セラは自分でそう言って、何かに納得したようにうなずいた。そして、叩き落された翼を自分の背に戻し、目をつぶり、祈るようなしぐさをした。彼女の両腕が、鎧に覆われていく。その形状は、エアが身に着けているものとそっくりだった。エアは片腕だと肩まで、両腕だと肘までしか発現させることができなかったが、セラは、肩までを鎧で覆うことができていた。
「エア。私はあなたを捕まえる。捕まえて、また封印する」
「封印? 私、封印されてたの?」
それだけではない。セラは、右手で何かを掴んでいる。剣の柄だ。短剣だろうかとエアは思ったが、その剣先はゆっくりと伸びていき、最後には彼女の背丈よりも長い、両刃の大剣となった。セラはそれを地面に引きずりながら、エアに近づいていく。射程に入ると、剣を上空に掲げ、振り下ろそうとした。エアは、右腕で受け止めようと、顔の前に掲げた。
振り下ろされた大剣は、エアの切断された左肩をかすめ、地面に突き刺さった。エアがそこに注意を向けたその刹那、六枚の翼がエアの全身に絡みついた。エアは抵抗を諦めて力を抜き、概念形装を解いた。
「でも、どうして私は封印されなくちゃいけないの?」
同じくセラも概念形装を解いた。地面に突き刺さった大剣は、エーテルの中に溶けて消えていった。
「そうしないと……傷ついてしまうから」
「何が?」
「エア自身が」
「この腕みたいに?」
「ううん。もっと大事なものが」
セラは、エアにもっと伝えたいことがあった。だが、それは言葉にならなかった。知っている言葉の数が少なかったし、セラ自信、エアの事情のほとんどを把握できていなかった。ただ彼女は、エアが封印されなくてはならないことだけは、はっきりわかっていた。
「エアを放して」
セラは、後ろから嫌な気配を感じて、エアの拘束を解かず盾にする形で振り向いた。背中についている目でものを見ることは、まだセラにはできなかった。
「その目は飾りなんだね」
「本当はもっといろいろなものが見えるはずなんだけど」
カタリナは、セラの魔力の痕跡をたどってすぐにエアに追い付いてきた。そして、ふたりの会話を盗み聞きし、その戦いを傍観し、ちょうどいいタイミングで出てきたのだ。
「いつからいたの」
「最初からだよ。エアが風呂から出てすぐ、覚えのある異様な魔力を感じたからね。一度会ってるんだ。わかるに決まってる」
実際、セラが身にまとっている魔力は異様だった。六本の翼と二本の腕には、それぞれ八指向性のうちひとつが極端になった魔力を練り続け、空気中に放出していた。
「でもさ、結局魔法って、その組み合わせが重要なんだよね」
「それくらい知ってる!」
セラはエアを拘束している翼のうち二枚を、螺旋を描くように回転しながらカタリナに伸ばした
カタリナは容赦なく左手に持ったサーベルを振りぬいた。魔力の斬撃が飛び、翼は光の羽をばらまきながら弾けた。セラが次の手を考えようとするその前に、カタリナは踏み込んでいた。セラの無防備になっている顔面に、容赦なく蹴りを入れた。魔力は込められていない。そんなのは無用と言わんばかりの早く鋭い飛び蹴りをもろに食らい、セラはエアを放して翼を戻した。木の幹に叩きつけられたものの、背の翼で衝撃は受け止めたので、ダメージは少なかった。だが、蹴られた顔からは鼻血が噴き出し、真っ白な翼とドレスを赤く染めていた。
「うわぁ。容赦ないね、リナちゃん」
「なんであなたはそんなに呑気なの」
リナはセラから視線を外さず、少し苛立ってそう言った。服にしみこんだ赤い血が、溶けて、薄くなり、最後にはまた白に戻った。
セラの両腕が鎧に包まれていく。両腕だけではない。体全体が、再び鎧に覆われていく。リナはその間にとどめを刺すことも考えたが、待つことにした。
鼻を鳴らし、自信満々に笑う。
「まぁ、試してみたかったんだよね。その鎧、どうやったら壊せるか。エア、その辺に隠れてて」
「了解!」
先ほどまで絶体絶命であったことも忘れて、エアは近くの木の幹のそばで、ほとんど全身をさらしてふたりの戦いを見守ることにした。
先に動いたのはセラだった。エアの時と同様、大剣を振り上げる。その小さな体ふたつ分ほどの長さの大剣を軽々と扱うその姿は、あまりにアンバランスで、思わずカタリナは笑ってしまう。それだけの余裕があった。
