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第五章 九十話

 ※※※※※※※※

 リゼルグ達の姿が完全に消えるのを見届けてから、ゼーノはその場に座りこんだ。腹に巻いた包帯から血が滲んでいる。コートにも染みてきているが、コートが真っ黒なので誰も気づかなかったようだ。ゼーノに戦意は無いのだが、ゲヘナの兵士達は彼を見るなり、握りが剥げた銃を向け、歯こぼれしている剣を向けてきた。応戦したのはやむを得ないことだった。一応、自分で縫い合わせておいたが、早く医者の手にかからないと傷口が膿んでしまう。

 そんな状態になってもゼーノがこの場所に来たのは、ここへ来ればリゼルグ達と会えると聞いたからだった。

 それは、今も傍にいる。ゼーノが振り返ると、右手の通路から人影が二つ顔を出した。暗がりからこちらへ近づいてくる。

「メレグちゃん、彼の傷を見てあげて」

 そう言ったのは、大きい方の影だった。小柄な影……メレグはゼーノの前で膝をつき、旅行鞄の中を開けて道具を取りだす。慣れた手つきだった。

 大きい影……オールド・ワンと、メレグと呼ばれるこの女性が、いつからここに居たのかゼーノは知らない。ただ、声を掛けられたので思わず振り返ると、そこにこの二人が居た。ゼーノはメレグと初対面だったが、彼女の手際の良さを見るなり、治療を全て任せることにして仰向けになった。

 何故、オールド・ワンはここへ来たのだろう。自分を追いかけてきたのか。けれど、オールド・ワンは自分の進行方向から現れた。見る限り二人とも丸腰だが、どうやって衛兵を退けたのか。ゼーノの疑問は尽きないが、答えを得た所で意味があるわけでも無かった。それに、喋る気力も薄れてきている。意識が、徐々に頭から吸い取られているのを感じる。雪山で眠気に襲われる時の感覚に似ている。暫く自分は眠るだろう。そう予感して、ゼーノは目を閉じた。


 無駄のないメレグの動きと対照的に、オールド・ワンの声は呑気なものだった。

「どう、彼?助かりそう?」

「今まで意識があったのが不思議なくらいですよ」

 そう答えつつ、メレグは縫合のし直しを終えた。この男が何者なのかメレグは知らなかったが、あえて訊ねなかった。ただ、男の身を包む真っ黒なコートは忘れるはずもない、グロワール・エペと呼ばれる者だけが袖を通すことを許される制服のはずだ。先ほどのゼーノ達との会話からも、端々からそう受け取れる言葉が飛び交っていた。万密院に居た頃、直接関わりは無かったが、メレグはエペの人間と何度かすれ違ったことがある。万密院にいる人間の中でも、彼らはとりわけ雰囲気が異質だった。

 けれど、深い眠りに落ちたこの男からは、そういう気配が一切消えている。まるで憑き物が落ちたようだ。

 この男……ゼーノと呼ばれていたが、じきにその名前ともお別れするという。彼はこの先、どうするのだろう。どこへ行って何をする?一体これから、誰と出会うのだろう。


メレグがオールド・ワンと共にソドムを出たのは、三日前のことだった。メレグは朝食の最中だった。いきなりメレグの診療所を訪れるなり「用意しておいたから」と言って、旅行鞄を押しつけてきた。その中には必要な物が全て揃っていた。治療道具、薬品、着替え、木綿のハンカチまで。旅立つ準備は万端だった。どこへ行くのかと訊ねると、オールド・ワンは愉快そうに言った。

「全てが終わる所を見に行くのさ」

 なんと芝居がかった台詞か。メレグが呆気にとられると、オールド・ワンは真剣な顔つきになった。

「本当にあらゆるものが変わる。全てが終わった後、必ずそうなる。誰が何をどう終わらせるのか、見てみたくない?」

 いつぶりだろう。本当に、真面目くさったオールド・ワンの顔を見たのは久しぶりだった。メレグは何も言わずに「臨時休診」の札を入口に下げて、診療所を後にした。オールド・ワンと旅行鞄と、ほんの一握りの食べかけのパンと一緒に。

「君も関係者だからね。僕が巻き込んでしまった以上、権利があるのさ。知る権利見る権利、そしてもちろん、忘れる権利だって」

 必要が無ければ、これから起こることも、今まであったことも全て忘れていい。僕が君を連れ出した五年前のことだって。オールド・ワンはそう言ったが、恐らく、到底忘れられるはずもないことが起きるだろう。メレグにはそんな予感があった。

 オールド・ワン自ら、わざわざ足を運んでここまで来たのだ。そこまでする価値のある何かが、これから起こる。彼はそう確信している。そうとあれば、自分も見届けたいとメレグは思った。これから起こる出来事の結果が良しきにつけ悪しきにつけ、きっと換え難い記憶になる。

 そして……もしかすると、オールド・ワンと会うのはこれが最後になるかも知れない。もしかしたら、「全て忘れる」という選択を、するかも知れない。

 忘れるという能力は偉大だ。どんなに傷つき、たとえ体に傷痕が残っても、無かったことにできる。痛みがあっても、それを感じなくなる。進化して知能を獲得し、感情を持つようになった人間にとって「忘れる」という能力は必然として生まれたのだろう。全て「無かった」ことにしてしまえるのだ。

 時の流れによって物理的に無くなるとしても、命がいずれ失われるとしても、人間は行動する。唯一、死を意識しながら、なお生き続けようとする不思議な生き物である。だから、意味を欲しがるのだろう。時間や環境による風化が無い「生きる意味」とやらを。それが永遠に変わることのないものだと信じている。

 これから、彼らは何をするのだろう。彼らの行動に、何の意味があるのだろう。ゼーノを追い越して掛けていった彼らの背中を思い出しながら、メレグはオールド・ワンの横に並んだ。そして歩き出す。この先に待つ何かを、その目で確かめる為に。

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