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第一章 八話

 カタロスと揃いで通りに出た。嫌な感じの風が吹いている。吹いたかと思えば止まり、止まったと思った途端、前髪が風にさらわれる。すっかり暗い通りの向こうを、ちぎれた新聞かすが舞っていた。冷めた空気が、通りを歩く俺達の頬を掠めていく

 カタロスは何も言わない。黙って、俺の半歩後ろを歩いている。気遣っているつもりだろうか。

 ただ、思い出していた。組織に拾われて以来、俺はジェットと一緒にいることが多かった。仕事の上でコンビを組まされたのは、ほんの数回だったけれど。

「腹が減ったな……」

 呟いてから、腹が減っていることに気付いた。呟いてから、「そう言えば本当に、腹が減ったな」と思う。

 朝(というか昼)はカタロスが用意したものを食べたが、夜のことは考えていなかった。

 カタロスは、スッと俺の横に並ぶ。俺が気丈そうだと知って安心したらしい。奴は弱々しい笑顔を見せて笑った。家に帰ってメシを食い、俺の隣でカタロスが横になる。

 奴のベッドはオールド・ワンが寄越してきたものだ。「カタロスくんを床に転がしておくわけにはいかないだろう?」と言って、その日の内に運びこんできた、紫檀製のベッドだった。

 奴はどうあっても庶民にはなれない男なのだろう。小市民のワンルームに、こんなものが似合うと思っているのだろうか。

 俺はそんなことをカタロスと話した。部屋の隅にある食器棚だって、その中にある陶磁の皿だって、あいつから譲り受けたものだ。「欲しい」と言った覚えはないが、「そんな物はうちにない」と言ったら寄越してきた。

 カタロスと俺は黙った。どこか無理のある空気。傷口に触れぬよう気遣う、余所余所しい態度。

「気遣わなくていい」

 堪えかねて俺は言った。天井を仰いでいたカタロスの顔が横を向く。奴はこちらを向いて息を呑んだ。けれど、それっきりだった。俺は前を向いたままで、カタロスも視線を外して天井を見る。

 死。

 こんな仕事をしておいてなんだが、

「死について考えたことはあまりない」

 俺の独白を聞いてもカタロスは黙っている。俺は人を殺すこと、他人の死という結果を以て得られる報酬の意味も、まるで考えたことがなかった。報酬を得てまで、何故生きるのかということも。

 考える必要は無かった。

 生きていく為に、一々理由が必要だろうか?理由が無ければ、生きてはいけないのだろうか?

 そうではないだろう。だから考えない。

 カタロスは黙って独白を聞いていた。同意も反論もしない。

 そう俺はただ、聞いて欲しいだけだった。理解してもらう為にだ。俺がそういう人間なのだということを、死という喪失に対して、何の慰めも必要としていないことを理解してもらう為に。

 それでも分かったことがある。ジェットの遺体を見て、ジェットとの過ごした記憶を思い出すよりも先に。

 まじまじと遺体を見つめた時、そこにあるのは「実感」だった。

 ジェットにあったかも知れない未来の「可能性」が、今ここで全て失われてしまったのだと。未来は、全て断たれたということを。

 死とは多分、失われることだ。命が奪われるとは多分、可能性が消滅するということなのだ。

 たとえばジェットに女ができたとする。首尾よく付き合えるようになったら、どうやって「初めての夜」に持ち込もうか悩むだろう。そして女と身を固めるのを機に、この世界から足を洗って「まっとうな」人間として生きていくかも知れない。

 あるいは、この世界のトップに上りつめ、名前を聞く度に誰もがギックリするようなギャングになっていたかも知れない。もう俺なんか手の届かない「一流の人間」になってしまい、そうなれば、二度と俺の腕を掴んだりなんかしないだろう。

 けれど、どの未来も、もうこの世には存在しないのだ。

 俺の言葉を聞いて何と思ったのか、カタロスは黙っていた。そっと、横にいるはずのカタロスを見遣ると、カタロスはこちらを向いていた。

 正視に堪えない。けれど、目を逸らしてはいけない。そんな表情だった。

「なんでお前がそんな顔してるんだよ」

 夕方にも思ったことだが、問い詰めたのはこれが初めてだった。

「ジェットさんが理不尽な運命を憎むことも、それをもたらした者達を恨むこともないような顔をして死んだことが、彼の死に顔からよく分かる。それが悲しいんです。そんな人が、この世から失われてしまったということが」

 俺は佇まいを直してカタロスを見つめる。奴は「死んだから可哀相」だとか、知り合いが死んでしまった俺が不憫だとか、そういうことを言いたいわけではないらしい。

 この男もまた、この世界に存在していた可能性が一つ失われたことを実感したのだ。それを嘆いているらしい。

 カタロスは想像力が豊かな男なのだろう。そこにあったはずの人生を想像できるから――この先あったはずの未来が失われた悲しみを思って、泣くことができる。


 翌朝、顔を洗い、短く支度を整えた。壁にかけておいた黒いジャケットに手を伸ばした時、寝ぼけた瞳がこちらを向いた。間抜けなカタロスの声がへろへろと俺の耳を掠めていく。

「あの、どこに行くんですか……?」

 俺は手短かに言った。

「調べなければいけないことがある」

 そう返すと、カタロスはゆっくりと体を起こした。頭はまだ寝ぼけているが、瞳は真摯だ。

「……気になることが、一つだけある」

 昨夜――別れ際に告げられたオールド・ワンの一言。

「最近、新聞の片隅に小さく載る記事がある。連日のように載っているけど、新聞をとっていない君は知らないかも知れない」

 確かにここ一週間、俺はレストランに寄りつかなかった。お陰で新聞を読んでいない。

「ここ数日、各地で変死体が見つかっている。それもただの変死体じゃない。問題は、死体そのものではなく、彼らに共通する特徴だ」

 オールド・ワンの声はゆっくりと吐き出された。その緊張感に煽られて、俺の後ろにいるカタロスが肩を震わせる。

「全員、万密院に侵入した過去があるんだ」

 ジェットの名前が昨日の新聞に載っていたことも、俺はその時初めて知った。

「たまたまなのか、意図的なものなのかは分からない。ただ、どうか気をつけておいて欲しい」

「どこか心辺りがあるんですか?」

 カタロスに問われて、俺はこっくりと頷いた。ジェットの遺体は郊外の街道の上に野ざらしになっていた。しかし彼はそこまで歩いて行ったわけではない。

 そう、彼は拷問を受けたのだ。誰かに殺されている。

 そしてもう一つ分かっていることは、ジェットが何かの仕事の最中だったということだ。

「ジェットくんは、何かの任務の最中だった。これは確からしい」

 ジェットは誰の依頼を受けていたのか、それを知るのは簡単なことだった。奴がまだ、あの場所に居たというのなら。

 確かめよう。そう思ったのと同時に、俺は明日、発つことを決意した。翌朝、カタロスを連れて汽車に飛び乗る。思い出すことは一瞬でできるのに、すぐそこへ行くことはできない。思考は光よりも早い。けれど、体は重力に縛られて鈍重だ。

 懐かしいとか、そういう感情は特にない。ただ、久しぶりに訪れることを思ってため息が出た。そう、本当に訪ねるのが久しぶりだと。

 カムラッドという名前だった。そこが俺を拾い育て、俺が出て行く時も何も言わずに送り出した場所の名前だった。

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