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第3章 五十九話

 研究塔の階段を昇り、アンリはアインスの部屋を目指す。右手には買ったばかりの万華鏡があった。ルーチェと街に出た時に買ったものだ。

「退屈してるだろうから持って行ってあげなよ、王子様」

 ルーチェは研究塔で幽閉状態にあるアインスを姫に例え、それを迎えに行くアンリを、王子に見立てた。なるほどな、と思う。しかし、テロリストの王子など聞いたことが無い。気にいらない人間を焼き殺す姫というのも、なかなかお目にかかれないだろう。おとぎ話が見せてくれるような甘い夢には、全く似合わない二人だ。その二人を王子と姫に例えるルーチェのセンスも、どこかずれている。

 アンリが部屋のドアをノックをするのと同時に、中から返事がした。アインスはいつだったかアンリが持ってきたチェス盤の上に、駒を並べている。その横には、指し手を示したメモ。三日前、二人で仕合った時のものを記憶して、書き起こしたものらしい。

 もう自分では相手にならないだろう、とアンリは実感していた。お互い実力が拮抗する所までアインスの腕は上がったが、彼がこれ以上上手くなるには、アンリより強い相手が必要になる。好敵手さえいれば、アインスの腕はもっと伸びるはずだ。彼はまだ、囲われた檻の中にいるから、野性の世界で生きている強豪達を知らない。言ってみれば、今二人がしているものは草野球のようなもので、まだまだメジャーで通用するようなレベルではないのだ。アインスを井の中の蛙にしておくのは、惜しかった。

「ねぇねぇ、それ……」

 棒立ちになっているアンリの右手を見て、アインスはそろそろと手を伸ばす。

「この穴に、目を当てるんです」

 アンリは万華鏡をのぞきこむポーズを取ってから、アインスに万華鏡を渡す。少しの間、アインスは万華鏡を回したり振ったりして中の音を聞いたりしていたが、恐る恐る穴の中を覗きこんだ。

「?何も見えないよ?」

「底の部分に光が入ってないからです。底から手を離して、そのまま、窓の方を向いて」

 体ごと旋回して、万華鏡が日の光を取り込んだ瞬間、思わず取り落しそうになった万華鏡を慌てて持ち直しす。アインスはじっと、万華鏡の中に見入っていた。

「そのまま回してください」

 返事は無かった。黙々と万華鏡を回して、アインスは息をこぼす。

「二度と同じ模様にはならないんだね……」

 目の前の鏡像を一つずつ、じっくり眺めながら、アインスは万華鏡をカラカラと回す。

「この中だけ別の世界みたい。小さい箱の中にも、世界があるんだね」

 アンリは布団からはい出たままの、アインスの素足を見た。足首に擦ったような跡がある。幼い頃つけられた足枷によるものだろう。この塔から出ることができないのに、何故、管理者はそんなものをつけたのか?逃さない為ではない。自分は所有され、管理されている存在なのだと、思い知らせる為のものだ。初めてその傷跡を目撃した時、アインスはじっと、アンリを見つめたものだった。

「気になる?」

「いいえ」

 それっきりだった。その後、傷の話題には全く触れず、二人は黙って、本を読んで過ごした。

 アンリは孤児だった頃、少年兵としてライフルを担ぎながら戦場を這い回った。空の薬莢が転がり、泥水に浸かった死体が浮かぶ戦場を走って、日が落ちれば岩場に身を隠して、夜を越した。

 同年代の子どもなら、野原を駆け回り木に登って、気の合う仲間たちと川に出て魚を釣ったりするのだろう。アンリはそういう少年時代とは、無縁だった。

 そういう自分を、不幸だと思ったことはあるだろうか。同情してほしいと、思ったことがあるだろうか?

 全く無い。同情から来る「かわいそう」という言葉が、慰めが、彼には必要無かった。

 欲しかったのは、そんなものではない。


「よろしれければどうぞ」

「もらっていいの?」

「そのつもりで持ってきましたから」

 アインスは機嫌を良くして、布団の上でとび跳ねた。

「ふふ……」

 ごろりと横になって、アインスはいつまでも万華鏡を覗きこんでいた。鏡と硝子でできた玩具に小さな世界を見出して、それを楽しんでいる。

 今彼の手の中にあるより、もっと大きな世界を、これから敵にするかも知れないというのに。まるで、子どものようだ。

「この『マンゲキョー』の中にある世界は、僕とアンリだけの秘密」

 言いながら、アインスは万華鏡をアンリに寄こした。その中を覗き込むように目で訴えてくる。こういう所も子どもっぽい。どんな些細なことでもいいから、秘密を共有したがる。それがお互い仲間になる為の「通過儀礼」になのだ。

 アンリは万華鏡に手を伸ばす。ちょうどアインスとアンリで、万華鏡の両端を持ち合う形になった。

 欲しかったのは同情、慰め、激励、恵まれた環境……、そのどれも違う。

 ここも、戦場になる。辺り一面、焼け野原になるだろう。そうなった時に、こうして手を取り、背中を向け合っても平気な仲間がいること。それが何よりも心強いことを、戦地で育ったアンリはよく知っていた。

 ルーチェは、アンリとアインスを王子と姫に例えていた。王子が捕らわれの姫を訪れるという語りは、物語の常套句だ。しかし、二人の関係はそれだけではない。アインスにとって、アンリはきっかけに過ぎない。外の世界への窓となったアンリと出会ったアインスがどう行動するかは、アインス自身が決めることだ。アンリの手を取るのも、その手を離すのも、彼自身の意志による。そう簡単に「いつまでも幸せに暮らしました」とはならないのだ。

 アンリは自分の手の平を見つめる。いつか戦場で顔をかばった時に、ナイフで切られた跡が残っていた。腕には消えない銃創、脛には銃剣を刺された跡がある。幼い頃この傷を作った時の経験が、間もなく起こる戦争で、自分やアインスの身を守る力に変わっていることを、アンリは願っていた。

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