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第一章 四話

 闇医者という存在はそれほど珍しくない。埃っぽい階段を上がってすぐが診療所だった。俺はノックして、返事を待たずに扉を開ける。

 扉一枚開けてすぐがメレグ・メルトゥール診療所だった。正確には診療所兼リビング。しかし、キッチンがあってテーブルがあって、その上に新聞が載っているだけの場所なので、プライベートな感じはあまりしない。

「今日はどうされましたか?」

 透き通るような声で、メレグが声をかけてくる。薄い眼鏡のレンズ越しに、こちらを見つめていた。

 メレグ・メルトゥール。女性だ。怜悧な容貌が優形の美青年に見えなくもないが、ウェーブのかかった栗色の髪が腰の下まで伸びていて、しなやかな指は、矢張り女性のものだった。知覚鋭そうな瞳をこちらに向けている。嫌いなタイプの女ではないが、俺より背が高い所が気に入らない。

「暫くぶりですね。まぁ、君の容態も最近は落ち着いているようですし」

 メレグにそう言われて思い出す。そういえば、最後にこいつのところへ来たのは、一ヶ月前だったか。

「まぁ結構ですよ、君さえよろしければ。こちらとて強要はしませんし。他の患者さんがいませんから、すぐに診て差し上げましょう」

 言ってメレグは診察室へ入ろうとしたが、ふと足を止めた。

「ところで……君の後ろにいる方は、どなたです?」

 それまで黙っていたそいつは――メレグに指摘されて、にっこりと微笑んだ。ここ数年人と会話をしたことが無いとは思えないほど、自然な笑顔を見せて。

「彼の付添い人なんですけど……僕も診てもらっていいですか?」

 メレグは何も言わない。しかし一言だけ。

「ご希望でしたら」


 俺が連れ出した刑期一万年という男に、「カタロス」という名前がつけられた。

「名前がないと不便だろう?」

 と言うオールド・ワンが勝手につけた名前だ。カタロス本人は、ただ笑って提案を受け入れるだけだった。

 昨夜、俺はカタロスをオールド・ワンの家へ連れて行った。それがどれだけ危険なことか承知していたが……事は簡単に運んでしまった。

 本当に、物のはずみでどうにかなってしまったという感じだ。いい加減な言い方だが、我ながら運が良かったとしか思えない。刑期一万年の男を監獄から連れ出すことに成功したのだから。

 じろじろとカタロスを観て、オールド・ワンは満足そうに頷いた。カタロスはぴくりともせずにオールド・ワンの視線を受け入れている。相変わらず微笑んですらいた。

 刑期一万年の男と聞いてどんなむくつけき男かと思えば……目の前のカタロスは、小奇麗な顔立ちの青年だった。「人が好い」というのだろうか、毒気の無い雰囲気を持っている。明らかに年下であろう俺にも、敬語で紳士的だった。

 奴の印象を一言で言えば、「良いとこのぼんぼん」と言った所だろうか。ただ人が良さそうなだけでなく、カタロスは実に落ち着いていた。

「あのさ、君のお友達にメレグちゃんっていたでしょう?」

 唐突にそう言って、オールド・ワンはメレグの名前を出してきた。友人ではないと訂正するのも面倒で話を聞いていると

「カタロス君をメレグちゃんに診てもらえないかな?」

「診察代はぼくが持つから」などと、こちらが訊いてもいないことを言って、オールド・ワンは勝手に話を進めた。カタロスに具合の悪い所はなさそうだった。しかし、長年牢獄で暮らしていたカタロスの身体を心配するのは、当然のことと言えた。

「(だからって、俺を巻き込むなよ……)」

 しかし、俺が言い返そうとする頃には札束を握らされていたので、仕方なく奴の言い分に従った。

 で。今、カタロスはメレグの診察を受けている。

「…………」

 俺はカタロスの背中を見て思った。

 広い背中に走る無数の傷跡。腰まで続いているその傷痕がどこで途切れているのか、俺は知らない。熱棒か何かを押し付けられたような痕もある。爛れた皮がケロイド状になっていた。

