第3章 五十六話
遠くから響く足音がはっきり聞こえるようになったのと同時に、目が覚めたのだとリゼルグは気が付いた。そして、今まで気絶していたことも。彼は横たわったまま、薄く目を開けて周囲を窺う。目の前にはギッチリとはまった鉄格子、通路越しも牢屋になっているようで、その中に何かがいた。
それはあぐらをかいて壁によりかかっている。そして、声を出さずに口だけ動かした。
「(よぉ。おはようさん……)」
それだけ言うと――格子越しのイズルは目をつぶった。
自分だけではなかった……。リゼルグは気を失う前のことを思い出す。
ダンスが終わり、警備員に呼び止められたまでは良かった。疑われるようなボロを出していない自信があった。だからリゼルグは、むしろ堂々と対応したのだ。ただ、「連れが倒れて運ばれたからついて来て欲しい」と言われた時、嫌な予感がしたのも確かである。そして……屋敷の奥にある部屋の前へ案内され、何一つ訊かれることがないまま、リゼルグは問答無用で気絶させられた。背後から一撃。麻酔針もくらったのだろうか。首を触ってみると、虫に刺されたような跡がある。
イズルの隣の牢に入っているのはミチザネだった。全員捕まったことになる。しかし、全員が一か所に集まっているのは幸運だった。こればかりは敵の采配ミスに感謝しよう、と密かにリゼルグは苦笑する。
先ほどから聞こえていた足音が、目の前で止まった。起き上がって顔を挙げてみると、制服を着た男がいる。看守だろうか。
「おい、おっさん」
目をつぶったままイズルが呟いた。看守は振り返るが、イズルは意に介する様子も無い。
「それって……アタシのことですかね?」
ミチザネが恐る恐る訊ねる。
「あんた以外に誰がいるんだよ」
イズルはいつの間にか目を開けて、退屈そうに言った。
「……こいつは、やっちまっていい?」
「どうぞ」
看守が顔をしかめて身構えた時には遅く、イズルは口から何かを噴き出した後だった。声を挙げる暇もなく男は倒れ、ぴくりともしない。倒れた男の首筋に刺のような物が刺さっている。致命傷にはならないだろう。しかし毒が仕込まれていたと見え、男が目覚めるには時間がかかるようだった。
「ごめんなさいねー」
そう言って顔の前で両手を合わせて看守を拝むミチザネを余所に、イズルは口を開けて、舌の裏から何かを取りだした。スライム状の物体である。イズルは格子から腕を出して、スライムを鍵穴に押しつけた。冷え切った格子に触れて、鍵穴に押し込まれている部分がすぐに固まる。
スライムを使ってあっという間に脱出したイズルは、続いてリゼルグの格子の鍵を開けた。
「そのスライム、どこにしまってたんですか?もしかして口の中?うわぁ、ばっちぃ」
囃したてるミチザネを親指で指して、イズルはリゼルグに耳を寄せた。
「あいつ、ここに捨てて行こうぜ」
「ちょっと!こんな所で姥捨て山をするなんて殺生な!」
とりあえず牢を出た三人は、お互いの状況を確認することにした。目を覚ます前の状況をリゼルグが説明すると、イズルが口を割る。
「俺もリゼルグと同じだな。ミチザネが倒れたって言うし、実際にミチザネが見当たらないからな。罠だとは分かっていたが、相手についていくしかなかった」
話し終えて、イズルはミチザネを振り返った。ミチザネは腕を組んで渋い顔をしている。
「……お前が原因か」
「申し訳ない。しかし、ゲヘナの狙いがはっきりしました」
リゼルグは一瞬目を見開き、イズルは短く口笛を吹いた。
「エーギルの炎。それがあの屋敷の地下にあった物です。ゲヘナがあれを利用するつもりなのは、間違いないと見て良いです」
「エーギル?なんだそりゃ」
「四雄王が用いたヘリテージですよ」
「四雄王って……あの、おとぎ話の?」
半信半疑に声をかけるリゼルグを見て、ミチザネは微笑んだ。
「神の裁きで地上が崩壊した後、遺されたヘリテージを巡る争いが各地で頻発しました。そしてそのさなかに、ゲヘナの反乱が起きたのです。この争いを収めたのが四人の英傑たち。彼らは後に四雄王と呼ばれ、地上に混乱が起きる時、乱世を救うために再び現れると言われています」
