表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/101

第2章 三十二話

 消灯時間が過ぎてきっかり三時間後、イズルは横たえていた体を起こした。上で寝ているリゼルグを起こさないように、そろっと床に足を下ろす。

「…………」

 イズルは静かに扉を開けた。濃い闇に包まれた廊下へ踏み出し、ランプに火を点ける。しかしそれも「こんな時間にランプも点けないで出歩いていれば不審に思われる」と判断してのことであって、人一倍夜目が利くイズルの瞳はランプの明かりなど必要としない。月明かりですら、彼には眩しく感じられる。イズルはそろそろと這うように歩いて、目指す場所へと急いだ。


 咎負いと呼ばれる男がいなくなって、二日経った。隊員一人一人に見張りをつけなければならないほど事態は深刻らしい。何故そんなことをするのかと言えば、未だ何の情報も掴めていないからだ。だから手当たり次第に網を張って、それにめぼしいものがかかるのを待っている。万密院の諜報部は、それほど無能なのだろうか。

 諜報部が無能か、咎負いの背後にいる者がかなりの大物なのか。どちらなのかイズルには分からない。そしてイズルの関心は、そこに無かった。

 今イズルが向かっているのは、万密院の地下にある「黄金の林檎」と呼ばれる場所だった。それが「大陸一」と呼ばれる蔵書を誇る、巨大な書庫室の異称だった。勿論、誰もが入れるような場所ではない。しかしイズルの手には、その部屋の扉を開ける為の鍵があった。入手の経緯はイズルもよく知らない。これはただ、ある人物から託されただけのものなのだ。

 鍵を鍵穴に差し込んでやると、鍵はゆっくり回った。極力音を立てないよう、イズルは静かに目の前にある鉄の扉を開けた。人の呻き声のような音がする扉を開けて、そこにできた僅かな隙間から中へ入った。

「(鉄の扉ね……。『書庫室』につけるようなもんじゃねぇだろ、普通。)」

 イズルがそう心の中で毒づいたのも一瞬だった。彼は部屋に入って、思わず息を呑む。

 部屋の中、三百六十度、自分の背中にある扉を除いて全て本棚だった。一定間隔で設置された下の階へ降りる為の階段や天井を支える支柱の数が、書庫室の広さを物語っている。一生かかっても読みつくせない本の海を見てイズルはうんざりした。

 イズルはポケットに手を突っ込み、しわくちゃになった紙切れを取り出す。波打っている紙の表面には目的の書架の名前が書かれていた。

「(15-10-1か……)」

 まるで番地のようだと思いながら、イズルは十五番の書架を目指した。二十メートルほど歩いて、十五と書かれたプレートが壁にかかっているのを見つける。

「…………」

 イズルはプレートから目を落とした。ぴったり閉じられた青銅の扉がある。十五番の書架はこの扉の奥にあるらしい。いわゆる閉架という奴だろうか。

 とはいえ、その扉も恐るるに足らなかった。イズルはポケットをまさぐって、先ほど使った鍵を取り出す。

 この黄金の林檎に入れる者は万密院の中でも、ごく一部の研究者のみだ。それなのに、その扉を開ける為の「鍵」は、いとも簡単にイズルの手に渡った。

 理由は簡単だ。鍵の方が、「鍵穴に合わせてくれる」からだ。イズルは手に摘んだ鍵の先端を、鍵穴に押し込んだ。すると――鍵穴に合わせて水のように変形した鍵が、鍵穴の奥まで差し込まれる。そのままイズルは、鍵を回した。鍵は一瞬にして形を変え、そのまま固まる。

 この鍵の原理を、イズルは知らないし、興味も無かった。ただ「金属に触れると変形する」という特徴だけ知っていれば、使い方を考えるのは難しく無かった。いちいち鍵を盗んだり合い鍵を作ったりしなくても、いつでもどんな扉でも開けられる。

 エペの中で情報収集や偵察を担うイズルには、重宝するアイテムだった。とはいえ、これは黄金の林檎の中へ入る為に託された物なので、用を終えたら返却しなければならない。手放すのが実に惜しいと思いながらも、イズルは十五番書架への中へと急いだ。


 黄金の林檎が、いわゆる「図書館」と違う所は、万密院に関するあらゆる歴史書や研究所が所蔵されているという所だ。万密院がどのように成立したか、どのような手段を用いて「遺物」を研究し、その力を利用してきたのか、門外不出の記録がここに眠っている。

 では、一番、万密院が隠しておきたい情報は何か?

 それは、どのようにして遺物を手に入れ、それを研究してきたのかということだろう。過去、遺物を手にしてきた者は、何も万密院だけではない。しかし、それを実用化して実質的に西洋の支配者となったのは、万密院だけだった。

 その理由がここにある……。

 普段飄々としているイズルでも、さすがにプレッシャーを感じずにはいられなかった。ここは万密院が築いた、二千年にも及ぶ歴史の墓標が眠る場所なのだ。

 ミスは許されない……。

 イズルはメモに書かれていた「10-1」を目指す。十五番書架の中の「十」という番号が割り振られた書棚の中の、十列目という意味だ。そこにイズルの探す物が、じっと身を潜めている。

 一歩足を踏み出した瞬間だった。十分警戒していたはずなのに――いや、だからなのか、イズルは驚かずにはいられなかった。

「探し物?」

 その声がどこから来たのか分からなくて、イズルは無防備にも

 反射的に、背後を振り返ってしまった。

「一緒に探そうか?」

 そう言う声は、イズルの頭よりも高い位置から降ってくる。声の主は、イズルを見つめていた。

「どうしてこんな所に来たの?」

 その人物は、カーペットを踏みしめる音をかすかに立てながら、イズルに近づいた。そして、程よい距離で立ち止まる。その高い位置にある視線も瞳も、イズルはよく知っている。

 凪が無い海のように穏やかな瞳。敵意を感じさせない柔らかな口元。見守るかのように大人しい瞳。人好きのするような視線。

「どうしてこんな時間に、こんな所へ?」

 その言葉を聞いて、イズルは身構えるのをやめた。だらんとだらしなく腕を下ろす。観念したからなのか、その人物に尾けられていたことに気がつかなかった自分を嗤ってのことなのかは、分からない。

 少なくとも……

 イズルの前に立つリゼルグには、どちらなのかを判断することができなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