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第五章 九十八話

※※※※※※※※

 どれくらい眠っていたのか。目覚めたものの、なかなか体を起こすことができない。かろうじて瞳を動かすことで、周囲の様子を伺う。すぐ隣に黒いコート姿の男が腰かけていた。アンリだ。彼は刀を肩に立て懸け、あぐらをかいて座っていた。いつでも立てる体勢である。アンリはこちらの視線に気づき、淡々と言った。

「まだ少し、休まれた方が良いかと」

 体が言うことをきかない。指一本さえ動かすことさえままならない。言われるまでもなく、アインスは大人しくしているしかなかった。

 何が起こったのだろう?不気味なほどの静かさだ。エンジンルームにある窯も、アインスがエネルギーの供給をやめたので停止している。自分達以外に、命あるものの意志を感じない。まるで、この世の終わりを迎えたような。

 その後アンリは、アインスが体を自力で起こせるようになるまで、じっとしていた。ようやく自分と肩を並べたアインスを見て、アンリは訥々と話す。上からやってきた闖入者と、彼らが使った謎の力を持つマギ。彼らがエンジンルームへ入って行った後――最下層から突然、光の柱が上がったかと思えば、急に周囲が静かになった。そして……彼らはエンジンルームから出てきた。一人、姿を消した状態で。そのまま彼らは去って行った。話を聞き終えると、ぼんやりとした瞳を瞬かせながらアインスは言った。

「助かったのかな、僕たち」

 アインスの声に答える者はなかった。


 アインスが研究塔が出るのは、わけもなかった。彼の体内に埋め込まれているという爆弾。そんなものは、最初から存在していなかったのだ。それは、研究者達がアインスを閉じ込めておく為の方便だった。しかし、アインス自身にはそれを確かめる方法がない。だから、事実だと受け入れるしかなかった。爆弾の存在は、彼自身の心に掛けられた鍵と言える。

 そして、オールド・ワンと名乗る男の登場によって、その鍵は簡単に外されてしまった。日もとっぷり暮れ、そろそろ地平線の向こうへ太陽が姿を隠そうとした時、彼は現れた。堂々と正面から、扉を開けて部屋に入ってきた。

 不意の侵入者に驚いたものの、アインスは抵抗しなかった。どうせ、殺そうと思えばいつでも殺せるのだ。どうも研究者達とも違うらしい身なりのこの男を、もう少し観察してもいいだろう。そう判断して、むしろ余裕のある態度を見せることにした。そんな、大胆なアインスの思考を読んだように、オールド・ワンはにこりと笑った。

 オールド・ワンが名乗っても、アインスは黙っていた。彼の話を聞いて首を傾げたものの、特に口を挟まなかった。そして、どうやらその話は、「万密院に喧嘩をふっかけて、ここを出て自由にならないか」という提案らしいことが分かった。しかし、一つ、納得できないことがあった。

 何故、オールド・ワンがそんな提案をするのかということだ。やはりその気持ちも読んだように、オールド・ワンは簡単に疑問に答えた。

「アンリの驚く顔が見てみたいのさ」

 その為にオールド・ワンは最高のゲームを用意したという。

 それは、とても楽しそうじゃないか。そう思って、うっかりアインスは笑ってしまった。そして、自然とアインスは、オールド・ワンの手を取った。手から記憶を読んで、オールド・ワンがアンリの保護者に当たる人物であることを確認し、信用を置いても良いと判断した。そして……そこからもっと根深い所にある記憶を読もうとして、アインスは震えた。思わず自分から記憶の流れを遮断する。一刻も早く、オールド・ワンの中に渦巻く思念の洪水から遠ざかりたいと願った。

 この男に、とても自分ではかなわないことをアインスは悟った。知らない方がいいこともあるということを、その時はじめて学習したのだった。しかし朗報もある。この男に自分を謀る気は無く、本当に、心の底から協力してくれようとしているのだということも分かったのだ。

 計画のお膳立ては既に終わっていて、アインスはオールド・ワンの話を聞くだけで良かった。今後は必要に応じて使者を寄こすという。「困ったことがあれば、食事の皿を下げる時、スープの器にナプキンをいれておいてくれ。それが合図になる」と彼は言った。アインスはその言葉から、万密院の中にオールド・ワンの息がかかった者が常駐していることを確信した。