「その四雄王に付き従って戦ったのが万密院創立者の先祖……。それくらいは、エペに入隊する前の『先史』の講義で聞かされたぜ」
「四雄王が使ったヘリテージの一つ、それがエーギルの炎です。いわゆる『動力炉』ですね。これを使って、兵器のヘリテージにエネルギーを送る役割を果たしていました」
「だとすると……」
「そう、時間が無い。エーギルの炎はあくまで動力炉。つまり、ゲヘナは動力炉を使って動かす何らかの『兵器』を手に入れたと考えられます。そして、その動力炉を動かす為の『操縦者』も。今このタイミングでゲヘナがエーギルの炎を動かすことと、戦争の前触れの一致は、偶然ではありますまい」
「ゲヘナにあるのか?万密院を襲う理由が。そんな話は聞いたことないけどな」
「万密院の中にある研究塔、あそこに何があるか、知っていますか?」
「……さあな、みんな憶測しか言わない」
「鳥籠なのですよあれは。ネフェリムのクローンという寵児、それを飼育する為の箱庭です。しかし、クローンは自然発生するものではない。どこかから『コピー元』を持ってこないとね」
「その『コピー元』ってのは、コピーされた後、どうなるんだ?」
「重要な研究資料ですから手放さないでしょう。コピーに失敗した時のことを考えて、オリジナルを手元に残しておくのが普通です」
「万密院がゲヘナの恨みを買っている理由はそれか。山賊のような真似をして人さらいなんかやってるとはな。分かった、ゲヘナの話はもういいぜ。俺たちがここから脱出したとして、できることは三つある。一、これまで通り咎負い探しを続行する。もしエーギルの炎の操縦者として咎負いが奪取されたのなら、奴を取り返せば戦争も止められる。けど、そうじゃないかも知れない。二、万密院に戻って状況を伝え、対ゲヘナの態勢を整えてもらう。ただ、万密院が対策を立てられるかどうか分からないし、対策を立てている時間があるのかは分からない。三、万密院には戻らない。そのまま見捨てて戦争を傍観する。そもそも万密院が壊滅するんじゃ、これ以上何やったって意味無いしな。ただ、万密院が戦争を生き延びれば、俺たちはお尋ね者になる」
「四、ゲヘナへの対抗馬を用意する」
親指だけ折り曲げた右手を上げて、ミチザネは言った。
「どうして今まで、イブリースと万密院がお互いに手を出さなかったのか。何故ゲヘナは、今の今まで万密院を攻撃しなかったのか?ヘリテージを持つのは、何もクネパスだけでは無いからです。しかし今の万密院には、ヘリテージの遺産を動かすだけの力を持った者がいない。連れ戻さない限りはね」
「……助けを求めろってのか?イブリースに」
「ロックイットにもヘリテージがありますが、彼らは外界の呼びかけに応えないでしょうね。立地条件的にも法的にも、彼らは永世中立国ですから」
「勝算は?俺たちがイブリースに向かったとして、連中がその呼びかけに応える可能性は?」
「彼らの目的を平たく言えば、『ヘリテージによる被害』をなくすことです。恐らく、可能性は五分かと。彼らとて、この状況を見捨ててはおけますまい」
「じゃあ、残りの五分は?」
「我々の発言を虚偽とみなし、曲者として殺害する可能性です」
「妥当な所だな」
「リゼルグ氏の意見を伺いましょう」
名指しされてリゼルグは背筋を伸ばした。
「一つだけはっきりしているのは……イブリースになら、ゲヘナを止めるだけの力があるということです。ただ、彼らが万密院の味方をしてくれるかどうか……。それだけが問題です」
「まさしく。さて、そうとなれば急がないとね」
「そこまで言うからにはあるんだろうな?イブリースと連絡を取る方法が」
「まずはキンドルガルデンへ向かいましょう。定期的に、イズリースからの使者が立ち寄っているはずです。彼らに、話し合いのテーブルに着くくらいの度量があることを信じましょう。交渉の余地があるかどうかは、分かりませんがね」