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第一章 九話

 乗り換え駅に着いたのは昼過ぎだった。俺はカタロスを連れて時刻表を探す。次の列車が来るまで一時間あったので、レストランで昼食をとることにした。メニューは魚料理が主流だった。悪くない。

 蒸気機関車が登場したのは、万密院がネフェリムの遺物をほんの一部にせよ、解明することに成功した後だった。なんとか実用化できるレベルまで開発し、大陸中にレールを敷いてその上を走らせることができるようになった。

「グリンピース、嫌いなのか?」

 俺は、緑色のちっこい奴だけかわしてフォークを動かすカタロスに言ってやった。

「恥ずかしい話、この歳になっても、子どもが食べられるようなものしか食べれなくて」

 この歳っていくつだよ。思ったことをそっくりそのまま言ってみる。

「いくつに見えます?」

 まじまじと……俺はカタロスを見つめた。その口元は若い(口元は意外と年齢が出るものだ)。視線を上げた先には筋の通った白い鼻、穏やかな瞳。

 兄という感じだ。歳の離れた。兄弟なんかいたことはないが、なんとなくそう感じる。

 カタロスは笑った。目尻が下がると、その印象も違って見えた。兄というより父かも知れない。

「そんなに真剣に考えなくたっていいですよ」

「……そうだな」

 会話はそこで打ち切り、会計を済ませて停車場に向かった。珍しく、時間きっかりに来た列車に乗って、俺とカタロスは西に向かう。

 アイゼンブルク。そこにある赤と白の町並みが見えてくるまで、俺は居眠りすることにした。カタロスは後方へ流れていく風景に夢中らしく、ずっと横を向いている。

 引っ越しする時、俺はカムラッドから足を洗った。カムラッドの連中が気に入らなかったからとか、報酬の払いが悪かったからとかではなく、足がつくのを恐れたからだった。

 ルーチェに居場所を知られるのが怖かった。手紙を受け取ったその日の内に――俺はカムラッドを訪ねた。当時の窓口担当だったフェルゼンは俺の話を聞いて、「そうか」とだけ言って書類を一枚、ポンと目の前に差し出した。俺が慣れない万年筆を使ってさらっと名前を書き、血判を押すだけで事が足りた。

 曲りなりにも(頼んだ覚えはないが)俺を拾い、育てた組織なので、去り際に「世話になった」とだけ言い、俺はカムラッドを出た。二度とその床を踏むことはないだろうと思った。


 目の前にあるカムラッドの建物は、何一つ変わっていなかった。

 しかも往来のど真ん中にある。そのクラシックな建物が、犯罪者の斡旋を行っていると誰が思うだろう。事実、そこは表向き銀行を営んでいる。その裏の顔を知るには「チケット」が必要だった。

 客はこのチケットを必ず持っていなければならない。チケットが欲しければ、既にもらっている人間から譲り受ける必要がある。カムラッドは「招待客」以外からの仕事を受けない。カムラッドは身元の割れた、ある程度信頼できる人間からだけ仕事を受けた。

 カムラッドにいる連中には幼くして孤児になった者が多い。カムラッドは過去の経歴を調べなくていいような人間を好んで集めた。

 孤児同士が集まり易い環境にあって、自然同僚に親近感が湧いたかと言えば、そうでもない。カムラッド(仲間)という名前に反して組員はみな、それぞれ好きな場所に住んでいる。窓口となる支部は、本当にただの「窓口」で、誰がどの仕事を請け負うかは、全て本部で決められていた。

 俺達は支部からお呼びがかかった時だけ集まって、それ以外の時は好きなように過ごしている。生活費は与えられるが「寮」というシステムはなかった。その為、人間関係は希薄なものになり易かった。

 だからこそジェットの人懐っこさは尚更珍しかった。本当に、あの男だけが特異だった。

「一年半ぶりか」

 ルーチェから手紙をもらってすぐにこの地を発ったから、そのはずだった。

 俺はそう呟いてから、一番左端の窓口に向かい、そこで頬杖をついている男に声を掛ける。きりっとしていればいい男に見えるものを、あくびをこいて締まりのない顔をしているのが、それを台無しにしていた。

「……よお」

 どう切り出すか迷った。しかし、形式ばった言葉遣いをする気にもなれなかった。俺の声に気付いた男が、頬杖をついた掌から顎を上げる。

「おっ……と。これは、これは……」

 目を瞠るのも一瞬、男はすぐに営業スマイルを見せて笑う。銀行員の制服を着ているくせに、緩いパーマと浮薄な笑顔のせいで伊達っぽい。相変わらず、まだ自分が遊び盛りだと思っているのだろう。若い男向けの香水をつけて、仄かな匂いを手首から漂わせている。確か今年で三十になるのだと聞いた。

