第四章 六十七話
政治の話をしましょうか、と元首は言った。運び込まれた紅茶のカップに角砂糖を入れながら。小さくすぼまった赤い唇は、白いカップによく映える。
「もうあなた方も、無関係では居られませんもの」
元首は俺達を見回して、にっこり笑って言った。
「何故、万密院は本殿に手を出せないのか。何故ゲヘナは、今の今まで、万密院の人狩りを見過ごしていたのか……」
イブリースは宝の山だ。万密院だけじゃない。他にも、イブリースが持つヘリテージを欲しがる奴はごまんといる。何故この場所は、独立を保ち続けてきたのか?
「あるんだろ、とっておきの切り札が」
俺が言ってやると、元首は小さな頭をこっくり動かして頷いた。
「私達は『アバドンの口』と呼んでいます。一般にはジャマーと呼ばれる装置ですわね。平たく言えば、マギやオートマータによる干渉を、どこか遠くへ飛ばして、『無かったことにする』装置ですわ。飛ばされる先は、我々が居るのとは別の次元ではないかと言われていますけれど……。このジャマーがある限り、万密院はここへ手を出せない。ゲヘナが万密院に手を出しかねている理由も同じですわ。万密院もジャマーを持っている。ただ、ジャマーを動かせるほどのマギテックなど、一国が生まれて滅ぶくらいの長い歴史の中で、一人生まれるかどうか……。それほど貴重な存在ですわ。存命している人物の中では、私とロックイットの老師と……そこの、カタロスさんくらいではないかしら」
なるほど……。俺はため息をついて言った。
「今が好機とってことか」
「まさしく」
「今の万密院に、ジャマーを動かせる奴はいない」
「一つ気になることがありますの」
元首はカップの中にミルクを垂らした。ミルクは渦を巻いて、じわじわと底を覆い隠していく。
「ジャマーを使える者が居なくなったことを知ったからこそ、ゲヘナは万密院を襲撃する手はずを整えています。けれど私達は、あなた方の話を聞くまで、万密院のマギテック……カタロスさんの不在を知りませんでしたわ。どうやってゲヘナが、それを知りえたのか……」
「万密院の中に裏切り者がいるか……」
「あるいは内通者ですわね。つまり、カタロスさん誘拐の計画を予め知っていて万密院に潜入し、計画の成功と同時に、ゲヘナへ知らせることになっていた」
「カタロスの誘拐を持ち出してきたのは、俺の……仕事の依頼主だ。そんな計画があるなんて、一言も無かった」
「だとすれば、その方も利用されているのか……。逆に首謀者で、あなたには事実を全て伝えなかったか。こればかりは、分かりませんわね。ご本人に伺っても、真実を話していただけるかどうか」
「あいつの話はいつもそうだ。嘘じゃないけど、全てじゃない」
「手品のような手口ですわね」
そう言って、元首は手の平を天井を向けて、俺達の前に差し出した。そして、細い指を折って拳を作る。そして、拳を裏返して手の平を開けた時……。手の平の中にあったカップの中に、角砂糖が落ちた。
危うく椅子をひっくり返しそうになったカタロス、目を見張りつつ黙っているフリード、欠伸でもしそうな目で見ている俺と、それぞれの反応を見て、元首は満足したようだった。
「袖の中に角砂糖を仕込んでおいて、裏返す時に腕を少し斜めにして、手の平に角砂糖を滑り込ませただけですわ」
驚きで震えているカタロスが哀れに思えて解説してやろうと思ったのだが、先に元首がネタをばらす。
「目をそらさせる為に、別のことに注意を向けさせて、そこにあるはずの真実を覆い隠す」
手品か……。なるほど。それが一番、あいつの――オールド・ワンに近い印象かも知れない。あいつは何でもできるように見せかけているが、そんなはずは無いだろう。けれど、「何でもできる」と思わせるな振舞いをやってのけるのが、奴なのだ。
一度も会ったことがないのに、正確にオールド・ワンを評した元首の審美眼は、大したものだ。俺は何度もあいつを見ているのに何も気付けていない。俺の目が節穴なのか、上手く煙に巻かれているのか……。
恐らく、両方だろう。
「現実の話をしましょうか」
と言い置いて、元首は俺達を見回した。
「今、キンドルガルテンの遺跡へ兵を向かわせています。動力炉の場所が分からないので、まずは魔砲を差し押さえるつもりですが……。堅牢な包囲網を敷いているでしょうから、突破は難しいでしょう。動力炉は、いくつか宛てがあります。どれも、今すぐにでも破壊できましょう。けれどあれは、貴重な遺物。復元が難しいのです。現在の我々の技術では、残念ながら不可能ですわ。なるべく破壊したくありませんし、何より、何の根拠も無しに民間への武力介入は許されません。教義に反します」
「そんなんじゃ、戦争が本格的に始まるのを四、五日遅くするくらいが関の山だ。何の解決にもならない」
「対策本部を急ぎ作らせ、戦略会議を開いておりますわ。ただ、どのような方針になっても……我がイブリースの精鋭師団を、万密院へ送り込むことになりましょう」
「鎮圧するのか?ゲヘナを」
「ゲヘナを名乗るネフェリムにそっくりなクローン……。『リムジェミニ』と我々は呼んでいましたけれど、彼らもまた同胞ですが、止むをえませんわね」
「…………」
「そもそも、彼らがマギを持って生まれた原因は我々にありますから、今回の戦争の原因も、翻っては我々の責任ですわ。力ゆえ彼らは利用され続けてきた。ですから、罪は私が負いましょう」
具体的な方策が決まり次第、お伝えします。元首のその言葉を最後に、会見はお開きになった。
使いの者を泊めるのに使われている客室をあてがわれたので、部屋に入るなり、俺はベッドの上で横になった。カタロスも黙ってベッドの淵に腰掛ける。フリードは客間を出た後、外で控えていた衛兵に声をかけられて、そのままどこかへ行ってしまった。
一体、誰が悪いのか。
神の子を真似た人間「リムジェミニ」を作り出したイブリースが、全ての元凶と言える。しかし、彼らは悔い改め、むしろ、リムジェミニ――ゲヘナを同胞として保護しようとしている。これから起こるであろう戦争も、万密院の人狩りが原因なのだから、イブリースに直接の原因は無い。
ゲヘナの襲撃は、正当な復讐と言えるだろうか?ゲヘナの仕掛ける戦争で、無関係な人間の血が多く流れるだろう。その血でできた川の中を、累々と死体が流れていく。そんな光景も、そこかしこで見られるだろう。
万密院が無ければオートマータは栄えず、文明の開化も無かったはずだ。機械化と鉄道の開通で、むしろ仕事は増え、人の行き来が活発になり、商業が栄えるようになった。万密院の末端は、人狩りの事実を知らないだろう。むしろゲヘナを蛮族と教えられ、自分達こそが正義だと思わされている。
「上手くまとまらないもんだな……」
どうりで楽園なんか、存在しないわけだ。