表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/101

第四章 七十話

 何故、万密院はゲヘナを今の今まで放置していたのか。不穏分子を泳がせておく理由は何なのだろう?

「万密院にしてみれば、貴重な天然のサンプルですからね。乱獲できないでしょう。それに、自然環境で過ごすことで進化するかも知れない。そう考えているのかも知れませんわ」

「進化って、そう簡単に起こるものか?」

 俺が問いただすと、元首はにやりと笑った。

「生物は環境に適応する為に進化する……と、お思いでしょうけど、逆のパターンもありますのよ。つまり『空を飛びたくて翼を囃す生やすのではなく、翼が生えたから空を飛ぶ』と。それが突然変異。こればかりは神の振ったサイコロが如く、誰にも予測し得ない変化ですわ」

「ゲヘナってのは、ネフェリムと人間の間に生まれた子どもの子孫なんだろ?それこそ、異種族配合くらいの引き金が無いと人間だって早々変わらないと思うけどな」

「そうですわね。それこそ、クローンを作る技術が生まれるくらいの革新がなくてはね」

「…………」

「それができてしまうのが、人間なのです」

「どうすれば、この戦争を止められる?」

 元首の言う全面衝突も、やむをえないだろう。けれど、もし戦争になったとして、それはいつまで続くのか?

 俺達がいたソドムの街は、ただでさえ暴徒達が燻ぶっている。

 よくある話だ。戦争や災害に紛れた便乗犯罪で、街は荒れるだろう。そしてそんな火種を抱えている所は、ソドムだけではないのだ。暴力の前に札束は紙切れだし、硬貨で腹は膨れない。

「もし万密院のジャマーが使えるようになれば、ゲヘナも兵を退くかも知れませんわ」

 矢張りそこだった。元首の声が冷たくそう言った。

「付け入る隙があるから攻めるわけです。この機会を逃せば、もう二度と叩く機会が無いかも知れないから、彼らも必死です」

「カタロスを万密院に引き渡せっていうのか」

「いいえ。ただ、ジャマーを使うにはそれしかないでしょう」

「お前、嫌な女だな」

「存じておりますわ。ずっと昔から。でもごめんなさいましね、こういう言い方しかできないの。どうしたって、今は、そうするしかないから」

 そんなことは分かっていた。分かっていたのに元首を責めてしまう。すっかり冷静じゃなくなっている。

 カタロスを引き渡せは戦争は未然に防げるのか。けれど、それはカタロスがあの場所に戻ることを意味する。地獄と呼ばれるあの牢獄の最下層に。

 俺と出会った時、カタロスは笑っていた。微笑んでいた。

 けれど、目にはうっすら涙が浮かんでいた。俺の手を握って笑いながら涙を流した。

 ロックイットでの夜もそうだった。殺される覚悟を決めるように目を閉じたカタロスは、俺の手を握って、やっぱり微笑んだ。自分を殺すかも知れない人間の手を握って。静かに涙をこぼしながら。

 何故だろう。あの時の涙の意味を俺は知らない。何故笑ったのかまだ分からない。

 まだこいつを一人にはできない。まだ、聞きたいことがある。

 元首は大人しく口をつぐんでいる。隣のルーシェもだんまりだ。カタロスも同じ。そして、全員視線を合わせようとしない。けれど、ゆっくり口を開いたカタロスが

「元首……。あなたはご自身の役割を、権利でも責任でも無いと言いましたね。もし僕に役割があるなら、きっとそれは使命でしょう。罰でも義務でも無く」

 カタロスは顔を上げた。

「戻りましょう。万密院に。そもそもの火種は僕なんです。僕が脱獄しなければ、こんなことにならなかった」

「俺がお前を連れ出したのが原因だろ。俺がオールド・ワンの仕事を受けなければ、何も起きなかった」

「それは言わないでください。それを言われると、あなたとの出会いを否定しないといけなくなる」

 そう言って、カタロスは少し困ったように笑った。

「僕は、僕自身の意志で外に出たんです。知っていたんですよ、僕は。あなたが迎えに来ることを」

「何だって――?」

「突然でした。彼が……オールド・ワンが、僕の前に現れて言ったんです。外へ出たくはないかと。名乗りもしなかった。僕が訊ねるまでにこにこ笑っていて……。普通なら、本当にできるのか?と訊くでしょう。けれど、そんな気になれなかった。そもそもこの場所へ一人で辿りついていること自体ただごとじゃないし、『出来て当然』とばかりに、彼は笑いながら、僕に手を差し出していた。三日後に迎えを寄こすと言って」

 あの男……オールド・ワンは、既に自力でエルガストゥルムに侵入できていたのか。それなのに、わざわざ俺に行かせたのか?何のために、そんな手の込んだことを……。

「蛇にそそのかされた人間みたいに……。いけないと分かっていたのに、手にしてしまったんですよ。僕がいなくなったら、ジャマーを扱える人間がいなくなるのに」

 カタロスが言っているのは聖書の話だ。確か……サタンとか言う蛇がそそのかして、イブに知恵の実を食わせたのだ。その結果……イブとその伴侶アダムは、楽園を追放される。

「たとえ神の恵みが無い見放された土地だとしても、僕は外へ出たかったんです」

「それなのに、戻られるというのですか?万密院へ」

 彼女自身、理屈に合わない質問をしている自覚があるのだろう。そうするしかないと分かっているのに。しどろもどろになりながら、元首が訊ねる。

「感謝しています。オールド・ワンにも、彼にも。もう一度……青い空、赤い太陽を見ることができて、澄んだ空気を味わうことができた」

 そう言ってカタロスは俺を見た。まっすぐ見つめられて、思わず俺は肩を引く。その視線には、妙な凄みがあった。

「『やるしかない』よりは、『僕にしかできない』。そう考えた方が前向きになれます」

 いつになく、有無を言わせない口調だった。たとえ止めても、一人になっても、這ってでも、こいつは万密院に戻るつもりだろう。

 止めたい、が、方法が無い。他に、どうすればいい……?

 オールド・ワンは一体、何の為にこんなことを?

 結局これでは、全部元に戻ってしまう。元の木阿弥だ。俺は、こいつは、そんなことをする為にここまで来たのか……?

 全員が押し黙った所で、部屋の扉がけたたましく叩き鳴らされた。何事かと元首が振り向き、ルーシェがサッと立ち上がって、元首の傍で身構えた。外から衛兵の野太い声がする。

「元首に至急お目通り願いたいと申す旅人が辿り着いております。『ゲヘナの反乱に関するものである。我が名がミチザネであること、お伝え願い申す』と、申しております」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