第四章 六十四話
ロックイットで見た「プロジェクタ」は人の記憶を読んで、映像化する装置だった。フリードは物に触れるだけで、その場に居た誰かの記憶を読み取る。
その手の能力は珍しいものじゃないらしい。俺の読みが正しければ……、ついさっきまで目の前に居たルーチェは、「俺の記憶の中に居る」ルーチェだったのだ。だから、本人なら知っているはずのことも「俺が知らない」から、答えることができなかったのだ。あれはルーチェ本人ではなく、俺の記憶の中にある「ルーチェのイメージ」を実体化しただけなのだから。
手品のタネがバレた途端にルーチェが消えて、俺はほっとした。たとえ偽物でも、あいつの体にナイフを突き入れることにならずに済んで、良かったと……。
そして、そこで俺は“目が覚めた”。
ゆっくり瞼を上げると、景色が真横に傾いていた。空が右、地面が左にある。体が地面に横倒しになっているからだと気付いて、慌てて胴体を起こそうとするが、両手が使えない。虚しく、上半身がエビ反りになっただけだった。両方の手首と足首を縛られているのだ。
そして、俺が身をよじる音に気付いたのか、フリードを縛りあげようとしていた少年が、はっとしてこっちを見た。
相手に幻覚を見せて体の自由を奪う。殺傷能力は無いが、生け捕りにするにはうってつけの能力だ。しかし、少年の腰に巻かれたベルトには、黒光りする鉄の塊がぶら下がっていた。少年は素早くベルトから鉄を――銃を取り上げて俺に向けた。
カタロスとフリードはまだ幻覚に苛まれているようだ。二人とも歯を食いしばったり、かぶりを振ったりしながら、脂汗をかいている。まったく悪趣味な能力だ。
銃は俺に差し向けられたまま、うんともすんとも言わなかった。しかし、俺が少年に声をかけようと身を起こすと、
「ガウン!」
と、発射された弾がすぐ目の前の地面を擦って、生えていた草を焼き、地面をえぐった。
「次に動いた時、弾は、もう少し奥に向かって飛んでいくぞ」
なるほど。やろうと思えば、こいつならできるだろう。腕前もある。かなり正確に弾が狙い撃たれているようだった。俺は顎をしゃくりながら言った。
「質問は?動かすのが口だけなら文句は無いだろ」
「答える必要が無い」
「大アリだな。お前の行動は矛盾だらけだ。俺達が邪魔なら、さっさと殺せよ。何で一人ひとり縛り上げるなんて面倒なことをする?幻覚を見せて体の自由を奪ったら、そこで全員殺せば良かったんだ」
「別に、お前達を殺すのに急ぐ必要は無い」
「普段から狩りの為に、その辺を走り回ってる動物を撃ったりしてるんだろ。なかなか腕が良いみたいだが……お前、人に当てたことはないだろ?滅多に人が来る場所じゃないからな」
「いい加減なことを言うな」
「手、震えてるぜ」
少年はギクリと肩を震わせて、俺を睨みつけた。
「震えてるっていうか、震えをこらようと必死って感じだな」
初めて人を殺した時、俺もそうだった。なぶられ続けて息も絶え絶えの標的の胸に、ナイフを突き入れるだけ。簡単な仕事だった。絶対的に自分が優位で、こいつの命は自分の腕一本次第だという状況で……
俺は震えていた。物語なんかのワンシーンで良く見る「人一人の命を蹂躙できることによる優越感」なんて、少しも無かった。ここでナイフを振り上げれば、今まで居た世界には戻れないという予感に押しつぶされそうだった。けれど、引き返すという選択肢が無いことも分かっていた。たとえそれが自分で選んだ道だとしても……震えが止まらなかった。
「たまに侵入者があれば、こうしてわざわざ縛り上げて森の外に捨ててくる。近くを汽車や馬車が通るから、そいつらが拾っていく可能性は高い。お前はずっと、そうしてきたんじゃないか?」
こいつなら、まだ引き返せるだろう。
「それに……お前みたいな子どもが、こんな所で一人でいるなんておかしい。他に仲間がいるんじゃないか?そいつはどうしてる?」
この一言で、俺は地雷原に足を踏み入れてしまったらしい。それまで黙って俺の話を聞いていた少年の頭に、血が上る様子がありありと見えた。血管が浮き出るくらい歯を食いしばって、少年は唾を撒き散らしながら叫んだ。
「そんなに死にたいのかよ!」
叫ぶのと、ほぼ同時に引き金が引かれた。俺の頬を掠めるような距離を、空気を裂きながら弾丸が飛んでいく。立て続けに銃身が悲鳴を上げて、その度に、空気が渦を巻くような速さで弾が射出された。
撃ち切りになった後も、空しく引き金を引く音だけが響く。少年は俺を睨みつけていた。触れるだけで切り裂かれそうな、鋭い視線だ。けれどその瞳から透明な雫が、軌跡を残しながら頬の上を流れていった。
弾は一発も、俺に当たらなかった。
少年は膝を抱えて、腕に顔を埋めたまま泣いていた。目を覚ましてそれを見たカタロスとフリードは、さっぱり状況が飲みこめず、ますます混乱していた。ちなみに、二人の幻覚をどう解除したのかというと……叩き起こすだけで十分だった。原始的だが、シンプルな方法で助かった。少年の縄の縛り方は、てんで素人で、解くのは簡単だった。
なんだか、声を掛けられるような雰囲気じゃなかったので、暫く少年の気が済むまで泣かせておくことにした。その間に、カタロスとフリードに説明した。幻覚のこと、俺が目を覚ましてから起きたことを全て……。要するに、少年に害意は無いだろうということ。ただ彼は、この森を守りたかっただけなのだろうと。
俺は、少年の手に握られたままの銃と、腰に巻かれたベルトを交互に見遣った。銃は少年の手には余る大きさで、ベルトも穴が足りないのか、ぶかぶかだった。恐らく、本来の持ち主は別にいるのだろう。弾倉が空になって、突っ伏して泣いている時でも、少年は銃を手放さなかった。
彼が泣き晴らした顔をようやく上げたのは、それから少し後のことだった。