第三章 四十七話
フリードがレリーフを見つけて五分。俺達が考えたことは、誰がここに残るかではなく、何故、誰か残らないと外に出られない仕組みになっているのかということだった。
「矛盾してる。脱出する為にあるのに、外に出られない人間が必要な仕組みになってるのは変だろ」
言ってから考える。もし俺がこの部屋の設計者なら、どういう意図でこんなことをしたのか。
思い出せ。カムラッドで潜入捜査をしていた頃を。ルーチェと組んでいた時もそうだ。忍びこんだ屋敷やビル には、必ず避難経路があった。警備の目をかいくぐってようやく辿り着いた先、既に煙を巻かれた後だったなんてこともザラだった。連中は鼻の利く番犬(という扱いの使用人)を飼っている。お陰で、いつどこに居ても逃げる準備ができているらしい。
いつどこに居ても……。
「そうか……」
俺が顔を見合わせて呟くと、フリードも黙って頷いた。気付いたのは、ほぼ同時だったらしい。
「避難経路は、多分、複数ある……」
理由は簡単だ。いつどこで、命を狙われるのか分からないからだ。退路は幾通りも用意する必要がある。そして、避難経路を複数作る理由はもう一つあった。俺は口を割る。
「避難経路のいくつかは……侵入者を捕える為の罠だろうな」
「多分ここを抜けた先にも、そういう道がたくさんある」
言いながら、フリードはリュックの中に手を突っ込んだ。しかしすぐに腕を引っ込め、空っぽの手の平を俺達に見せる。
「地図は無い。ジェニーが持ってる。ここから先、どういう道があるのか、どれが正解なのか……俺には分からない」
「早い話、どうやって侵入者とそうでない奴を見分けるか、だよな。使う奴だけ正解の道を知ってりゃいいだけの気もするが、マグレで全部正解の道に侵入者が進むことも考えられる」
ネフェリム達ならどうしただろう?どうすれば確実に侵入者だけを排除できる?俺はフリードを見遣った。
「ここはネフェリムの研究施設だったんだよな」
「そう聞いてる」
「だったら、それを活かすしかないよな……」
俺は部屋の中を見回す。他にも道があるはずだ。カタロスがちらちらと部屋の隅を見ている。落ち着かないその視線の先に、台座のようなものがあった。さっきジェニー達と見た、研究室の中にあった機械と似ている。
「とりあえず、試すか……?」
起動すると矢が降ってくるようなタイプの罠かも知れないが、そんなことをしたら、間違えて起動したネフェリムも助からなくなる。
多分、即時性の罠ではない……。
そう踏んで、俺はカタロスの手を取った。多分、俺から奴の手を取ったのは初めてだ。眉をはね上げて驚くカタロスを見て、俺は
「頼む。研究室でやった時みたいにやってみてくれ。電源が入るかも知れない」
もしかしたらと考えないでもない。起動者に危害を加える罠だったら、カタロスが犠牲になる。カタロスも同じことを考えたのだろう。覗き込むように俺の瞳を、視点の中央に据えている。
勿論、こいつだけにリスクを負わせるのはフェアじゃない。俺が言いだしたことだ。だから俺は、こいつの手を取った。
「安心しろ。お前と一緒に心中する気なんて無いから」
何があっても生き残ってみるという意地と、これで最後かも知れないという覚悟。何故だろう。思っていたよりも、それは一瞬で固まった。
どうしてだろう。何故かそれを、笑って言うことができた。
カタロスはどうだったのだろう?奴は逆に、俺の手の平の上に自分の手を載せてきて、台座の表面にある、小さな画面に触れた。
切れ切れに、機械の中からこすれるような音がする。金属と金属が触れ合って、上手くかみ合わずにもがくような音だ。どうやら罠は無かったようだ。
画面に一本白いラインが走ったかと思うと、ぼんやりと灯りがつく。白地の画面の上に、八つの四角が描かれていた。四角は青色の線で書かれ、同じ間隔で整列して映っている。
それだけだった。
「これだけ……?」
視線を画面から落とすと、やはりあった。さっき研究室で見たものと同じキーボードが、この台座にも添えつけられている。アルファベットと数字、略称が描かれたボタンもあるが、どう使うのかは分からない。
「ヒントは無しか……」
恐らく、画面に文字を入力しろということなのだろう。この部屋にヒントが隠されている可能性を考えた。ここは遮蔽物一つ無い、だだっぴろい空間だ。
「タコのように張り付いて、この部屋の壁を全部調べてみるか?」
「食糧が持つなら」
俺のやけくそな言葉に、フリードは五日分の食糧を四人前持ってきていると答えた。一見なんとかなりそうだが、これから先、道に迷ったり、罠で同じ場所を何度も歩かされたりする可能性もある。
地図が無いのだ。あとどれだけ歩けば、外に出られるのか分からない。現に、一つ目の道で早速行き詰っている。歩いている時以外にも、時間を食わされそうだ。
「カタロス、ロックは解除できそうか?」
「難しいですね……。僕にできるのは、ヘリテージの干渉を跳ね除けることと、これらが動く為のエネルギーを与えることです。鍵がかかっているのなら、こじ開けるしかないですけど、そのはずみで罠が発動するかも知れません。それに、僕から送る力の量が多すぎて、この装置の容量を越えて壊れる可能性も……」
カタロスと俺は顔をしかめる。二人で黙っていると、ふと、フリードがカタロスの横に立った。彼はキーボードの上に手の平を置いて目を閉じる。
「87293470、だ」
そして、スラスラと数字を暗唱した。
「……は?」
思わず間抜けな声が出た。それも無視して復唱するフリードの隣で、慌てて、しかし一つ一つ確かめるように、カタロスがキーを打って数字を入力する。台座の横にあった壁が、ゆっくり床へと沈んでいった。どうやらこその先は通路になっているようだ。
「鍵を作ったのなら、動作確認をするはず。作っても使えなかったら意味が無いから」
俺が訊ねる前に、フリードが振り返った。
「これが俺の力。物体に残された誰かの記憶を読み取る能力。さっき言った通りだ、すぐに話すことになるかもって」
ともあれ、俺達は先を進むことにした。道すがらフリードの話を聞く。
「多分、追跡調査とか証拠の検証とかで使われるはずだった能力。でも、どういう記憶を読みたいのかを指定しないと何も読み取れない。目の前に記憶の洪水が広がっているのが見えるだけで、そのままだと何も掴めないから」
気がついた時には既にあって、こうした力を持つ者持たざる者がいることを知ったのは、それよりずっと後だと言う。恐らく、必要があって誰かに植えつけられた力だったのだろう、とフリードは言った。
万密院にもそういう連中が少なからず居た。そしてそれと同じことを、ネフェリムが千年以上も前にしている。
「……お前も、ネフェリムのクローンなのか?」
フリードは言う。
無論、自分は人では無い。けれど、神の子どもを名乗るのには遠く及ばない力だと。
「中途半端な能力だ。どう生きたって、神は勿論、人にすらなれない。俺達は神と人の間に居るんじゃなくて、どちらからも外れているだけだ」