第五章 八十一話
元首を訪ねてきたのは、枯れ木のようにすらっとして痩せた男だった。三十代前半だろうに、髪は真っ白に染まっている。丸眼鏡に白衣という出で立ちは、医者か学者だろうか。元首は目を見開き、口を閉じたまま、じっとミチザネを見ている。切羽詰まった状況と裏腹に、ミチザネを名乗る男はニコニコと笑いながら元首に話しかけた。
「先客がいらっしゃいましたか」
「構いません。お話になって」
最低限の言葉を口にして、元首は再び石のように固まった。
「申し訳ありませんが他の方は席を外してもらえませんか。一時間ほど、お時間をいただきたいのです」
ミチザネにそう言われて、俺達は部屋を追い出された。そして、確かにきっかり一時間後、衛兵が俺達を呼びに来た。部屋に戻ると、ミチザネという男は席に座ったままだった。
「あなた方の知る所は、大方アタシも心得ていると考えてくださいな。元首から、おおよその事情を伺いましたゆえ」
俺とカタロスは、おずおずと空いている席に座った。
「そこの御仁」
席についたカタロスを見ながら、ミチザネが声をかけた。
「アタシは万密院でリムジェミニの研究をしておりました。自分としては科学の信奉者として生きたつもりでしたが、傍から見れば、己の頭の中にしかない妄想を実現しようとした狂人に過ぎません。一番狂っていたのは、研究の為に命を弄ぶことが、科学の名の下に許されると信じていたことでしょう。神の許しさえ乞わない傲慢な人間でした。ご存知ないでしょうが、アタシは何度もあなたのことを観察しておりました。遠く離れた研究塔から、カメラのレンズを通してね」
「視線だけは、いつも感じていました」
「今のアタシは、ただの住所不定無職ですがね」
ミチザネは困ったように笑ってから、体ごと俺の方へ振り返った。
「そして、そちらの少年」
ミチザネは背中を折り、頭を下げた。
「憎いでしょう。アタシ達の好奇心が。勝手にあなたに力を与えて産み落し、勝手にあなたを捨てたのです。後ろからズドンとひと思いにやってしまえば、いくらか気は晴れるとお考えかも知れませんね。けれど、それは少しお待ちください。思いを遂げるのは全て終わった後でも遅くはありますまい」
「それを言う為に、わざわざここへ来たのか?」
「まさか」
ミチザネは顔を上げてニヤリと笑った。
「あなた方がキンドルガルデンで見つけた魔砲。恐らくゲヘナは、エーギルの炎を使ってそれを動かすつもりです。エーギルの炎とは動力炉です。ヘリテージにマギを供給する永久機関……。それは長らく、民間の軍産企業であるクネパスによって秘匿されていました。彼らは炎を使わないのではなく、使えなかったのです。起動には、ジャマーの使役に匹敵するレベルの力を持ったマギテックが必要だからです。しかし、ゲヘナと結託することで使い手を得たようです。神殺しとまで言わましめた力……。一たび振るわれれば、万密院はおろか、周囲二百キロメートル以内にある全てのものが、欠片も残さずに一瞬で地上から消えるでしょう」
「ゲヘナにそんなマギテックがいたのか?」
「恐らく、ゲヘナがそのマギテックを得たのも、つい最近なのではないでしょうか。私はてっきり、それがカタロス氏だと思っていたのですが……。どうも違うようですね」
「どうすればいい?」
「エーギルの炎、その場所にまだ見ぬマギテックが居るはずです。炎は使役者が直接手を触れないと扱えない代物ですからね。そこで、かの者を抑えましょう。そして、やむを得ない時は炎を破壊する。エーギルの炎は地上で作られたものではない。神より遣わされたネフェリム達の道具であったと言われています。地上の素材や人間の知恵、物理法則に則って作れるものではない。再建造は不可能でしょう。エーギルの炎が失われることで、二度と動作しないヘリテージも数多くある。惜しくはありますが……」
「私が責任を持ちます」
元首はきっぱりと言った。
「よろしい。もしエーギルの炎が起動して魔砲への供給を始めてしまった場合、止めるにはやはりマギテックの力が必要です。その役割をカタロス殿にお任せしたいのですが、お願いできますか?」
カタロスと俺は、ほぼ同時に振り返って互いに顔を見つめた。
「……俺も行く」
そう伝えるとカタロスは一瞬だけ優しく笑い、さっとミチザネの方を向いて答えた。
「エーギルの炎までの道案内を頼めますか?」
「船頭はこのミチザネ・ヒラガが承ります。道中、ゲヘナの尖兵が配されていると思われます。危険も多いでしょう。たとえ地獄への船旅になったとしても、どうか大船に乗ったつもりでいてください」
「私はここに残って指揮を執ります。反乱の首謀者を取り押さえてしまえば、降伏勧告に彼らも従ってくれるであろうことを願って」
元首の言葉にミチザネは口元を緩めた。しかしそれは一瞬で、すぐに彼は立ち上がった。
「さて、準備を始めましょう。人の世を超えた楽園を作ろうとした者、楽園に君臨する神になろうとした者、咎負い、暗殺者……。妙な取り合わせですが、災厄の箱の底に埋もれた未来を掘り起こせるのは、アタシ達だけです。今はただ、前に進みましょう」