第三章 四十二話
俺の中にある一番古い記憶は列車の中で作られた。ただの箱のような車両の中に、申し訳程度に置かれた座椅子。それでもこの頃の列車と言ったら、まだまだ庶民が乗れるようなものでは無かった。
俺はカムラッドで仕事をするまで、一度も列車に乗ったことが無い。だからこれは、カムラッドに拾われる前の記憶なのだろう。
そしてそこに居たはずなのだ。俺を連れて、どこかへ行こうとする誰かが。
何が原因かは分からない。覚えているのは、その列車がレールから外れて、窓の外の景色がゆっくりと回転していった所までだった。
俺は体を起こす。どうやら転寝をして、小さい頃の夢を見ていたらしい。夢の内容までは思い出せなかったがなんとなく分かる。あの頃の夢を見ていたのだろう。船に揺られて、列車に揺られて過ごしたあの時のことを体が思い出したのだ。そろそろこの船旅も終わる。もうすぐ港に着くはずだ。
俺とカタロスがロックイットを出たのは二日前だ。荷物を下ろして港に着いたのはいいものの、その先のプランは尻切れで終わっていた。
「列車か馬車……。まぁ、徒歩は無いよな」
このキンデルガルデンの街は、ソドムまで列車で一日ほどかかる距離にあった。馬車ならその三~四倍はかかる。
「まぁ、どれにしても」
金が。
「無一文ですよね」
俺のポケットマネーは捕まった時に没収されたらしく、銅貨一枚も残っていなかった。カタロスに至っては身一つで牢から出てきたままだから、売っ払って足しにできるようなものは何一つ無い。
「お前、手品とかできる?」
キンデルガルデンは、観光街ではなさそうだ。案内所も土産屋の看板も無いし、ランチや宿屋の呼び込みも居ない。こんな場所で流れ者の大道芸は珍しいだろう。場合が場合だ。あえて俺は、道化になろう。
「いいえ、何も」
「俺はナイフ投げならできるな」
「僕は……的ならできます!」
「いや、いい」
そんな行きつ戻りつな会話をして、結局何一つ決まらないまま、俺達は港で潮風に当たっていた。積み荷を降ろしている船乗りが声をかけてくる。
「兄さん達どうした?宿が決まってねえのか?」
「いや、宿というか……。まぁ、そうだな。一泊するだけの金も無いしな」
そもそもこの船も、ユノー達の取り計らいで載せてもらったのだ。しかも二泊三食つき。あいつらにそんなことをする義理は無いのだから、今思えば、とても手厚いもてなしだったと言える。
あの性悪眼鏡にもいい所があるじゃないか。いや、老師に言われたからそうしただけなのかも知れない。奴なら「泊る部屋?あなた達なら、倉庫で樽と一緒に横になってるだけで十分でしょう」とか言いそうな気がする。
「だったら探索隊に加わったらどうだ?この間の遠征で欠員を出しちまったらしくてな。向こうの事務所で募集してるぜ」
「探索隊?」
「知らんのか。キンドルガルデンは、ネフェリムの子孫が移り住んでできた街だ。この周囲三十キロメートル圏内はヘリテージの宝庫って言われてる。だからここへの入国には、滅法厳しい検査が入る。まぁ、何で兄さんらがあの場所からこの船に乗ったのか、詮索はしねえけどさ」
船に乗った後、船員から渡された許可証にはそういう意味があったのか。俺は慌てて、ポケットに手を入れて、適当に突っ込んでおいた許可証がちゃんとあるか確認する。
「でも、あそこで人を乗せたのは久しぶりだな」
この船はキンデルガルデンとロックイットを往復する為だけの船だ。当然この男は、あの場所がどういう所なのか知っているのだろう。
「ま、仲良くやんな」
そう言って船乗りは、仕事に戻っていった。
もはや昼飯にありつく金さえ無い俺達は、まっすぐ探索隊の事務所に向かった。主な仕事は、ヘリテージの発掘。場所はデカい看板が出ているからすぐに分かった。短期の仕事もあるらしく、俺達は迷わず「一週間の遺跡調査」の仕事を選んだ。
短期の臨時勤務とはいえ身分証明が必要だと思っていたが、それも難なくクリアした。ここで、例の許可証が役に立ったからだ。
「なるほど……あの場所からの来訪者は久しぶりです」
受付の女は意外そうな口調とは裏腹に、眉を微塵も動かさずに言った。
「承知いたしました。寮の部屋をお貸ししますのでご案内します。丁度今から昼食の時間ですし、そちらもよろしければ」
一々説明を挟む必要が無いくらい話はとんとん拍子に進み、俺達は出来たてのソテーにありつくことができた。海がすぐそことあってか魚のソテーだった。
「……人間ってのは、おかしなもんだな。疑われたら疑われたで怒るが、疑われずに全部肯定にされると、それはそれで納得がいかない」
ナイフでソテーを解体しながらぼやく俺に、カタロスは困ったように笑って言った。
「疑われることを期待していたのに、その期待を裏切られたからですよ」
本当に、人間ってのはおかしなもんだ。
仕事は明日からなので、俺達は夕食まで外をぶらつくことにした。ネフェリムの子孫が移り住んだという街。確かに、街のそこここに機械を見ることができる。電話やラジオはどの店にも常備されていた。庶民の家にも、一台ずつあるのが当たり前らしい。それどころか、食べ物を長期間保存できる「冷蔵庫」というものもあるらしい。俺も聞いたことはあったが実物を見たのは初めてだった。そんな物が給料の一カ月分で買えると言う。
一方、カタロスはどれを見てもあまり驚いたりせず、しげしげと機械を見つめていた。化石を検分する学者のように見入っている。
「どうした?」
「いえ……時代は変わったんだな、と思って」
「そうだな。ちょっと前まで、列車なんて無かったらしいしな。電波で山を三つ越えた先の出来事もすぐ分かる。便利になった」
勿論、それを悪用する奴らもいる。ここ十年の兵器の進化は、明らかにヘリテージによるものだ。正確には、万密院のヘリテージの研究結果だ。
「この街に住む人達は、みんなネフェリムの子孫なんですね」
「まぁ、ずっと住んでる奴らはそうだろう」
「彼らは自分達の先祖を、どう思ってるんでしょうか」
いつに無く真面目くさった声だった。俺は思わず、横に並ぶカタロスを見上げる。
「どうって……。感謝してるんじゃないか?今の生活があるのも先祖のお陰だろうし」
「ネフェリムがどうやって生まれたか、ご存知ですか?」
「え?……確か、神の使いが人間の女との間に子どもを作ったからだろ」
「ええ。神の導きを忘れて歓楽に耽った結果、彼らは罰せられました。楽園を負われ、人間の女と築いた土地を焼き払われたのです」
その言い伝えはソドムにも残っている。ということは、この場所も昔は、死体と灰に覆われた廃墟だったのだろうか。
「罪深い血がこの場所に流れ、今も子孫達の体の中を巡っている」
「…………?」
「消えないものなのですね。犯した罪も、その証拠も」
かつてこの街も、焼き払って無に帰さなければならない程の、罪悪が溢れる土地だった。
もし罪がネフェリムとその子ども達なのなら、そこに与えられる罰は、何なのだろう。