エアの時とは異なり、セラは外すつもりはなかった。顔を蹴られて怒っていたというのもある。でも殺すほどのことではないと自分に言い聞かせて、エアと同じ、左腕一本で許してやろうとセラは考えていた。
カタリナは、その剣の切れ味を試すかのように、上空に手を広げ、エーテルの壁を作り出した。それを冷属性で瞬時に凍結させた。剣と、氷の盾がぶつかった衝撃で、魔力の破片が飛び散る。飛び散った破片がセラの鎧に当たって弾ける。鎧に傷はない。それはカタリナの想定通り。
大剣は、盾を切り裂くというより、粉々に粉砕した。少し減速したもの、確かに振り下ろされたそれは、空を切り、地面に突き刺さった。カタリナは「けっこう普通の大剣みたいだね」と、余裕を見せながらセラの気づかぬ間に大剣の射程から外れた場所に立っている。右腕には、シグと戦った時と同様の、氷のガントレットを身に着けている。
セラは、カタリナの動きについていけていなかった。カタリナはその右手を振りかぶるが、先ほどよりワンテンポ遅く、顔面を殴られる前に、セラは自分の両腕を顔の前に持ってきて、防ごうとした。氷の鎧と、純白の鎧がぶつかり合う。砕けたのは、氷の鎧。
「ま、そうだよね」
カタリナはまた飛びのく。砕けたはずの腕が、もうすでにもとに戻っている。セラは、腕を戻そうとしたが、動かない。両腕が、凍り付き、しかもそれが体全体に広がっていた。セラは慌てて地面に突き刺さっている大剣の柄に自分の腕をぶつけて氷を砕こうとするが、うまくいかない。
「魔力の指向性の知識がないと、こういうのに対処ができないんだよ、エア」
すぐそばで見ているエアにカタリナは話しかける。
「あれは、冷と伝であってる?」
エアは問う。
「今回は、そのふたつだけ。だから、熱と遮の属性、あの子なら右の二枚目の翼と左の三枚目の翼でふれるだけで、多分とける」
それを聞いていたセラは、言われた通り、右の二枚目の翼と左の三枚目の翼で凍っている両の腕を覆った。しかし、とけるのではなく、逆に氷がさらに分厚くなり、その進行も早くなった。そのうえ、ふれた二枚の翼まで凍り付いた。
「あはは!」
カタリナは大声で笑う。今言った二枚の翼は、それぞれ冷と伝をまとっているため、当然その魔力を付与すれば、カタリナがかけた術式が強化される。
「リナちゃんって、実は性格悪い?」
エアに指摘されて、慌ててカタリナは口をつぐむ。今のは、英雄らしくなかった。いやでも、まさかこんな簡単に引っかかるとは思っていなかった。
氷が足に到達し、地面まで凍っていた。セラはもうほとんど動けなくなっていた。顔まで凍り付きそうになって、ぐす、と鼻水をすする音が二人の耳に届いた。
「え、泣いてるの?」
エアは心配そうにそうたずねた。
「泣いてない!」
叫んだが、明らかに涙声だった。
「リナちゃん、といてあげなよ。かわいそうだよ」
「わかってるって」
カタリナはゆっくりと近づき、彼女の体に触れて、氷の進行を止めた。だが、拘束を解くつもりはなかった。
「いろいろ、話してもらおうかな」
「な、何も言わない!」
カタリナは、唯一まったく凍っていない二枚の翼を見て、この子は本当に頭が悪いのだと思わずにいられなかった。知識がないのは仕方がないとしても、先ほどの話をちゃんと聞いていて、少しでもものを考えられるのならば、その二枚の翼で体全体をふれるだけで拘束がとけるはずだと分かるはずなのだが。
「エリアル・カゼットは、結局何者なの? なんで記憶がないの? 封印って何?」
「知らない」
嘘をつくのも下手だ。明らかに何かを隠している。
「じゃあ、無理にでも、知っているって言わせてみようかな」
カタリナは、ポケットから釘を取り出した。本来は、それに魔力を込めて射出するための飛び道具だが、拷問具としても扱うことができる。
「これで、そのかわいい顔を……」
「リナちゃん……」
振り向くと、エアが、残念そうな表情をしている。カタリナの胸がちくりと痛み、もう少し優しい方法を考えようとしたその瞬間、大きな魔力の流れを感じて、思わずカタリナはエアを守るためにセラから飛びのいた。いつの間にか、セラの隣にはひとりの男が立っていた。
深紅のローブを羽織り、同じ色の大きな帽子をかぶっている。白く染まった髪と髭は、ほとんど整えられておらず伸びっぱなしで、瞼はほとんど皺と見分けがつかず、目も空いているのか閉じているのかわからなかった。
