第五章 八十四話
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ドアのノックで目を覚ました。眠りが深いのか、動じないカタロスとフリードを置いて、俺はノックに答えた。
「今開ける」
ドアを開けた先に居たのはルーチェだった。いつ見ても同じ服を着ている。制服なのだろうか。あまり体を注視しているとまた文句を言われるので、俺はすぐ視線を顔に向け直した。
「ババァが呼んでるから、そこのデカブツ達を起こしなさい。五分後には全員首を揃えて応接間まで来ること」
それだけ言うとルーシェはくるりと背を向けて、わざわざドアまで閉めた。まるで電報のような台詞だ。きっと誰が相手でもああいう風に言うのだろう。他人が全て同じ顔に見えているんじゃないかと思うくらい、人に対して興味が無さそうだった。そこがルーチェと一番違う所だろう。
応接間へ行くと、元首と昨日顔を合わせたミチザネが、その隣に見知らぬ二人が居た。金髪の背が高い方は笑顔を見せて頭を下げるが、背が低い黒髪の方はじっとこちらを見つめている。俺達を値踏みしているようだ。上着の裏に隠したナイフでさえ見透かされそうな視線だ。金髪の腰には騎士剣がささっている。どちらも只者ではないだろう。
黒髪の方はイズル、金髪の方はリゼルグと言った。リゼルグが全て、彼らの身上を説明してくれた。一目見た時から気付いていたが、彼らが着いるのはエペの制服だった。懐かしくはないが、眺めていると月日の流れを感じる。俺が居た時のメンバーはまだ残っているのだろうか。もう一人も名前も思い出せないが。
かいつまんだ話をするのはカタロスに任せた。途中、寄り道をしながらの要約だったが、イズルは必要な所だけ耳を傾け、リゼルグは熱心に聞き入っていた。
「あんたが咎負い……カタロスか」
イズルは例の目つきでカタロスを品定めしている。カタロスはそういう目で見られることに慣れたのか、じっとしていた。微笑んでさえいる。
「どんな悪人ヅラかと思えば一般人だな。おまけに丸腰か。手刀一発で始末できそうだな」
悪態をつかれても、カタロスは困ったように笑うだけだった。イズルはため息をついて、カタロスを煽るのを止めた。代わりに、キッと口と目元を引き締めて言う。
「足を引っ張るなよ……といつもなら言う所だが、今は、あんたが全ての鍵を握ってる。全力で守ってやるよ。エーギルの炎に辿り着くまでに何人も死ぬだろう。互いに、どちらの兵もな。それでも、最後にお前一人が生き残っていれば、俺達の勝ちだ」
イズルという男……まだ少年だろう。彼は自分自身について何も語らないが、この言葉だけでその人間性を知るに、経歴を察するのに十分だった。死の恐怖は誰にでもある。完全に克服することはできない。ただ、それを上回る使命感を持つことはできる。彼は、完全に自分の感情をコントロールしている。
その後は作戦会議に時間が割かれた。フリードがずっと俯いたままなのを見て、カタロスは優しく声を掛けた。
「気になっているのでしょう?ジェニーさんのことが」
フリードは静かに首を縦に振った。元首の好意で、ジェニーの行方はイブリースの兵が追っている。
「もし彼女が帰ってきた時、それを出迎える人が誰もいないのは悲しいことです」
そう言うと、カタロスはフリードの肩に手を掛けた。
「ここに残って下さい。あなたがいなくなると、ジェニーさんは一人になってしまう」
フリードの返事を待って、カタロスは口を結ぶ。部屋の中は静まり返っていた。決断は、完全にフリードに託されている。
フリードが再び首を縦に振ったのを見て、会議は続けられた。
俺達は、全員一緒に行動することになった。リゼルグは矢張り、見た目通りの騎士だった。腕にはガントレットが仕込んであり、剣筋を受け止めることができるようになっている。つまり、リゼルグは重厚な騎士剣を片手で振るうことができるということだ。片腕で敵の剣を受け、残された腕で剣を振るうのは、想像以上に難しい。イズルは主に偵察、索敵に向いた能力の持ち主だが、百発百中の飛び道具は頼れそうだった。道具は苦無と言うらしいが、一度刺さったらなかなか抜けないだろう。抜こうするまでもなく、死に至るのだろうが……。イズルの飛びぬけた動体視力と、気流を正確に読む洞察力は、どこにでも役に立つだろう。
一風変わった特技の持ち主はミチザネだった。
「元首、オートマータをお借りできますか?」
ミチザネがそう一声掛けるだけで、元首は拳銃の形をしたオートマータと、本のような形をしたオートマータを衛兵に持ってこさせた。まるで前から打ち合わせをしていたかのようだ。他にも、見たことも無い形をしたオートマータが、元首の用意した鞄から飛び出してくる。一通りそれらを眺めるとミチザネは満足したように、オートマータを鞄に詰め直した。
「これらの使い道は、追々お話しましょう。元首殿、準備が整い次第、馬をお借りしますが、よろしいですか?」
元首が頷くのを見てミチザネは満足そうに笑った。これで会議は解散になり、俺たちは席を立った。しかし、部屋を出て行こうとするのを元首が呼び止めた。
「この子も連れて行ってもらえませんか?」
そう言って元首が指し示す先には、俯いたルーシェが居た。
「万密院にいるルーチェ・イスタンテ・エスペリオ。ルーシェは、その妹ですわ」
会議の間、ずっと下を向いていたのは迷っていたからなのだろうか。唯一の肉親、ルーチェに会う機会をここで得るべきかどうかを。
「どういう結果になるかは分かりませんけれど」
もしルーチェが俺達に牙を剥くのなら、ルーシェもその毒牙の前に晒されるかも知れない。肉親同士で殺し合うことになるかも知れない。そもそも、ルーチェが自分に妹がいることを知っているのかどうかも分からないのだ。顔がよく似ているとはいえ、肉親と知らず殺してしまうこともありうる。
「あたしも行くわ。ババアに言われるまでもないわよ」
覚悟を決めたルーチェの顔は、恐ろしいほど美しかった。一体その細い体のどこにそんな気迫があるのかと、未知に対する恐怖を抱かせる。そこはルーチェによく似ている。
こうして、エーギルの炎に向かうメンバーが決まった。ここを出る時に隣に居た人間が、戻ってくるときにはいないかも知れない。それでも目指すしかなかった。進めば地獄、引くも地獄。しかし、地獄の一番深い所にはまだ、未来が埋もれている。それが唯一の希望なのだ。