 どうなんだろう。オールド・ワンは、こんな結果を望んでいたのだろうか……。アンリを降した者達は「今日から、全てのマギやオートマータが使えなくなる」という言葉を残していったという。試しに、アインスは念じてアンリのコートの裾を燃やそうとしたが、何も起きなかった。煙一筋立つこともない。アンリの肩に触れてみるが、彼の記憶を読むことはできなかった。

 今まで喋れていたのに口をきけなくなったような、聞こえていた耳が音を失ったような、なんとも言えない気分になる。今すぐ崩れ落ちそうな床の上を歩いているようで、落ち着かない。しかし、これが現実だった。

「この先、しばらくは混沌とした状況が続くでしょう。経済と武力の一旦を担ったオートマータの無力化がもたらす影響は大きい。特に、兵器として最も有用と目されていたわけですから、軍産企業のいくつかは舵取りに難儀するでしょう」

 アンリはそう言ったが、アインスは話の内容をイメージすることができなかった。そもそも、彼の居た世界に貨幣はなかったし、戦争もなかった。あるのは変わらない毎日と、自分を観察する好奇の目。他人に飼われる生活。彼にとって、世界を構成する秩序はそれだけだった。扉一枚隔てた外で何が起きていても、彼には関係のないことだった。

 けれど、もう無関心な態度をとることはできない。既に、彼は野へ放たれたのだ。帰る場所はもう無い。そもそも万密院さえ、この先どうなるか分からないのだ。今のアインスは自由の身というより、ただの根なし草である。

「外に出てどうするかなんてさ………。考えて無かったし、本当はね、そんなことはどうでも良かったんだ。僕はただ、ゲームがしたかっただけ。命をかけてみたかったんだ、何かにさ……。そこで死んでも構わないから」

「でも、一人で死ぬのは寂しいからね」そう続けて、アインスは笑った。他人の意志に生かされるのではなく、自分自身の力で何かを遂げてみたいと思った。結果は問わない。流星のように光って、一瞬で消える命だとしても、一生くすぶり続けるよりはマシだった。

「なんだかもう、半分くらいは死んだような気分だよ。欲しいと思ったことは一度もないけどさ……結局、力もなくなっちゃったし」

 しかし、幸か不幸か、彼は生き残った。まず、どこへ向かうべきか。東か西か……。それさえ分からない。地面は見る限り果てしなく広がっているが、どこにも行けない。

 目的を果たした……失った今、道は消えてしまった。目は見えていも、光が失われている。

 アインスは自分を嘲った。結局、何一つ成功させることなく、死ぬことさえできずに……けれど、これからどうすればいいのか分からない。鳥だって、誰に教えられずとも、自由に空へ飛び立っていくというのに。

 「分からない」ということが、こんなにも恐ろしいことだったとは。

「それでも、あなたは人間です」

 アンリは言った。

「生きなければ」

 生きる――?アインスが問うと、アンリはこちらを向いた。

「何をすべきか問うのではなく、ただ、決めればいい。何をしたいのか。道を進むのに必要なのは、覚悟だけです。決まれば、後は、そこへ向かうだけです」

 アンリはアインスの顔を見ながら、珍しく、優しく言った。

 十秒、二十秒……。しばらく沈黙が続く。アンリは既に顔を背けて、前を見ていた。

「生きる、か……」

 アインスは、そのたった四文字を絞り出すように言って、溜息をついた。

 籠から放たれた鳥は、望んでいた大空へはばたく。しかし、重力で羽は重く、風は強い。どこまでも行けるように見えて先は遠い。それでも彼らは飛ぶ。何の為に?それは分からない。しかし、懸命に飛ぶ姿は美しかった。

「生きる、か……」

 アインスは再び言った。

「優しくないなぁ。アンリも、外の世界も」

 幸か不幸か、彼は生き残った。死ぬことを許されず、ただ目の前に、どこまでも広がる地平線を提示された。それは神の祝福か、叱咤か、あるいは罰かも知れない。何にせよ、彼は生き続けなければいけない。いつか、羽が折れる時まで。

 自分の横にいる男はついてきてくれるだろうか。ついてきてくれると期待したい。だからこそ、今、ここに留まってくれているのではないか。そう思いたい。

 アインスは目を瞑った。「少しだけ、また眠るよ。次に目が覚めた時には、もう、行くから」彼は有無を言わさぬ口調でそう言った。次第に浅い眠りが襲ってくる。これまでに何度となく付き合ってきた睡魔が、今は心地よい。

 何故だろう……。起きるのが億劫でない目覚めになりそうだと思い、アインスは薄く笑った。

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