第三章 四十五話
更に俺達は奥に進む。図面によるとこの先は研究所として使われていたはずだ、とジェニーは言う。果たしてそこに、当時のままの姿を残した研究施設が現れた。
通路に面して硝子張りの入れ物が並んでおり、計器のような物からケーブルが延びていた。その隣の機械は計測結果を記録していたのだろう、電源が切れた画面の下に、文字を刻んだボタンが配置されていた。キーボードと言うらしい。
「ネフェリムは地上で最も神に近い存在になった。少なくとも、人間の目にはそう見えたわ。だからこそ、彼らは老いさばらえることを恐れたの。彼らがとった方法は二つ。死した後の世界をコントロールするか、地上で永遠の生を得るか。死の世界そのものが存在するかどうか分からなかったから、結局、生を引き延ばす方法を考えることになったけどね」
ジェニー達は既に、この研究所に残されたわずかばかりの資料を持ち帰ってみたという。解読を試みたが、既に使われていない言葉だったのだろう、殆ど読めなかったそうだ。残念ながら、彼らが永遠の生を手に入れたのか、もしそうだとして、どうやってそれを手に入れたのかは分からなかったという。
フリードは周囲をしきりに見回している。今までたった一言も口を利かない大人しい男だったので、その落ち着きの無さが珍しかった。とはいえ、ここには不老不死の秘宝が眠っているのかも知れないのだから無理もない。
「で、お兄さんにはこの部屋にある機械を触ってみてほしいのよ。起動するものがあるかも知れないから」
「動かしてどうするんだ?研究の続きでも始めるってのか?」
「『イブリース』って知ってる?」
「……いや」
「災厄の後、ネフェリム達は方々に散って、その場所その場所で組織を作ったわ。しばらく、集まっては分裂してを繰り返したけど、組織はおよそ三つに分けられるようになった。それが私達、イブリース、そして……万密院」
俺は知らないと答えたが、そう言えば万密院に居た時に聞いたような気がする。少しずつ思い出してきた。
「イブリース……。確か……天使の名前だ」
「あるいは悪魔の名前ね。主に逆らって身を堕とし、人間に地を這う呪いを負わせた者の名前」
万密院に居た時に一度だけ、不法侵入があったとかで騒ぎが起きた。末端の俺の耳にさえ入る、大がかりな事件だった。侵入者はイブリースという組織の連中で、何やら「封印する」とかどうとか、そんなことを信条にしている者だとだけ分かった。それ以上は知らない。何故か、連中の拠点を突き止めるような動きは無かった。それはイブリースに対してというより、俺達に対して情報を漏らさないようにしているように思えた。
「万密院はヘリテージを利用する、私達はヘリテージを掘り起こす、イブリースはヘリテージを『封印』する。二度と人の手に渡らない所へね。私達はイブリース派。個人での使用を認めることを条件に、ヘリテージをイブリースに引き渡してる。これくらいの規模の研究施設が無いと、個人がヘリテージを利用してできることなんて限られてるからね」
「……どうしてそんなことを俺たちに話す?」
「あなた、万密院でスパイをしてたんでしょ?ユノーからそう聞いてるわ」
プロジェクタで俺の過去は全て割れている。話も全部、ジェニーに伝わっているようだ。
「俺が万密院の連中に情報を売るかも知れないぞ」
「ここのことは万密院も知ってるのよ。それなのに手を出さないのは、バックにイブリースがいるから。さて、仕事するわよ。まずはそこの機械から」
ジェニーが指差す先には、例のキーボードつきの機械があった。画面は錆びている。電源が入ってもショートしちゃうかもね、とジェニーは言った。
「まぁ、それを確かめるのも仕事だから」
カタロスが画面に触れても、しばらく機械はうんとも言わなかった。動かない、というよりは死んでいるみたいだ。もうこの世での役割を終えた、忘れ去られた遺物。墓標のように誰かが生きた証左としてここにいる。
画面がじんわりと滲む。電気が通ったらしい。
「すごい……。発見されてから二百年経つけど、誰も動かせなかったのに……」
しかし、電気が通ったというだけで、画面に変化は見られなかった。カタロスはジェニーを振り返る。
「キーボードで何か入力すれば動くかも知れませんけど……」
「一応ここに研究資料があるけど、ダメかしら?」
「やってみます。ただ、この中に研究結果が保存されているかも知れません。その時は、専門家を呼んで来た方がいいと思います。操作を誤って記録を消してしまったら大変ですから」
その時、フリードが素早く跳んだ。
「!」
俺とカタロスは、フリードの体当たりをかわせずに転がった。ジェニーは一瞬早くフリードの行動に気づいたようで、体当たりをかわして地面に膝を突いてる。そして屈んだまま、研究所の入り口を振り返った。俺は床に目を落とす。さっきまで俺がいた場所には、何かがめり込んだ跡があった。
弾痕……?しかし音はしなかった。穴も十センチ以上ある。弾の仕業とは思えない。
ジェニーが見つめる先には黒いジャケット姿が並んでいた。フードをかぶっていて顔は見えない。
万密院の連中か……?でも、あんな制服は見たことが無い。
「走って!」
ジェニーは銃を構えるのと同時に言った。瞬間、体重が軽くなるのを感じた。
「おい……!」
フリードが俺を担いだのだ。カタロスは流石に抱えられないのだろう。抱える代わりに、カタロスの手を取った。広いとはいえ、研究施設の一室に過ぎない。俺達はすぐ突き当たりにぶち当たった。
「おい、どうする!?」
既に遺跡の入り口から二時間以上歩いている。近くに地上への出口があるとは思えない。俺の怒声に構わず、フリードはカタロスの手のひらを壁に押し付ける。
すると、目の前の壁が一瞬で消えた。そして、
「う、ああああ!」
フリードが壁の向こう側へ飛ぶと……そこには床が無かった。そのまま俺達は、伸ばした腕の先さえ見通せないような、深い闇の中へと落ちていった。