第2章 三十六話
「じゃあ、あとはリゼルグに段取りつけてもらうだけ……って思ったけど、そういやお前、実家から離縁されてんだっけか」
「おまけに死んだことになってるしね。墓にも名前が彫ってある」
「おかしな話だぜ。こうして目の前にいて話もできるのに、死人だってのはな」
ミチザネの言う通り、リゼルグのファミリーネームはクロスラインと言う。エペの中では「リゼルグ」という偽名だけで通していた。これは珍しいことではないらしく、入団する時に面接官から、名乗る名前を決めるよう求められたことからも分かる。クロスライン。リゼルグにとって口にすることはおろか、二度と他人に呼ばれるとは思わない名前だった。
ある時リゼルグは、クロスラインを名乗るのをやめた。ただ名前を捨てただけではない。リゼルグは、クロスライン家に生を受けた事実を抹消したかったのだ。
「彼らが僕に期待していたのは、クロスラインの人間として振舞うこと。それだけだった」
毎朝鶏の声で目覚め、使う予定が無い剣術の腕を磨き、おかしくなくても笑い、笑顔で市民の手を握る。手を差し出すタイミング、微笑む時の表情、相手の手を握った時の力加減。リゼルグのそれは、どれをとっても完璧だった。
「それでお前は、クロスラインを辞めたのか」
先祖が遺した財産と名門というイメージ。それにかじりついていれば、一生苦労することなく生きていける。出される食事も美味い。花嫁も器量がいい娘の中からより取り見取りだ。
だからリゼルグが家を出ると宣言した時、父や兄が口を揃えて言った。
「お前は、何が不満なんだ」
彼らの言う通りだろう。自分はむしろ、恵まれた生活をしているとリゼルグも思った。父母とて、自分が憎いわけではない。大勢いる兄弟からいじめられることも無かった。望めば全てが与えられていたように思う。事実、リゼルグが何かを手に入れられなくて歯がゆい思いをしたことは、一度も無かった。
だからこそリゼルグは思う。
あの家での生活は、満足できても、幸福では無かったのだ。
「そして家を出る時に、一つだけ条件を出されました」
「それがお前の『死』ってわけか」
クロスラインからはぐれ者が出ることは許さない。たとえ噂でも、勘当された落ちこぼれが出たなどと、人の口に上ることは許さない。
それがリゼルグが最後に聞いた、父の言葉だった。そして、リゼルグが家を出る当日に、彼の死亡診断が下った。本人も診断書の内容を確認している。
リゼルグはあの家で過ごした記憶、その中で共に過ごした家族のこと全てを消し去りたかった。クロスラインという舞台を離れた彼には、既に必要の無いものだったからだ。 舞台の上にいた自分は、あくまで他人に求められて作り上げた「演目」に過ぎない。
「……そんなあなたにクロスラインの名前を利用しろというのは、少々酷ですなぁ」
「僕のことなら、気にしないでください。ただ……。正直、僕も武器商と取引はおろか、実際に会ったことも無いんです。あくまで親族に、そういう付き合いがあったっていうだけですから」
「マジかよ……。ここまで話進めておいて、そりゃねぇぜ」
ミチザネは頬杖をつくように腕を組む。リゼルグは困ったように笑った。
「僕、自分にそういうコネがあるなんて一言も言ってないんだけど……」
「くっそ、なんでこんな話になったんだ」
「全く人騒がせな」
ミチザネが呆れたようにかぶりを振る。
「お前だろ!言ってんじゃねーよ!」
ズルはミチザネの腕を掴んでひねりあげた。
「いた、いたたた!!ご勘弁、ご勘弁!」
イズルとミチザネを見守りながら、リゼルグは再び口を開いた。
「だから、兄貴に会おうと思う」
ミチザネが悲鳴を上げるのとリゼルグが言い終えるのは、ほぼ同時だった。
リゼルグの兄は、スパニッシュで事務所を構えて、武器商の斡旋をしていると言う。クロスライン家の中で一早く時代の変化に気づき、兵器の売買に興味を持った人間だった。工場建設の為の土地開発や、技術者の確保など、製造ラインの管理も請け負っているらしい。
「ふむ、いわゆるコーディネーターって奴ですかね。プロデューサーよりの。商才が無いとできないもんですよ。感心感心」
「は?なんだそりゃ。コーディネーターとかプロデューサーとか。新手の拳銃か」
「それにしてもいいんですか?お言葉ですが、勘当同然のあなたに、お兄さんがお会いしてくれる保障はおありで?」
「分からない。ただ、商談相手としてなら会ってくれると思う」
「ふむ……」
「他に宛てがねーんだ。ガタガタ言ってんじゃねーよ」
「それもそうで」
リゼルグとミチザネの寸劇を見て、再びリゼルグは微笑む。こんな風に笑うことも、あの家にいた時は望むべくも無かった。家の大広場で見物したお芝居も、用意されたダンスの相手も、全ては自分の為の、こしらえものだった。
そして、
もう二度と、クロスラインと名乗ることも、その血筋の人間と会うことが無いと思っていた。