第五章 九十二話
戦力にならないカタロスとミチザネを除けば、状況は一対四。一見すると俺達が有利に見えるが、乱戦で注意すべきは同士討ちだ。リゼルグとイズルはともかく、出会ったばかりの俺とルーシェでは上手く連携が取れない。なのに、リーチが短いのも俺とルーシェなのだ。まるで自分の手そのもののように動く使い慣れたナイフ、一撃で巨漢を沈める蹴り、兜や鎧を叩き割る巨大な騎士剣、弾速は銃に譲るものの一度に複数投げることができる苦無。どれも単体で見れば強力だ。
もし銃撃戦なら、どう考えても四人の方が有利だ。しかし白兵戦となると話は変わる。現に、ミチザネはしかつめらしい顔をして言った。
「刀は白兵戦最強の兵器ですよ。一対多を想定した心得もありますゆえ、油断なさらぬよう。特に居合いの使い手は、相手の攻撃を受け流す術に長けています。そして自分の攻撃が受け流されることも考えている。だから、それすらも計算に入れて二手三手先まで考え、詰め将棋のように無駄のない動きをします。まずは肩を傷つけ、次は手首……・。そんな風に少しずつ相手の攻撃力を奪っていく」
「カタナはサーベルと同じくらいの細さだ。最悪、力押しでもどうにかなりそうだが」
「腕や足の一本や二本斬り落すことは、刀にとって造作もないことなのです。ゆめゆめお忘れなきよう」
「突っ込む前にその話が聞けて良かったぜ」
そうミチザネにくれてやった言葉とは裏腹に、額と背中を嫌な汗が滲んでくるのを感じた。どうする?何の打ち合わせもなしに連携が取れるとは思えない。まずはイズルに投擲させるか――?動く標的に銃弾を当てるのは訓練されたプロでも難しい。苦無で狙いを定めるのは、更に難しいだろう。他の三人もどう動くべきか悩んでいるようだった。イズルとリゼルグは顔を見合わせる。二人ならアンリの攻撃パターンを知っているだろう、まず、この二人に任せるべきか……。
アンリには何の迷いも無いようだ。刀を構えながら、素早くこちらに踏み込み、跳ねるように距離を詰めてくる。
ルーシェだ、ルーシェを狙っている。
アンリの突進に耐えかねて飛び出したのはリゼルグだった。愛用のガントレットでアンリが振り下ろした剣筋を受け止める。普通なら、腕で剣を受け止めたことに驚くだろう。片手に騎士剣を携えた状態ならなおさらだ。そこに一瞬の隙が生まれる。
しかし、同僚として何度も仕事をしてきたアンリにその手は通じない。さすがに細身の刀の重量でこのまま押し切るのは不可能だ。初撃を外したと見るや、アンリは素早く身を引いて低い姿勢を取る。
慌ててリゼルグも跳び退いて、脇を固めた。実際、アンリは低姿勢から一歩踏み出して、リゼルグの脇腹を横薙ぎにしようとして空を斬る。
「どうしてですか?」
アンリが次の太刀を振るわないのを見て、リゼルグは距離を保ったまま叫んだ。
「僕たちが殺し合う必要はないでしょう?」
リゼルグが訊ねてもアンリは黙っていた。答えないのか、答えられないのか。二人の間にある張りつめた空気を裂いたのはミチザネの声だった。
「御仁よ、お一人でこちらに?」
普段の余裕そのものといった悠長な態度はなりを潜め、ミチザネの声は無機質になっている。なるべく、アンリを刺激しないようにという配慮と、考えを悟られまいとする警戒心からだろうか。
「同伴者がいるはずです。少なくとも一人。あなた自身が、エーギルの炎を動かすのでなければね」
けれど、その姿はどこにも無い。そいつは既に、エンジンルームにいるのだろう。
「自分達が何をしているのか、分かっていますか」
言葉づかいこそ問いかけの形を取っているが、ミチザネの口調には相手を正すような鋭さがあった。
