第三章 四十三話
夕食を済ませた後は何をするでもない、俺は宛がわれた部屋でごろごろして、カタロスはラウンジから持ってきた観光雑誌を眺めていた。資金に余裕ができれば、街を見て回るのもいいだろう。郷土料理も楽しめるかも知れない。ただ、「子孫の生き血そっくり!ヘモグロビンも活き活きヘルシートマトスープ」だけは辞めておいた方が良さそうだ。観光地には、誰かの悪ふざけでできたような珍味とか、聖人の生首を象った魔除けとか、悪い土産物が必ずある。
俺達の部屋の前でノックしたのは、探索隊の隊長を名乗る女だった。歳は二十代後半か、既に三十路へ足を突っ込んでいるかどうかという所だろう。頭に巻いたバンダナの下から、波打った黒髪が広がっている。
「正確には私達、なんだけど」
扉を開けると、女の後ろに壁のような男が立っていた。むすっとしていて名乗りもしない。男は頭にかぶった羽帽子の下から、鋭い視線でこちらを睨めつけている。肩甲骨まである男の髪は銀色に染め抜かれていた。この地域の出身ではないのだろう。
「申し訳ないね。こいつ、ちょっとシャイなの。フリードって呼んであげて。私のことはジェニーでいいから」
二人を部屋に入れてやると、カタロスが俺の後ろへ寄ってきた。余所者を見た子どもが、親の背後に隠れるのと似ている。
「それで、話ってのは?」
「ユノーに確認が取れたわ。ロックイットからの志望者は、本当に久しぶり。あなた達、ここで稼いだらそのまま家へ帰るつもり?」
「あんた達ともそれっきりのつもりでいる」
「つれない坊やだねぇ。人生は一期一会、今日の初対面は未来の親友かも知れないってのに」
「何度も言うようで悪いが、話って?」
「そこのお兄さん、カタロスさんでいいのかな。あなたが面白いことができる人だって聞いてね」
カタロスは、微かに肩を震わせたようだ。こいつは気配を隠すということを全くしない。カタロスが相手だと、完全に女のペースで話が進んでしまうだろう。
基本的に、交渉の条件は後出しの方が有利だが、会話の主導権は先に握った方が有利だ。できれば、そうと相手に気づかれずに。俺はそっと、予防線を張り始めた。
「期待に添えるかどうか保障できないがな。志願しておいて悪いが、俺はともかく、こいつはトレジャーハントに向いてないんだ。運動不足と方向音痴のダブルブレーキ。正直、あんた達の足を引っ張るんじゃないかと思ってる」
と、ここでカタロスが肩を落とす気配を感じた。一々反応するなよ。本当のことだけど。
「カタロスさんには、マギテックの才能がある」
女はにやりと笑った。
「マギ……何だ?」
「ヘリテージの中でも、未知の原理によって動く装置や物体を、私達は『マギ』って呼んでる。マギテックってのは、マギを操作できる人のこと」
ロックイットでのことを言っているのか。確か「プロジェクタ」という機械の干渉を、カタロスが跳ね除けている。
「昔はこの街にも、マギを操作できる人間がたくさん居たけどね。血が薄まるほど使い手も減ってったわ。その力も昔に比べれば弱くなってきたって、ばあちゃん達も言ってる。まして、お兄さんみたいに天性の才能で力が使える人間なんて、ここにだって一人もいないのよ」
「何が言いたい」
女の笑顔の意味が分からなかった。だからこそ俺は警戒した。
「別にあなた達をどうしたいってわけじゃないの。ただお願いするだけ」
「断る」
既に俺達の周囲には罠が張られている。そんな感じがした。俺は不測の事態を思って、そっと尻ポケットのナイフに手をやる。
「およし」
ジェニーは右腕を水平に上げた。前へ出るなと、制するような動きだ。後ろの男だ。フリードに対して、手綱を引くように気勢を制したのだ。
「申し訳ないね。こいつ、ちょっとシャイなの。シャイだから、警戒心が強い」
ジェニーが顎を上げると、フリードはスッと左手を差し出した。その手にはポケットサイズの小銃が握られている。
「だから、敵意とか悪意には人一倍敏感」
全て見透かされている。
カタロスは驚いて、ずっと固まったままだ。こいつの場合、いざという時になっても、自分で攻撃を避けることさえできない。それは瞬発力が無いからじゃなくて、判断力が無いからだ。カタロスは戦いの中でどう行動すれば良いのかを想像できない。
相手がプロ二人なら、確実に俺達の方が負ける。
「別に、あなた達をどうしたいってわけじゃないの」
もう一度言って、ジェニーは笑った。
「ただ、これから連れて行く場所は物騒だから、少し注意しておこうと思っただけ」
俺達が自分達に逆らってこないことを確かめて、ジェニーはようやく、腕を下ろした。フリードも一歩後ろに下がる。
さっきの不穏な空気も、こうやって自分達の優位を見せつける為に作りだしたのか。飾らない笑顔を見せるジェニーの計算高さに、俺はうんざりした。反面、こいつが隊長であれば、旅はいくらかマシだろうとも思う。
「観光に行くわけじゃない。危険はある程度、承知の上だ」
「そうね、少なくともあなたはそんな感じだわ。今まで何してきたのか知らないけど、どういう環境で生活してきたのかはなんとなく分かる。ただ、後ろのお兄さんにはお守が必要そうだけど」
「お守をつけてでも、カタロスを連れて行きたい理由があるんだろう」
こいつらの理由は勿論、カタロスの素質に関わるものだろう。それをどうしたいのかまでは知らないが。
「たまにいるのよね。観光記念にここへ来る人。探索って言葉のせいかしら。聞こえがいいものね」
「調査、発掘、探検、探索。やることは全部一緒だろ」
「そうかもね。でも、探索隊って言っても、その中には色んなグループがあるわ。私達のグループが、何て呼ばれてるか知ってる?」
俺はもう一度、ジェニーとフリードを見遣った。まるで喪に服すように二人は全身黒づくめだ。カラスのようにも見るし、葬列者のようにも見える。ジェニーは笑って言った。
「墓泥棒よ」