だがカタリナは一目見て、その姿が偽装されたものだと見抜いた。顔を見られるのを防ぐために、仮面をかぶったり、顔を色で塗りつぶしたりする者もいるが、もっと高度な魔法を扱える者は、視覚関係の魔法で変装をする。
「私も、そこまで自然な外見に偽装するのは無理だな」
「おじいちゃん、誰?」
エアは尋ねるが、男は答えない。
「まったく。面倒をかけやがって」
話し方も、その声も、老人のものではなく、若い男のものだった。
男はセラの体に杖で触れると、すぐにセラの体の拘束は解けた。
「イグニス!」
セラがそう叫んだ。
男の表情も魔力の反応も変わりはしなかったものの、カタリナとエアは、男がセラに対していら立ちを覚えたのを察した。
「イグニス、さん? エアのことを、何か知ってるんだよね」
カタリナは再び右腕を氷で包み、戦闘態勢に入る。イグニスの方は、一切動きを見せない。
「やめておけ。いずれ分かることだ」
カタリナは実力のわからない相手と戦うことはあまり好まない。イグニスの立ち居振る舞いは、高位魔術師特有のものであったうえに、その魔力の流れはこれまで出会ってきた人間を思い返しても、彼以上の者はほとんど思い当たらないほどに、繊細かつ、高度なものだった。
「何か、今の段階で教えてもらえることはないの?」
「パレルモに向かうという方針は正しい。そこに行けば、エアの失った左腕の代わりも見つかるだろう」
カタリナは、シグの金属質の体のことを思い出した。
「そこに行けば、義肢が手に入るってこと?」
「そうだ。パレルモには、帝国の技術を盗んできた魔術師がいる」
イグニスは、それだけ言い残して、まだ居残ろうとするセラを無理やり腕に抱えて、空に消えていった。
帰り道、何も言わないカタリナを見て、エアは少し不安になった。彼女を何か怒らせるようなことを、自分はしただろうかと思い返したが、思い当たることはなかった。
「リナちゃん?」
「ん? 何」
「怒ってる?」
「ううん。なんで?」
「なんか、静かだったし、しかめ面だったし」
「あ、うん。ちょっと考えてて。あいつらのこと」
イグニスという名は、聞いたことのある名だった。ただ、どこで聞いたのかは思い出せなかった。
「あのさ、リナちゃん。あの、セラって子なんだけど」
「何か思い出した?」
「ううん。でも、なんだか懐かしい感じがした。多分私、あの子には、ずっと前にも会ったことがある」
「そりゃそうでしょ。あの子、エアに何か複雑な感情を抱いているみたいだったし」
「多分、私のことが好きなんだと思う」
「はぁ? 封印するって言ってたくせに?」
「うん」
カタリナはため息をつきつつも、おそらくはエアの直感は外れていないだろうと思った。確かに、エアを襲ったとはいえ、セラからエアに対する敵意は一切感じられなかったうえに、どこか思いやるような言動が印象的だった。
「でも、助けてくれてありがとね、リナちゃん」
「当たり前でしょ」
「友達だもんね」
エアは何気なくそう言ったが、カタリナは少し驚いた。
友達、という言葉を直接言われたのは初めてだったような気がしたからだ。
友人はいる。仲間だった人もいる。でも、友達というのは馴染みがなかった。
「そうか。私たち友達なのか」
「違うの?」
「ううん。合ってると思う」
友達、友達、とカタリナはひとりでつぶやいてみる。対等な関係で、お互いに好意を持っている。それでいて、互いに命をかけ合っているほどではないが、ちゃんといつも気にはかけている。
「パレルモに行けば、私の左手治してもらえるの?」
「いや、多分、金属製の義腕とかになるんじゃないかな」
「へー。なんかかっこよさそう。あ、かっこいいといえば、リナちゃんさっきの腕何? 氷バキバキってなってたけど。あと、腕取れてたけど大丈夫?」
カタリナはゆったりとした袖をまくって腕を見せる。
「見ての通り、無事だよ。そもそもこの右腕は使い捨てだし、痛覚もとってある」
「つねっても痛くないの?」
「つねってごらん」
「痛くない?」
「うん」
「じゃあこれは?」
そう言いながら、エアは素早い動きでカタリナのほほをつまもうとするが、かわされた上、逆にフリーになった右腕に、自分のほほをつままれてしまう。
「いひゃい」
「私のほほをつねろうなんて、百年早いね」
「ん゛ふー」