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第四章 六十六話

 森を抜けて一時間歩くと街が見えた。次の街まで、あと半日はかかる。気が逸るフリードを説得して、俺達は宿を取って休むことにした。

「ちょっと意外でした」

 三人でベッドの上で横になり、そろそろ寝付こうかという頃、カタロスが囁いてきた。森での俺の行動を言っているのだろう。確かに、らしくないことをしたと思う。

「何せよ、全部あいつの自由さ」

 差し出された手を取るかどうかは、あいつ次第だ。

 俺が初めてカムラッドに招かれた時、ゴロツキにボコされてくたばり損なっていた時、それぞれ、俺に手を差し出す奴が居た。

 そいつらにはそれぞれ思惑があって、必ずしも親切心からの助け舟では無かった。けれど、その手を取らないと、生きていけないのは確実だった。一も二も無く、溺れる者は藁をも掴む。その岸辺に何が居るのか、まともに確認する暇も無く。

 けれど、藁さえあれば生き延びられる。藁を掴む腕さえあれば……。

「初めてあなたと会った時のことを思い出しました。どうやって入ってきたのか?何故僕を連れ出そうとするのか……。何も分からなかったし、ここから出てどうするか、僕はなんにも考えてませんでしたけど……」

 ふと、そこでカタロスの言葉が途切れた。

「?」

 そっと横を向いて隣のベッドを見ると、カタロスは天井を向いたまま微笑んでいた。

「差し出された手があなたの手で、本当に良かったと思う」

 差し出した手を掴んだのは、この世のどこより深い地獄に幽閉される、大罪人だった。もし身に危険があるようなら、構わない、仕事上の契約を破棄してでも、そのまま逃げ出すつもりだった。

 けれど俺の手を掴んだ手は温かく、血の通う瞳が、俺を出迎えた。見間違えじゃない。そいつは、笑いながら手を取ったのだ。俺は面食らった。百万年も獄中に閉じ込められる男が、こんな顔をするのかと。

「あなたで良かった」

 その夜は、それっきり静かになった。ただいつまでも、カタロスに差し出した右手が、あの時の感触を思い返していた。あの時、俺の手を取った時……カタロスが微笑んでいたことを思い出していた。


 徒歩でイブリースを目指して三日目。フリードを先頭に立たせて、俺たちは砂原を横断する。そこに生きている者の気配はまるで無く、倒壊した家屋や、野ざらしになって割れたままの食器なんかを見ると、ひょっとすると、この世はもう終わったのではないか?という気持ちにさせられた。

 死の匂いが充満している。それは戦場とも違う匂いだ。

 ここにあったはずの生は全て失われて途絶えたまま……。つまり、この場所だけ時間が止まっているのだ。絶えず前に進む時間の流れから、ここだけ取り残されている。そのせいか、この辺りは「黄昏の地」と呼ばれているらしい。

 神に成り代わろうとしてなれなかった一族の末路、イブリースの本拠地は砂原のど真ん中にあった。イブリースの連中は「本殿」と呼んでいるらしい。外観はまるで神殿のようだった。シンメトリーに作られた柱と門構え、中に入ると、異様に高い天井に張られたステンドグラスから、強い日差しが突き刺さる。一体どうやって、あんなに高い天井を作ったのだろう。これも、かつて滅んだネフェリム達の技術によるものなのか。 

 フリードがキンドルガルテンの使いで度々ここへ来ていたことが幸いして、フリードとその連れ(である俺たち)は、怪しまれること無く、本殿への入場を許された。

 フリードから事情を聞いた衛兵が、フリードと一緒に本殿の奥へ引っ込んでいった。随分待たされるので、手洗いの場所を尋ねようとした時、ようやく衛兵が帰ってきた。けれど様子がおかしい。顔も声もこわばっていた。

「元首が、貴殿らにお会いになりたいと申しております」

 元首は、言ってみればイブリースに所属する全ての者の代表に当たる。外交をする時に決定権を持つのも「元首」だ。つまり、最高権力者ということになる。

 元首とやらは、広い本殿の中にある十字路を二つ越えた先にある部屋で、俺達を出迎えた。客間らしく、絨毯が敷き詰められていて、下ろした尻がずっしりと沈んでしまう柔らかなソファが用意されていた。

「フリードより聞き及んでおりますわ」

 と、その言葉から分かる通り、元首は女だった。

 いや、少女だった。

「そちらの方、カタロス様のこと。そして、あなたのこと」

 少女は手を口に当てて、くつくつと笑った。その仕草は、順当に歳を重ねた淑女のようだ。様になっている。

 まるで東の国の人種のように目は切れ長で、猫目気味。髪は肩甲骨ぐらいまであるようだが、左右の側頭部分だけ、鈴のついた紐で結いあげていた。ツーサイドアップという奴だ。

「失礼いたしましたわ。私は……個人としての名前は持ちませんので、『元首』とお呼びください」

 元首と呼ばれて紹介された少女が、今まさに自分で名乗ったのだから、本当に彼女がイブリースの最高権力者なのだろう。どう見ても、十二、三歳くらいの子どもなんだが……。

「気になりますのね。私の、この姿」

 と元首。俺が思い浮かべた質問に対して、逆に、問いかけるように言った。

「え、いや……」

 視線を逸らそうとしたが、元首は微笑んだまま、俺の顔を覗き込む。

「確かに、元首たる者の威厳が感じられないかも知れませんわね。でも、この姿、自分では気に入っておりますのよ」

 元首はくつくつと笑って言った。

「ずっと昔から」


 元首は、茶の入ったカップを俺達に勧めた。

「ご存知かしら。ゲヘナはかつて、イブリースの一派だったのです。彼らはイブリースより袂を分かった者達、楽園の門を自ら破った者ども」

「その楽園の成れの果てが、この場所ってわけか」

「ええ、そして私は、楽園の門番だった者。今はイブリースという組織に携わる者たちの意志を代行する、器に過ぎませんわ」

「で、今や仕事はその同胞やヘリテージの保護、ね……。あんたは、ずっと昔からそんなことをやってるのか」

「ええ、正史が始まるよりずっと前から。この姿も、その時から変わりませんわね」

「あんたは……死なないのか?」

「死ねませんし、死ぬわけには生きませんわ。私には、器としての役割がありますもの。この姿は、その証のようなものですわね」

 この女はイブリースの元首として、気の遠くなる長い年月を、この場所で過ごしてきたのだろう。時間の流れから取り残された黄昏の地で。

 姿同様、変わらないこの場所で、彼女はずっと生きている。

「それが……あんたの義務なのか?」

「いいえ、義務でも責任でもありませんわね」

 かつて神に取って変わろうとしたとは思えないあどけなさで、少女は笑った。

「罰ですわ」

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