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第一章 三話

 オールド・ワンは向かいの席を俺に勧めた。俺は謹んで辞退する。オールド・ワンは肩を竦めて、困ったように笑った。どんな生活をしているのか、オールド・ワンはいつ訪ねても自宅に居た。

「君に会って欲しい人がいるんだ。できればその人を、ここに連れて来て欲しいんだ。ただ……」

 珍しく、オールド・ワンは歯切れ悪く言った。

「生きてるかどうか分からなくてね」

 要するに人探しをしろということだろうか。

「そういうのは警察の仕事だろう」

 俺はうるさそうに言った。もっとも、この国の警察などあてにならないが。

「いや、人探をして欲しいってわけじゃないんだよ。居場所だって分かってる。ほら、ここからも『そこ』が見えるんだよ」

 オールド・ワンは窓の方を仰いだ。崖の上に立つこの屋敷の窓からだと、街を一望することができる。

 カーテンが風にそよいでいる。よく手入れされていて新品のようだった。この屋敷にはオールド・ワンしか住んでいないはずだ。これの手入れを、オールド・ワンは一人でしているのだろうか?この長身の男が縮こまりながら家中のカーテンを洗濯している所を想像すると、少し笑えた。

「でね」

 言いながら、オールド・ワンが振り返った。俺は佇まいを直して、真面目くさった表情を作る。その間もオールド・ワンは話を続けた。

「これが地図。迷わないとは思うけど一応」

 そう言ってオールド・ワンが差し出してきたのは、上質紙に印刷された地図と小瓶だった。地図の隅の方に赤いインクで丸印がついている。

「じゃあ、お願いね」

 オールド・ワンの口ぶりは「表の通りでパンを一切れ買ってきてくれ」とでもいうかのようだった。

「待て。地図とこんな小瓶だけで人を探せっていうのか?」

 俺はもう一度、オールド・ワンから渡されたものを確かめる。今、手の中にあるのは、地図と小瓶だけだ。

「相手の名前も分からないのに?」

 そう――人探しだというのに、こいつは人相書きの一つも寄越さなかったのだ。

 俺は半ば喰ってかかるような態度に出て、オールド・ワンを問い詰める。実際、奴の胸倉を掴んでいた。

「大丈夫だよ」

 すんなり言って、オールド・ワンは笑った。自分の胸倉を掴んでいる俺の手に、優しく自分の手を重ねる。

 口元は笑っているが、瞳は湖面のように静かだった。爬虫類のような、感情を見いだせない瞳だ。

「間違えたりなんかしないさ。絶対にね。ぼくが保障する」

 オールド・ワンは、ゆっくりと、見るも鮮やかに微笑んだ。そう、微笑んだと言えるくらい、優しく笑った。

「期待してるよ」


 次の日の夜、俺は早速、オールド・ワンに頼まれた仕事を始めた。時刻は既に日付をまたいでいる。吐く息は白く、白くなった瞬間に消えていく。

「…………」

 建物の構造は頭の中に入っていた。ふと俺は、別れ際のオールド・ワンの顔を思い出す。

『期待してるよ』

 全てを見透かしているような、余裕のある表情だった。「オールド・ワン」という観察者の一族に生を受けたことで、自然と身につけた表情なのだろう。

 あいつは何かを外から眺めることに慣れている。そして、常に自分が安全圏にいることも知っている。連中は生まれつきの「支配者」なのだ。支配者ゆえの余裕が、知らず仕草や表情に出てししまっているのに過ぎない。

 頭でそう分かっていても、気に入らないものは気に入らなかった。あいつの目も、あいつが俺に構うことも。

 周囲を警戒しつつ歩き回っていると、通用口を見つけた。鋳鉄製の堅牢な扉だった。これでさえ「非常口」だというのだから、物々しさたるや尋常ではない。

「(これか……)」

 俺はオールド・ワンに渡されていた小瓶を取り出す。中にはゲル状のものが入っていた。それを扉の鍵穴に押し付けてみる。ゲルの後ろの方を取っ手のような形に捏ねておいたので、それを摘んで捻った。

