第4章 七十三話
イーリスが加わって、城内の探索はかなり安全になった。彼女の後ろをついて歩けば罠を回避することができるし、目的地への最短ルートも分かる。
「とはいえ、彼女がイズル殿のナイフに全く反応できていなかったのが気になりますね」
前を歩くイーリスの小さい背中を眺めながら、ミチザネがポツリと呟いた。隣に並ぶイズルが顎をしゃくる。
「一千年も前の機械なんだからガタが来てるんだろ」
「まさしく。最後にメンテナンスを受けたのもいつなのやら」
イーリスは二人の話を聞いているようだったが、淡々と歩を進めるだけだった。主を失ってなお、城を守護せし彼女は、今はミチザネ達のガイドをしている。しかし、用が済めばリゼルグ達はこの城から去ってしまうのだ。それを考えると、リゼルグの顔は曇ってしまうのだった。
一体、誰が彼女に報いるのだろう。人知れず過去の約束を守り続けた彼女に、何が残るのだろうかと。
「まぁ、彼女に報いてもバチは当たらないでしょう。この城も、アタシ達も」
そう言ってミチザネは、リゼルグに向かって片目をつぶってみせた。イズルがヒュゥと口笛を吹く。
「直せるのか?」
「ふふーん、アタシを誰だと心得ているのです?」
「自分では黄金の林檎の司書って言ってたけど、実際ただの無職だよな」
ミチザネがイーリスに案内を頼むと、イーリスは階段を三階分昇った。三人が後に続くと、彼女は南側の廊下をまっすぐ突っ切り、奥の部屋の扉を開けた。しかし、扉の先には「壁」があった。リゼルグが首をひねった瞬間、
「……なーんてね」
と、ミチザネが言うと……。イーリスは扉の奥にあった壁を力いっぱい押して、「壁をこじ開けた」。壁は引きずるような音を立てて、奥へ奥へと移動した。
壁の奥にあったのは、埃をかぶった本の山と、大理石でできた手術台ほどある大きさのテーブル、隅に何やらよく分からない機械類が詰んであった。千年の時を閉じ込めたままだったせいか、埃の貯蔵庫と言えるほど部屋は汚かった。
「ここが賢王の間ですね」
ミチザネは首を巡らしながら、部屋の中を物色し始めた。やがて、部屋の隅にあるガラス板がハマった箱をいじり回して、ほっと溜息をついた。
「電源が生きてるし、OSも使えるようですね」
「賢王の部屋?ってことは、四雄王の部屋なのか。ここは」
「その通り」
四雄王とは「武王、賢王、魔王、聖王」の四人の総称である。武帝とも称えられる一騎当千の武王、稀代のオートマータ発明家である賢王、人智を越えた妖術の使い手と恐れられる魔王、そして、その三人を統率した聖王の四人を、いつからか四雄王と呼ぶようになった。
「聖王って、なんで聖王って名前なんだ?奇跡を起こしたとか、神のお告げを受けたとか、そういうわけじゃないんだろ?」
「優れた為政者のことを聖王と言います。今でも、聖人君主と言うでしょう?徳と知と力を兼ね備えた方だったのですよ」
言いながらミチザネは、イーリスにツルツルした材質の紐を取りつけ始めた。サテンや絹とも違う手触りにリゼルグが首を傾げていると、「ケーブル」という道具なのだとミチザネが教えてくれた。
「ソフトに問題があるのか、ハードをやられているのか……。もしハードの方となると、手を出せませんね」
「分かるように説明してくれ」
「もしボディに損傷を受けたのが原因となると、アタシの手には負えません。しかしソフトの方、つまりプログラムやメモリ……。彼女の思考や記憶力の問題であれば、多少改善はできるかも知れませんね」
「逆の方が難しそうに思えるけどな」
「人間ならね。彼女達の記憶は全て文字列に置き換えられ、思考もまた、文字列で構成した命令文で制御されています。それを書き換えたり、消したりすれば修正できますよ。物理的な損傷の場合はパーツの交換が必要になりますけどね
ガラス板がハマった箱の前には、小さいボタンがたくさんついた板が置かれていた。これが作業用の機械一式なだのという。ミチザネは板の上に並んだボタンを一時間ほど叩いていたが、ようやく画面から目を離した。
「記憶領域に溜まったゴミデータの削除と最適化をしました。まぁ、気休め程度の処置ですが。ボディの経年劣化による損傷は、どうにもなりませんね。コアから送られた信号が届くまで遅延があって即座に反応できず、関節の可動部分も消耗しているので、機動力は全盛期の半分以下といった所でしょうか。とはいえ、千八百年も動き続ける機械なんてまずありませんからね。耐久性は十分優秀でしょう」
「結構、簡単に直せるんだな」
「コード……命令文が非常に読みやすかったので、割りと楽でしたね。この手の物は個人の日記みたいなもので、他人が読んでも全然分からなかったりするのですが」
「悪いもういい。何言ってるのかさっぱり分かんねーわ」
ミチザネはイーリスからケーブルを外して、そっと電源を入れた。
「完全に稼働できるようになるまで、ちょっと時間がかかります」
しばらくジィジィと虫の鳴くような音が、イリースのあちこちから漏れてきたが、やがて彼女は静かに頭を上げた。
「大丈夫?」
おずおずとリゼルグが声をかけると、イーリスはこっくり頷いた。
「問題無い」
ほっと息をつくと、改めてリゼルグは部屋の中を見回した。
「ここで、賢王が生活していたんですね……」
そう思いながら観察してみると、飲み差しらしいカップや、使われっぱなしの鏡が置かれていることに気がつく。この部屋の住人は、ずぼらな人間だったようだ。窓の横に置かれたサイドテーブルの上には、花瓶が置かれている。中を覗き込んで見ると、黒い塵が底に残っていた。活けておいた花の成れ果てのようだ。
「発明家って、こういうのに興味無さそうな感じだけど意外だなぁ」
そう言って、リゼルグが花瓶を手に取るのと、イーリスがリゼルグに飛びかかったのは、ほぼ同時だった。
「!」
花瓶を動かした瞬間、テーブルの真下にあった床がぱっかりと口を開けた。足場を失ったリゼルグは声を上げる間もなく落下して姿を消し、リゼルグを止めようとして遅れて飛び出したイーリスもまた、リゼルグを追って落とし穴の中へ落ちて行った。
トラップ……。城内と同じように、部屋にもまた罠が仕掛けてあった。遠くから聞こえるような、細い悲鳴が穴の中からこだまする。しかし、声はすぐに空しくかき消えていった。茫然と立ちつくしていたミチザネは、ポリポリと頭をかきながらイズルを振り返った。
「あ、えーと……。罠があるかも知れないから気をつけてって、言いませんでしたっけ?アタシ」
「お前、どうでもいいことはベラベラ喋るのに、肝心なことは言い忘れるんだな」