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第二章 三十一話

 メレグは広い屋敷の廊下を横切り、奥まった部屋のドアを開ける。この屋敷が広く感じるのは単に面積があるからではないだろう。ここには人の住んでいる気配がまるでない。オールド・ワンの自室の一歩外に出てしまえば、途端に、家人が越して行った後のような静けさが感じられる。

 屋敷は外から見る限り、空き家のようには見えない。よく手入れされ、壁は常に磨かれ、蔦が壁を這うことは決して無かった。どんな建物でもそうだ。何故か人が去った後の建物というのは、すぐ朽ちていく。だから人が住んでいない空き家とそうでない建物は、外から見て区別がつくものだ。どんなに古い家でも、そこに人が住んでいれば、空き家と違うことが分かる。

「「こんにちは」」

 メレグとオールド・ワンはそう同時に言った。

「…………」

 メレグはオールド・ワンがすることのタイミングの良さに慣れつつあった。メレグは近くにあった壁に寄りかかる。

「彼らがいなくなって、もう一週間近くになりますね」

「ああ」

「心配ではないのですか?」

「……彼らは昨日、ロックイットを出たようだ」

「!」

「ぼくの予想よりも、少し早かった。もっとかかると思ってたよ。あの子達があんなに早く、あそこを出られるとは思わなかった」

「どうして今まで黙って見ていたんです?あそこが、どういう場所か知らないわけではないでしょうに」

「逆さ、『ああいう場所だから』だよ」

 オールド・ワンは思い切り背中を椅子の背凭れに預けて、勢いよく顔を上げた。一瞬だけ、オールド・ワンとメレグの目が合う。

「あの子は、ぼくに言われてカタロスくんの傍にいるのに過ぎない。自分の自由や命がかかっているとなれば、あの子も気が変わるかと思ったんだ。カタロスくんを殺してでも、外に出たがるかも知れないってね。結局あの子は、カタロスくんのことを殺さなかったみたいだけど」

「逆の可能性もあったでしょう。カタロス氏があの子を殺すことも考えられた」

「それはないな。そうなると、彼自身が困る」

「?……どういうことです?言っていることが、よく分かりませんが……」

「なんにせよ、カタロスくんにあの子は殺せないのさ」

「もしあの子がカタロス氏を殺していたら、どうするつもりだったのです?」

「別にどうもしないさ。そこで観察は終了。あの子にカタロスという因子を与えた結果は、ご覧の通りでした……で、おしまいさ」

 オールド・ワンの口ぶりに、メレグは思わず顔中の皮膚が張り詰める思いがした。万密院にいた頃、メレグも同じ事を考えていたものだ。

 囲われた環境。その中にいるモルモットを見つめる自分。そして、どこにも行けないこの無力な観察対象に、様々な物を投げ与えた。メレグの場合、その観察物はモルモットではなく、モルモットと呼ばれる人間だった。

 だから彼女は、万密院での仕事を辞める決意をしたのだ。

 そこにいた連中より、オールド・ワンの方がずっとタチが悪いとメレグは思う。オールド・ワンにとっての実験場は、水槽やフラスコの中ではない。世界全土だ。万密院の研究員達とはスケールが違いすぎる。

 人は知らぬ間に、オールド・ワンの観察対象になる。彼らが偶然だと思っている出来事が、実はオールド・ワンに与えられたもので、彼らの希望や絶望すら、全てオールド・ワンから寄越されたものに過ぎないかも知れないのだ。

 そして、その事実を知らずに死んでいく。自分がこの広い世界で、檻の無い世界で飼われているモルモットであることを知らずに。

「あなたは神にでもなったつもりですか?」

 一度メレグが、そうオールド・ワンに訊いたことがある。険のある声と刺すような瞳で見ても、オールド・ワンに堪えた様子は無かった。

「ぼくは神じゃないよ。ぼくに何かを作り出す力なんて無いからね。命、大陸、天候、季節……。神が生み出したというものを、何一つぼくが作り出すことはできない。せいぜいそれをいじくることくらいしか、僕にはできないのさ」

 オールド・ワンは海図を取り出して、その上でトントンと指を鳴らした。

「次の彼らの行き先は分かってる。ロックイットから出る船はたったの一艘。港に着くまで、半日はかかる」

「そこにも、あなたの『目』達がいるのですね?」

 オールド・ワンはメレグの言葉に答えなかった。しかし、ふっと笑う気配を感じたメレグには、それで十分だった。

「彼らがロックイットに流れ着いたこと、そしてそこから彼らが行く先……。それは全て、あなたの予想通りなのですね?」

 くつくつと笑う声がした。オールド・ワンが振り返らないまま言う。

「さあ……。彼がどこに行き着くかは分かるけど、その先どうなるかまでは見通し切れないよ」

「…………」

「僕だって……どうなるのか、知りたいくらいだ」

 メレグは思う。おそらく「そこ」が、オールド・ワンの、最もタチの悪いところなのだと。

 世界全土はオールド・ワンの用意した見えない柵で囲われ、人々はその中を無自覚に生きている。そして知らぬまま、オールド・ワンが用意したフラスコの中に放り込まれ、彼の気が済むまでそこから出ることができない。その中で何が起こるのかは、全てオールド・ワンの心一つで決まる。

 オールド・ワンには、その力がある。


 しかし、そうした結果どうなるのかは彼自身にも分からず、そして、誰にも保障できないのだ。

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