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第五章 九十七話

※※※※※※※※

 ルーシェは朝の掃除を終えて厨房へ向かう。厨房では、朝食後の食器を洗う作業が終えられようとしていた。大量の皿が水跡一つ残さず綺麗に拭きとられ、食器棚に行儀良くしまわれていく。ルーシェにとっては見慣れた光景だった。すっかり厨房の一員として馴染んだ、ジェニーとフリードの姿もそこにある。

 ジェニーはルーシェを「ルー」と呼んでいる。「私、ずっと妹が欲しかったのよ」彼女はそう言いながら、ルーシェを見る度にハグをするのだった。最初、ルーシェは抵抗したものの、言いだしたら聞かない女だと悟ってから、ジェニーの好きにさせていた。まるで息を吐くように、自然なこととしてジェニーの行動を受け入れられるようになってからは、心なしか、他人の行動に対してあまり頓着しなくなった。寛容になったのか、鈍感になったのか。まぁ、どちらでもいいことかも知れない。そういう風に、自身の変化を抵抗なく受け入れることに、ルーシェも悪い気はしなかった。


 ジェニーは遺跡でゲヘナの集団に襲われるも、その直後に現れた「何者か」によって命を拾われた。彼らがどこから来た誰なのか、ジェニーはもちろん、ゲヘナも知らないようだった。連中もまた全身黒ずくめで、影のようにほっそりしていた。

 そして、一瞬で事を終えて去って行ったのだ。ジェニーにたった一言、問いただす隙も与えずに。ただ、驚いて立ちすくむだけの彼女が、正気を取り戻す前に、素早く撤収して行った。目標に対する無駄のない彼らの動きは、殺しへの躊躇のなさを感じさせた。

 最初、ジェニーは自分が助かったとは思わなかった。自分も連中に殺されるのではないかと考えたのだ。少なくとも、彼らがその気になれば、自分にはなすすべが無いことを彼女は理解していた。ゲヘナが全て床に倒れ、床に血染めのグラデーションが広がっていき、他のグラデーションと混じり合う。

 二秒、三秒、十秒……。いくら経っても、ジェニーが恐れていたような展開は始まらなかった。全員息絶えていることを入念に確認してから、黒服のリーダーらしき男がジェニーに声を掛ける。それは、よく通る若々しい声だった。親しみさえ覚える。男達がしたことに目をつぶれば。

「主は仰った。死すべき時にあらず、生きよと」

 主とは誰か。何故、自分のことを知っているのか。主とやらは、この状況を予測していたのか。

 何故……自分だけが生かされたのか。

 彼女は訊ねるどころか、身動き一つままならなかった。不意の闖入者が立ち去るのを、棒立ちで見ているしかなかった。

 キンドルガルテンに戻って惨状を知り、イブリースへ向かおうとしている途中で、彼女は保護された。元首が各地へ放った捜索隊に、運良く拾われたのだ。彼女はイブリースへ戻る馬車に乗っている間にも、胸の内で疑問を反芻していた。助かったという安堵よりも、遺跡で遭遇した不可解な状況と、そこで与えられた言葉から感じる不安の方が勝っていた。

 しかし、イブリースに着いた彼女は、自分を見るなり駆けつけたフリードの姿を認めて、全てどうでもよくなった。きつく抱きしめてくるフリードの腕の中で、ただただ、今ある命に感謝する他なかった。


 既にキンドルガルデンはない。復興も無意味だろう。そこに住んでいた者は、自分とフリードを残して全て死んだのだ。あそこへ戻る意味はない。もう、あの頃の生活には戻れないのだ。

 もし、いつか別れる時が来るとしても、今はただ、二人揃って居られれば……。ジェニーがイブリースへ置いてくれを言いだしたのは、彼女の救出から一週間後のことだった。元首は元よりそのつもりだったので、願いは簡単に聞き届けられた。

 その元首はというと、今朝早くから姿を消している。ミチザネと名乗る男と一緒に馬車に乗って、暫く戻らないそうだ。

「古い友達に会いに行くんだってさ」

 そうルーシェは言った。彼女もそれ以上は知らないようだ。どこか拗ねているような、呆れているような表情だ。元首との付き合いは、ミチザネを除けばルーシェが一番長そうだが、それでも知らないことはあるのだろう。お互いに。


※※※※※※※※

 かつて四雄王が根城としたプルミエ城。この場所をそう呼ぶのは、地上には、もはや二人、元首とミチザネだけになってしまった。もっとも、ミチザネはつい先日、リゼルグ達とここへ訪れたばかりである。元首は自分の記憶そのままの姿をとどめた城を見て、息を呑んだ。元首はじっと、自分の実家とも呼べる場所を眺めている。元首の気がすむまで、ミチザネもまた、彼女の横に立って城を見上げていた。

 城の中の案内はミチザネが完璧にこなした。しかし、二人は目的の場所になかなか辿り着かない。城へ入って十分、最上階の鏡の間を通り、倉庫の前の袋小路。その場所に、彼女は居た。その姿を見るなり、元首は着物の裾を引きずりながら駆け寄る。

