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第三章 五十話

 いつの間にか転寝をしていた。目を覚ますと窓の外は田舎道だった。家々が一か所に固まって建っているが、その規模も小さく、まばらだ。たまにそういう集落が目に入る程度で、外の景色には生活の匂いが無い。カタロスはずっと起きていたのか、俺の衣擦れの音で振り向いた。

「手、いいんですか?」

 カタロスが言っているのはフリードのことだ。奴は俺の手を握り締めたまま寝ている。けれどその力も、さっきよりは強くない。寝息も整っていて安らかだ。

「しばらくはな」

 また席を立つ時は仕方が無いが、今はこのままでいい。

「懐かしいですね。あなたに牢から連れ出してもらったことが、昔のことのような気がします」

 実際にはまだ一カ月も経っていない。しかし、そう感じるのに十分な出来事がたくさんあった。カタロスに会う前、ソドムで生活していた頃――その時とかけ離れた今の状況が、そう思わせる。

 俺は一人で居た頃、何をしていただろうか。何かはしていただろう。人も殺した。ただ、何かを欲しがることは無かった。少なくとも、手に入れたいと思ったものは一つも無い。

 一人で生きていく為の力が欲しかったのは確かだ。けれど、その力で何ができるかを考えたことは一度も無い。

「あの時、嬉しかったんですよ。あなたは、そう思わなかったかも知れないけど」

「俺は驚いたけどな。刑期一万年の男が、こんなお坊ちゃんみたいな奴だとは思わなかった」

「きっと殆どの人がそう言うんでしょうね」

「お前、訊かないよな。俺のこと」

「それは、あなたも同じでしょう?」

 俺は思わず口元を斜めにした。

 思えばおかしな話だった。カタロスはこうして、得体の知れない男にホイホイついて来ている。あの監獄に侵入してくるような奴だ。ろくな奴じゃないことくらい、すぐ分かる。

 そして、何の為に自分が連れ出されるのかも知れずに、カタロスは俺の手を取った。まるで迎えに来られるのを待っていたかのようだった。

「覚えてますか?あの場所から出る時、あなたは僕の手を引いてくれましたね」

 そうだったかも知れない。カタロスが立ち上がった時、よろけたのを見かねて、手を差し出したような気がする。

「久しぶりなんですよ。人の手を握る感覚。自分一人じゃ、どうあっても出来ないことですから」

 自分一人じゃどうあっても出来ない、か。

「ずっと昔のことです。あの場所に閉じ込められて、僕はもう二度と外に出られないと思った。でも、それでいいんじゃないか……って思って。少なくとも、あそこにいる内は先が見えてるんです。ここで死ぬしかないんだ、っていう……。そういう、変な安心感があった。でも、今はもう自由ですね。多分その気になれば、どこへでも行けます。どこへ行くのか、そこまでの距離を自分で決めることができる。こんな当たり前のこと、ずっと忘れてました」

 どこへ?

「お前は、どこに行くんだ?」

 一度だって、こいつがそんな話をしたことは無かったので意外だった。カタロスは笑う。

「とっても近い場所です。でも、そこへ行く為の力が僕には無いんです。残念ながら、その事実は変えられない」

 どうとも取れる言葉だった。

「でも、近い将来、そこへ行ける気がするんです。そこに誰かが僕を連れて行ってくれる。そんな甘い夢を見ているんですよ。夢っていう言葉から幻想を取ったら、ただの打算ですけど」

 一体、それはどこに?いつ、カタロスがたどり着くのだろう。そこでお前は、何をする?

「どこにある?それは?」

 俺に訊かれると、カタロスは眉間に皺を作った。困ったような笑いだ。言いよどむように口元がもぞもぞ動く。そんな予備動作をとってから、ようやく口を割った。

「目には見えない、ゴールのようなものです。そしてそこに、あなたはいない」


 トイレへ行く為に席を立った。フリードは軽く身をよじったが、目を覚まさなかった。大分落ち着いている。

 この先どこへ行くのか。俺だって知らない。今をどうして、これから何をするのか、そんなことを考えなくたって生きていける。動物だってそうしている。ようするに「何をしたいのか」なんていうのは、生きていくのに必要ない。ただ「何をしたいか」という「目標」を、欲しいと思うかどうかだけだ。

 四時間後、ようやく終着駅が見えてきた。車体が揺れて停車を知らせる。俺が席に戻ってきた時、カタロスは眠っていた。俺はフリードとカタロスを叩き起こして、腰を浮かせる。

「行くぞ」

 荷物は無い。せいぜいフリードが持って来ていたバッグくらいだ。本部の建物は倒壊していたから、持って行けるようなものは殆ど無かった。今はこの身軽さだけが武器だ。

 「何をしたいということも無い」というのも強みになる。だからこそ「何だって来いよ」と、構えてやることができる。今は自分にそう言い聞かせるしかない。

 三人で連れ立ってホームに下りた。乗ってきた時と違って、小さなホームだ。屋根は無い。線路は二本だけだった

「田舎だな……」

 あるだけマシ、といった風情の駅から出て俺たちは宿を探した。イブリースへ行くのには、更に二日はかかるという。

 いつの間にか、近づいていると感じる。結局離れても、俺はまた、万密院と関わり始めている。オールド・ワンの寄越した依頼が全ての元凶だ。この先、イブリースと関わって何が起こるのか。こればかりは分からなかったが、ただそこへ行って終わるだけ、ではないだろうと思う。

 俺を待っている人間がいるのだ。万密院の中から、今もルーチェが待っている。

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