「大分昔についた傷ですね。命に別状は無いでしょう」

 そして、それを診察するメレグの淡々とした声。俺はいたたまれなくなったわけではないが、目を逸らす。不憫だとは思わない。ただ、不思議だった。

 人の中に悪意があることを知らないかのような、カタロスの笑顔。あるいは彼は、知らないのだろうか。悪意あるものの存在を。

 そんな筈がなかった。カタロスはエルガストゥルムの最下層に閉じ込められていた刑期一万年の男だ。むしろこの男こそ、悪意そのもののような人間でもおかしくない。

「診察、終わりました。カタロスさんは問題ありませんね。健康ですよ、わりと」

 と、メレグが言う。わりとって何だよ。この女、腕は確かだけど、言うことは結構いい加減なんだよな……。腕はいいが、人格は信頼ならない。

「さて、次は君の番です。最近調子はどうですか?」

 俺は重い腰を上げて、メレグの前に座った。

「まぁまぁだな。特に悪い所はない」

「見せてください」

 メレグに請われて、俺はゆっくりと左手を彼女の前に翳す。

「そのまま、いつも通り『出して』みてください」

 言われて俺は――メレグの前に差し出した左手に、炎を灯した。


 何故こんな能力が身についたのか分からない。ただ、この能力のお陰で生きてこれたのは確かだ。決して物質を燃やすことはできない、相手の精神のみを「焼き殺す」能力。

 便利といえば便利だが、使いどころを選ぶ能力だった。そう頻繁に使っては怪しまれる。あくまで自然に死んだように見せる必要があった。普段はナイフを使い、ここぞという時に炎の能力を使う。

 俺のこの能力を知っているのは、メレグとオールド・ワンだけだ。もっとも、オールド・ワンは俺のこの能力を手品か何かだと勘違いしていて(気楽なもんだ)、人を殺せる能力だとは思っていない。

 頻繁にこの能力を使わないもう一つの理由は、使うと、とんでもなく精神を磨耗させられてしまうからだ。今は加減しているので、虫一匹殺す力も無い。

「何度見ても不思議なものですね」

 誰にともなく言って、メレグはてきぱき診察を進めていった。


 カタロスと揃いで診療所を出た時には、既に夕刻も近かった。先立って歩く俺の後ろを、カタロスの長身がついてくる。不自然なくらいの沈黙が続いて三つ目の角を曲がった時、俺は振り返らないまま訊ねた。

「訊かないんだな。炎のこと」

 カタロスは、俺の背後からあの炎を見ているはずだった。カタロスは囁くように言う。

「ええ。訊く必要がありますか?」

「…………」

「訊いてもいいのなら訊きますけど」

 澄ました声で続けやがった。俺は前に一歩踏み出した。しかし、二歩目を出すのと同時に立ち止まる。

「気がついたら、あった能力だ」

 ちょうどこの辺りだった。

 この辺りで行き倒れていた俺を助けたのが、メレグだった。


『教えてもらえますか?』

 そう言うメレグが、霞む視界の端で揺れている。傷だらけの顔を起こした俺は、メレグの姿を認識するだけで精一杯だった。

 まだこの街に来たばかりの頃だ。裏路地を歩いていて「囲まれた」と思った瞬間、容赦なく正拳をくらった。腹に一発、顔に一発。腹には蹴りをもう一つ。

 見知らぬ男達だった。ほぼ同時に喰らって殴られ続けて、意識を失ってしまうその前に――力を使った。使ったかどうかは覚えていなかったが、傷一つない男達が周囲に倒れているのに気付いて、使ってしまったのだと悟った。

「今、君が使った力。それは、なんと呼ばれるものなのです?」

 周囲で倒れている男達に目もくれず、こちらに近づいてくる静かなメレグの声。薄れ行く意識の中で、ぼんやりとその声を聞いた。

「私と取引しませんか?あなたの怪我を治してあげますし、今後も診療に際して、私を頼ってくださって結構です。お代も不要。その代わり、『それ』が何なのか教えてください。その力が一体、何なのか」

 何年かかっても構いませんからと。それが、俺がメレグの厄介になり始めた理由だった。理由と言うか、原因と言うか。

 あの女は俺が持つ能力を解明しようとしている。しかし、具体的なことは今も分からないままだ。

 そう、ちょうどこんな日だった。夕方の、少し埃っぽい風が吹いているような。

 死にかけた俺に差し出された女の手は、芯も凍るほどに冷たかった。あの女は、あくまで俺を、「研究の対象」としてしか必要としていない。

「気がついたらあった。それだけだ。俺にもよく分からない」

 淀みかけた歩を進めようとして、前に踏み出す。カタロスが早足で俺の隣に追いついてきた。そして、俺が振り向くよりも早く言う。静かに笑って。

「それだけ明るい炎が出せるなら、どんな暗がりを歩いていても心強いじゃないですか」

どうだかな。

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