「いや、まだ二十九だよ」

 そろそろ年相応の恰好をしたらどうだという俺の言葉を前に、彼は笑った。

 少しも変わっていない。

 俺が去った後も窓口に立つフェルゼンの笑顔、軽快な喋り口。ここは確かにカムラッドで、かつて俺が居た場所なのだ。


 フェルゼンはジェットの上司に事情を説明して、俺に話が通るよう取り計らった。俺は元々ここに居た人間だし、ここで育った時間も長いから、それほど執拗な検査も必要なかった。

 それにその上司は、俺の「教官」でもあった。俺にナイフの使い方、足音の消し方、仕事を終えた後は絶対に現場に戻ってはならないことを――教えた人物だ。しかし、「顔を合わせたいが、生憎接待中だ」とかでその面を拝むことは叶わなかった。もっとも俺は、そんなことを望んではいなかったが。

「で、ジェットが受けていた仕事のことだけど」

 フェルゼンはペシペシと、人差し指の先で書類を叩く。

「彼は万密院統治下の教会にもぐり込んでいた。理由は不明だ。場所は……今お前が住んでいるソドムという町」

 そうなのだと聞いている。オールド・ワンがそう言っていた。

「まぁ、クライアントが理由をしゃべりたがらない訳も想像はつくがね。因みにクライアントの名前も話せない。守秘義務ってやつさ」

 クライアントがこの仕事を持ちこんだ理由と、それを話せない理由も、俺にはなんとなく想像できていた。今日に至るまでに多くの組織、企業が万密院が持つ技術の出所を探っていた。

 どんな商売も、結局元締めが一番儲かる。万密院が持つ打ち出の小づちを狙う者は多かった。ネフェリムの遺物を独占している彼らは、先人が残したオートマータ(今一般に普及している機械と、ネフェリムが生み出した機械的な装置は区別されている)を所有しており、その設計図も一部は現存していた。

 万密院は石炭に代わる新しい動力源の開発も進めているらしい。近い内にレールすら必要のない陸上貨物列車が登場するのではないかという噂さえある。

「ジェットが仕事を引き受けて向かった先は、中央通りに設えられたキャンディッド教会。彼がそこに向かったことは分かっている」

 ここに向かい――そしてそれが、ジェットの最後の仕事になったのだ。きっといつものように、仕事を終えてここに戻ってくる自分を信じて疑わなかっただろう。

「ところで彼氏、どちらさん?」

 不意に報告を打ち切るフェルゼン。視線の先にはカタロスがいた。

「そういうのは先に訊けよ」

 俺の突っ込みを受けても、フェルゼンはへらへらと笑った。

「いや、なんか当たり前にお前と一緒にここへ入ってきたからさ。あれ?こんな奴いたっけなぁ。と思ってスルーしてたんだけど。でもお兄さん、ここで働いたことがあるように見えないしね」

 確かにそれはそうだ。コートの下はそれでも……カタロスの顔には傷一つない。その細い指も、力仕事には不慣れな感じだ。

 何より近寄るだけで邪気を抜かれるような笑顔。警戒心の無い佇まい(事実、隙だらけだった)。

「ただの連れだ。こいつには何の力も無い。安心しろ」

「確かにそのようで」

「世話になったな」

 確かこれは、一年半前にここを去った時にも言った言葉だった。その相手も今と同じく窓口に立つ、浮薄な笑い方をする男フェルゼン・ノールだ。

 必要なことは全て聞いた。次に会う機会はあるだろうか。俺の方からその機会を持つことは、多分無い。フェルゼンは笑う。俺を見て、けれど遠くから見つめるように。そして、

「いってらっしゃい」

 と、そう言った。

 そうだ。まだカムラッドの一員だった頃――、俺が仕事の内容を確認する度、あるいは仕事の報告を終える度に、彼はこんな風に笑って言ったのだった。

 また来いとも言わず、また会おうとも言わずに。

 丁重に頭を下げるカタロスに、フェルゼンはひらひらと手の平を振り返す。

 この男は何も変わっていなかった。俺が去った後もこれまで通り、この窓口の前で頬づえを突いたり、若い女性客に声をかけて顰蹙を買うという馬鹿を繰り返すのだろう。

 何度でも。いつか終わるとしても。それまでの間に、何度でも。

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