「一発の魔砲で爆心地の周囲二キロメートルは吹き飛びます。現在開発されているウラン爆弾に匹敵する威力がある。自然界で言えば噴火レベルの災害です。地上において、これ以上の地獄はありませんでしょう。天より地上へ使わされた神の子らが、主を裏切る為にこしらえた親殺しの道具です。並みの子どものおもちゃとは、訳が違うことはお分かりでしょう」
アンリは構えを解かなかった。その体勢に隙こそ無かったが、確実に奴はミチザネの話に興味を引かれている。しかし、ミチザネに問い返すアンリの声は、実に素っ気なかった。
「あなたが変えられますか?世界を、万密院の支配する制度を、彼らが囲った厚い壁を、あなた達なら壊せると?」
「テロリズムでは、共感を生むことはできませんよ」
「しかし、力無き者の声には誰も耳を貸さない」
「だからあなた達は、より一層大きく声を張り上げるわけですか?多くの悲鳴を道連れに」
「人は言葉では動かない。力だけが人を従わせる」
「その言葉、正しいが全てではないと言っておきましょう。人が失われるのもまた力によるもの、ということをお忘れなく。あなたが力で動かした分と同じか、それ以上にね。それは、エンジンルームにいる誰かさんにも言えることです」
それまで、すげない顔でミチザネを見ていたアンリの表情が揺らいだ。といっても、口元を固く締め直したというただそれだけのことだが、ミチザネの言葉が、アンリの心を掴んだのは確かだった。
「汽車が動くのに石炭を必要とするのと同様、エーギルの炎は多量のマナを必要とします。しかし、マナというのは一定の場所にとどまるものではない。そこで、地上のマナを磁石のように吸い寄せて、一か所に集中させるのが効率的というわけです。マギテックの体を通してね。けれど、元々人間の体はマナを受け付けるように出来ていない。微弱な電流ならともかく、落雷には耐えられないのと同じ。多量のマナが体内へ流れ込んでくることに、本来なら耐えられないのですよ。マギテックの場合は、多少それに耐えられるというだけのことです。それを今、エンジンルームにいる誰かがやっている。魔砲を動かす量のマナを集められるほどの適性があるとは、大したものです。しかし、十分と持たないでしょう。早くやめさせないと命に関わります」
「それは、あの方が一番良く知っている」
「この戦い、得るものなど何もありませんよ。万密院にとっても、本部の崩落は手痛いに違いありません。しかし、時間と金を掛けて、いずれ復興するでしょう。湖に石一つ投げた所で何も変わらない。広がった波紋は水面を漏らすだけですぐに消える。万密院にしてみれば、その程度のものなのです。あなた達が思っている以上に、万密院はこの大陸の経済を動かしています。その影響力はまるで空気のように、あらゆる場所に行き渡っている。今更その力を変えられるはずもない。天地をひっくり返すような革命が起きない限りはね。私はそれが想像できないほど、あなたが愚かだとは思いません。とても理性的な目をしていらっしゃる。今まで見たエペの制服に身を包んだ人間の中では、むしろ冷静な方だと思います。だからこそ分からない。どうしてあなたがたった一人で、私達の前に立ちはだかるのか」
リゼルグ自らが退いて剣を下ろしたのだ。全く話が分からない相手ではないだろう。
俺達には、こいつの命を奪う理由が無い。こいつにだって、俺達を止める理由はないだろう。今ミチザネが説明した通り、魔砲を発動した所で、結局、現実は何一つ変わらない。もはや、お互いに剣を交える理由はどこにもない。なのに、何故だろう。
最初にアンリを見た時の印象は水面だった。風が無く、全く乱れることのない冷たい水面。けれど、今の印象は刃だ。首筋にそっとナイフを押しつけられた時のような冷たさが……アンリの瞳から伝わってくる。