第3章 五十五話
イズルとリゼルグがお互いをどう考えているのかは分からない。一つだけ言えるのは、二人の主張には何の裏付けも無いということである。
イズルは咎負いを追跡する密命を受けたと言っているが、それは本人がそう言っているだけのこと。密命だから自分と一部の人間にのみ知らされている、と言っているが、その内容が真実定かかどうかは疑わしい。
一方リゼルグも、何故エペの任務を放棄してまでイズルに同行したのか……これに明確な理由が無い。二人の間には古い付き合いがあるようだが、それは、今のイズルの行動を信じるに足るほどのものなのだろうか?
自然とミチザネの中で結論が出ていた。二人に隠された目的があるかも知れない以上、地下にあるものの存在を話すことはできない。しかし……地下に、本当に「それ」があるかどうかを確かめる必要はある。
それくらい慎重にならなければいけないものが、この床の下にあるのだ。ひいては、国一つ、あるいは、世界そのものが傾くかも知れないのものが……。
もし地下に「それ」があるとしても、まだ時間はある。ミチザネはそう信じたかった。咎負いが失踪したこのタイミングでゲヘナが集結し、恐らく、この地下にある物を利用しようとしている。
これは偶然では無い。じきにゲヘナな戦争を仕掛けるのだろう。
それは多分……神の怒りで地上が焼かれて以来の惨事になる。もしゲヘナの連中が、この地下にある物を使えるのなら……。
ミチザネは会場を出て屋敷の裏手に回った。植え込みの中に隠された階段を下りて、地下を目指す。途中にいたガードマンは、背広の下に忍ばせて置いたビンの中身をぶち当てて気絶させた。中に催涙ガスが仕込まれ、触れると破裂するゴムボールである。彼らが目が覚める頃には日付が変わっているだろう。
懐かしい。ミチザネは、ずっと前にここへ来たことがあった。その時も、植え込みにある隠し階段から通ったのだ。具体的には思い出せないが、当時歩いたと思しき見覚えのあるルートを辿っていく。
それは変わらずに、その場所にあった。部屋の中央に聳え立つ巨大なシリンダーを囲むように、人が二人すれ違えるぐらいの広さの足場がある。足場は金網でできていて、真下の景色を臨むことができた。薄い緑色の光が、人魂のように揺らいでいる。まるで吹きだまりのように緑色の光があふれ、マグマのように噴き出して混ざり合っていた。
ミチザネが眼下の景色に見入ったその一瞬、
「これはこれは……。思わぬ客人だ」
ふと届いた声の方を素早く振り返ると、うぐいす色の軍服を来た男が立っていた。
「お邪魔しております、グレンデル少佐」
平生通りの声で、ミチザネは男に挨拶した。ミチザネはじっと男を見つめる。彼も年を取ったようだ。もう五十代に差し掛かろうという所だろう。頬や額の皺が深くなっている。白髪は一層増えたようだ。彼は、この施設の警護をしている男である。
「ご無沙汰しておりますな。あなたは全くお変わりないようですが。……僭越ながら、現在小生は、少将の地位に預かってございます」
男が至近距離にまで迫ると、襟元に階級章が見えた。星が一つにクロスした赤いライン。なるほど、少将の階級章である。
「ご無礼を」
非礼を詫びるべく、ミチザネは姿勢を正した。
「些事にございます。お気遣い戴き恐縮です。見張りの者には、あなたのことを伝えておきましょう。今後は、彼らを気絶させる必要はありません」
「助かりますな」
「実を申しますと、結構な人手を割きました。この国の国民と同じくらいの人数でしょうか、あなたを探させたのですが、噂一つ聞こえてこなかった……」
「ご苦労をおかけしたようで」
「どこで、何をしておいでだったのですか?」
「ただの住所不定無職……いや、司書をしていますよ。これがなかなか快適でね」
「司書?」
「仕事は一日中遊ぶこと。しかも三食昼寝つき。破格の待遇ですよ」
「こちらへいらっしゃたのは何故です?」
これ以上の詮索に意味が無いと判断したのか、グレンデルは素早く対応を切り替えた。
「少将こそ何故ここへ?」
しかし、こういう話の展開を待っていたのは、むしろミチザネの方である。彼はニヤニヤ笑いながら、足場のフェンスに近づく。すぐ真後ろには透明なシリンダーがあった。それをこづきながらミチザネが言った。
「永久機関……。これはまさしく、そう呼ぶしか無い代物です。ただし、問題点が二つ。一つは、これはあくまでエネルギーの供給炉に過ぎず、これ単体では意味が無いこと。そしてもう一つは、自在に扱える者はごく限られていること」
「そのことを知るからこそ、あなたはこちらに出向いた。この供給炉を使う手段を我々が得たのだろうと、考えたのでしょう。それを確かめる為に、危険を顧みずにお一人でいらっしゃるとは、頭が下がる思いです」
「義務……いや、責任ですよ。いずれ、私やその仲間の誰かがが、やらればならぬことだったのです」
「ご一緒されたお二人も、そのお仲間ですか?」
「彼らは赤の他人ですよ。ただのゆきずりに過ぎません。彼らを利用すれば、自然とここへ立ち入ることができたと考えただけのことです」
「失礼ながら、そのお二人は捕えさせました。しかし、あなたの手に縄をかけるのは心苦しい。……ご同行願えますかな?」
ミチザネは確信した。
少将は、まだ自分に利用価値があると考えている。だからこそ、無傷で自分を捕えようとしているのだ。
つまり、機を伺えば、まだチャンスはある。幸い、同伴者はイズルとリゼルグだ。素人ではない。見る限り、二人はそれなりの死線をくぐり抜けてきただろう。いざとなれば、頼れるはずだ。
ただ……事実を伏せたまま、二人をこの状況に巻きこんでしまったことに少なからず罪悪感はある。
ミチザネは少将に手を差し伸べた。それまでの穏やかな物腰と打って変わり、ミチザネは毅然と言い放つ。思惑はどうあれ、紳士的な態度を取る少将に対して、相応の礼を尽くさねばならないと考えたからだ。
「少将よ、道を開けてくれたまえ。貴君の襟元にある階級章と、貴君が心血を注いで尽くす祖国の名において、私は貴君に大人しく同行することを誓おう」
国の名と階級章……つまり、相手の威信にかけて誓う。それは己の血を持ってするよりも重い、誓いの言葉である。