第4章 七十九話
出口に近付くにつれ、石床が照り返す外の光がまぶしくなる。イーリスとリゼルグが外に出ると、イズルとミチザネが並んで二人を出迎えた。イズルはリゼルグを見て、ニヤニヤ笑いながら言った。
「骨にはなっちゃいねえようだな。ちゃんと足もあるし」
「世界最高レベルのガードマンが居たからね」
軽口を叩きながら、リゼルグとイズルは歩き出した。ミチザネも後を追う。
ふと気付いて、リゼルグは背後を振り返った。城の前に立つイーリスは、じっと三人の背中を見つめていた。
「ありがとう、イーリス」
ミチザネも踵を返して立ち止まり、イーリスに一礼した。
「世話になったな。膝のナイフは……あの時はしょうがなかったんだ。不可抗力だから勘弁してくれ」
イズルもそっぽも向きつつ、ちらっと横目にイーリスを見ながら言った。
リゼルグは立ち止まったまま動かない。しかし、ミチザネとイズルの視線が彼を急かした。
「……君には、教わりっぱなしだったね。この城の歩き方、罠のかわし方、君の強さ、僕のダメな所。初めて知ることばかりで戸惑うこともあったけど、とても楽しかった。感謝しきれないよ」
つかつかとイーリスに歩み寄って至近距離まで来ると、リゼルグは手を差し出した。イーリスは大きな瞳をリゼルグに向けたまま、空を仰ぐように顔を上げた。
「また来るよ。今はそれしか言えない。でも今度来る時は、『一緒に行こう』って言うよ。この場所が君にとって大事なのは分かる。でも、君も新しい道を探し始めてもいいんじゃないかな」
イーリスは守護者としてこの城に置かれた。しかし、守るべき主も、倒すべき敵も、もうこの世にいない。
「これからは、君がしたいことをしてもいいと思う」
「私のしたいこと……」
「まずは、それから探さないとね」
そう言って、リゼルグは笑った。
「時間はいくらでもあるんだ。特に君には、永遠にも等しい時間が……。ゆっくり決めればいい」
「それが、終わらぬ生を持つ者の定めかも知れないな。生きる限り問い続ける。何をすべきかと。君達が来て、時代が変わったことを気づかされた。私のかつて居た時代は終わったのだ。役割は既に終えていた、とうの昔に。いずれまた、新しい役割を探すとしよう」
自分が生まれ育った城を振り返りながら、イーリスは薄く笑った。
「出来ると思うか?機械たるこの体で、それを考えることが」
「諦めちゃだめさ」
「道は歩いた後にできる……。まずは、歩かねばな」
イーリスは、リゼルグが差し出した右手をしっかりと握りしめた。
「また会おう。道を行けば、いずれまたどこかで交差することもある」
「歩き続けてさえいればね」
馬車を失った一行は、ひたすら徒歩でイブリースを目指す。何も無い砂原を、乾いた風に撫でられながら歩く。まるで、人間だけその場から消えてしまったのかのような場所だ。風化しかかった家の中には、テーブルや食器があり、部屋の中には洗濯ものが干されたままになっている。
「ゴーストタウンですね。この近くにはイブリースがありますし、もしかすると、そのせいかも知れませんが」
「イブリースが住人を追い出したってことか?」
「あるいは事故です。ヘリテージの誤作動で、そっくりそのまま、命あるものだけどこかに飛ばされてしまったとか」
「ヘリテージってのは神のオモチャだな。そんなことまで出来たら、もう人間の手に負えないだろ」
「結局、彼ら自身も道具を制御できなかったのですよ。技術的にも、精神的にも。仲間割れを起こして内側から崩壊していったのです」
「どれだけ生活が豊かになっても、人間の欲深さは変わらないみたいだな」
「それを彼らは計算していなかったんです。欲深さなんて、計算式の中に入れられる単位じゃありませんから」
「頭でっかちの連中を一つ所に押し込めて機械いじりばっかさせてるから、生身の人間のことを考えられないんだよ」
「その言葉、彼らももっと早く聞きたかったでしょうね」
更に二時間ほど歩いて、ようやくイブリースの本部が見えてきた。高さはおよそ五十メートル。奥行き百メートル、幅三十メートルほど。一体どうやって建てたのだろう。昔の人の背中には翼があったのかも知れない。太い柱が五メートル間隔で並び、建物をぐるりと囲んでいた。紀元前後、大陸の西にあった都市国家には、こうした建物があちこちに建てられていたという。門の前には甲冑に身を包んだ兵士が五人、高台に弓兵が待機しているのが見て取れた。
「二人はここでお待ち下さいな」
そう言って、ミチザネは一人で門番に近付いた。いきなり剣を向けられることは無かったが、イズルとリゼルグは固唾を飲みながら見守る。弓兵の矢がまっすぐこちらを狙っているのが分かる。ビシバシと鋭い殺気が二人の頬を掠めていった。
「元首にお伝えください。ミチザネが参りましたと、それだけで十分です。この名前、忘れるはずもない」
朗らかにそう言うミチザネを訝りつつ、門番の一人が本部の奥へと消えて行った。そして、甲冑をやかましく鳴らしながら戻ってきた。ミチザネの前で止まるなり敬礼さえし始めたので、思わずイズルとリゼルグは顔を見合わせた。
「アタシもそろそろ、お役に立たないといけないと思ってたんですよ」
ヘラヘラ笑いながらミチザネは言った。三人は兵士についてスタスタと神殿の奥に向かう。付き人達の態度は恭しく、三人の荷物を自ら進んで運びさえした。
「どうなってんだ。こりゃ……」
「アタシとしては、友人の家を訪ねたぐらいのつもりだったんですがね」
リゼルグが首を傾げた。
「友人?」
奥まった部屋の前に案内された三人は、誰からともなく顔を見合わせた。この部屋の中にイブリースの元首がいる。元首とやらは話し合いに応じてくれるだろうか?話を信じてくれるだろうか?自分達に打つ手はあるのだろうか……。もし何も無かったとしたら……。
「さて、扉を開けていただきましょうか」
ミチザネが頷くと、兵士はゆっくりと扉に手を添えた。
「アタシ達に残された最後の希望、あるいは絶望がこの先にある。この扉を開けてしまえば、もう後戻りはできませんよ」