 イーリスは床の上で膝をついていた。そのまま静止している。いつもなら聞こえる、僅かな稼働音もしない。ミチザネは彼女の背後に回って、制御パネルをいじってみたが、彼女は何も言わず、ぴくりともしなかった。

「直せないの?」

 すがるような切実さで、元首が問いかける。

 あの日、カタロスの力でジャマーの影響が世界全土に及んだ日、全てのオートマータが停止した。当然、イーリスも例外ではない。帰ってくるミチザネの返事は、そっけなかった。

「さすがに、マナの干渉を受け付なくなるのは想定外でしたからね」

 物言わぬイーリスを見て、元首はうなだれる。生き写しでも、ただのプログラムでも構わない。ただ、イーリスの言葉が、声が聞きたかった。元首の背中から、そんな気持ちが伝わってくる。

 ミチザネはこの状況を予想していた。というより、予想していたからここへ来たのだ。

「これからは、電気で動くようにしないといけませんね。遠隔でのエネルギーの供給方法については、追々考えるとして」

「電気?」

「彼女にもう一度、目覚めてもらいます」

 その為にここへ来たわけですし、と言って、ミチザネはイーリスの体を横たえた。

「とはいえ、彼女を運び出すのは骨を折りますねぇ…。確か、倉庫に台車があったはず。そいつを引っ張りだしましょう」

 ミチザネは実にあっけなくそう言ったが、元首にしてみれば、その言葉は天から差し伸べられた救いの手に等しい。

 しかし元首は、跳びあがって驚くことも、感動にむせび泣くこともしなかった。ただ、倉庫へ入っていこうとするミチザネの顔と、イーリスの顔を交互に見た。

 イーリスにまた会える……。

 決してかなわないと思っていた願い。この目を再び開けてくれる時が来る……。また私に、声をかけてくれるだろうか……。

「ちょっと、手伝ってくださいな。確かに倉庫の中は埃臭いですからね、近づきたくない気持ちは分かりますけど」

「え?え、えぇ……」

 不意をつかれ、それこそあどけない少女のような声を出して元首は答えた。二人はイーリスを城の外へ運びだして、馬車に乗る。

「アタシが使っていた部屋、まだ残っててくれて助かりましたよ」

 ミチザネが言っているのは、イブリースに残されていた彼の研究施設のことだ。ミチザネはそこで、イーリスの改造をするという。ミチザネが出て行って以来、設備の手入れや増築は行われたものの、彼の研究成果は、ほぼそのまま残されていた。いつミチザネが帰ってきても何の不自由もないくらい、施設は最高の環境を保っていた。

「あなたの為じゃないわ。便利だったから、そのまま使わせてもらってただけよ」

「アタシのプライベートルームまで、そっくりそのまま残しておいたくせに、よく言いますねぇ」

 元首は黙っている。ミチザネを肯定しないが、反論もしない。さすがに、それ以上この件で元首をいじるのは悪趣味だと自覚して、ミチザネは話の矛先を変えた。

「どうしても、彼女を起こす必要があるんですよ」

 言いながら、ミチザネはイーリスの髪に指を通した。彼女の髪についた埃を払うように撫でる。

「待っている人がいる」

 誰がイーリスを待っているのか。あるいは、イーリスが誰かを待っているのか。元首は知らなかったが、追及もしなかった。

「言ってみれば、このイーリスは……オートマータは流れ星のようなものです。遠い昔の光が、数千年かけてようやく今へ届く。私達が見ている光は、残像のようなものです。本当はもう、存在していない。けれどその光は、思いもがけない所で、今を生きる者に影響を与える」

 ミチザネはおかしむように笑った。

「研究者として達成感を覚えるのは、やはり研究が成功した時です。でもね、一番嬉しかったのは、作りだしたものが自分が想像していたよりもずっと創造性に富んでいて、それが他者の救いとなることです。長い研究者人生の中でも、そんな感覚を味わうことは、そうありませんけどね。そんなことに、今更気づきましたよ」

 それは研究者というより、親の感覚に近いのではないか。そんな風にミチザネは想像してみたが、本当の所は分からない。けれど、イーリスのことを、ただの成果物とも思えなかった。そうでなければ、誰が撫でたりするだろうか。

 彼は、もっと早くそのことに気付いていれば、とも思うが、それは意味の無いことだろう。結局、これから出来ることと言えば、今を見て、前へ進むことだけなのだから。

 ミチザネは元首の方を振り向いたが、彼女は目をつぶっていた。眠っているのか、それとも、今のミチザネの告白を聞かなかったことにしているのか。どちらなのか分からかった。どちらにせよ、ミチザネは彼女の意志を尊重することにした。

 ミチザネもまた、瞼を下ろして、座席に深く背を預ける。イーリスと元首に挟まれるような形で、ミチザネはすぐに眠りへ落ちた。揺り籠のようにゆすってくる馬車に乗って、前へ前へと進みながら。

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