 ズズズズズ……

 地面を擦るような音がして、すんなり扉が開いた。ゲルは固まっていてびくともしない。ポケットから取り出したマッチで炙ってやると、ゲルはすぐに溶け出した。温度によって固さが変わるらしい。鍵の形に固まったゲルを使うと、扉は簡単に開いた。

 一体、どういう原理なのか。オールド・ワンは、どこでこんなものを……。俺はさっさとゲルを小瓶の中にしまった。

「…………」

 俺は顔をほぼ真上に上げて、建物の頂上を見つめた。

 まるで威圧しているかのようだった。それはソドム全土を監視するかのように聳え立っている。確かに、この頂上からなら街の全景を見渡せるだろう。

 しかし。

 そんなところから街を眺める人間は、いないだろうと思う。

 ここは、ソドムの中で最も堅固なエルガストゥルム刑務所だった。


 地下に続く階段をそっと下りる。灯りらしい灯りは無かったので、マッチの火を頼りに下りていくことにした。エルガストゥルム刑務所の最下層、囚人達に「地獄」と呼ばれる、この牢獄の最も深い場所を目指して。

「会って欲しいのは、その最下層にいる人間さ」

 記憶の中で蘇るオールド・ワンの声は、周囲の薄暗さとは正反対に明るい。

「他にいるはずのない人間だからね。いや、他に人がいるはずが無いと言うべきか」

 オールド・ワン曰く、最下層にいる人物への面会は何びとも許されず、食事や服の替えも、機械の昇降を使って済ませているらしい。監視員すら、そいつに会うことが許されないのだ。

「おかしな話だろう?そんな所に閉じ込められるような凶悪犯なのに、誰もその姿を見て確認したりしないんだ」

 確かに、内部の人間にさえ情報を秘匿されているという状況には疑問を感じる。誰からの監視も受けず、存在を知られているのに姿が見えない男。一体、どんな罪で投獄されたのか。

 不意に階段がなくなり、足元が広い踊り場に変わった。どうやら最下層に辿り着いたらしい。まさに地獄の袋小路だ。

「…………」

 この中にいる人間は、どれ程の罪を犯したのだろう。きっと、この世の誰より強い悪意の持ち主だろう。

 俺はゲルを瓶から取り出して、鉄格子の鍵穴に嵌める。五重になっている扉を、一つ一つ開けていった。

「それでも分かっていることは一つ」

 記憶の中で思い出される、オールド・ワンの声。俺は、最後の一つの扉を押し開けた。

「刑期は一万年」

 オールド・ワンの話では、囚人は牢獄の中でも手錠をしているのだという。手錠なんかしなくても何もできないだろうに。

「…………」

 俺は、黙って周りを見渡した。大人しくしているが、こちらに気付いているようだった。

 格子の向こう。そいつは、その場から動こうとしない。

「どなたですか?」

 先に向こうから声をかけられた。一瞬、呼吸を忘れてしまう。思っていたよりも理性的な口調だった。声の主が続ける。

「灯りをお持ちなら点けていただけませんか?このままでは何も見えないので」

 相手がどんな体術を心得ているのか分からないので、おいそれと火を点すことはできなかった。しかし、囚人が足枷もしているらしいことに気が付いて、俺はようやく火をつける。

 揺れるマッチの炎越しに、相手の顔が窺いしれた。俺の顔を見て、そいつは驚いたように言った。

「……お若いんですね」

 それは俺も同じだった。むしろ、俺にこそ言わせて欲しい。

 相手はまだ若い男だった。櫛などないだろうに、髪はよく手入れされている。指にはささくれ一つない。ずっと光が差さないでいたはずの瞳は、そんなことを微塵も感じさせなかった。

「初めまして。もう随分前から名乗る名前がないので、自分から名乗れないのが心苦しいんですが」

 男は苦笑する。

「……一体誰に頼まれて、こんな所へ来たんです?」

 俺は黙ったまま身構えた。

「いえね。頼まれでもしなければ、こんな所へは来ないでしょう?」

 男は笑った。俺は笑わない。

「どうぞご用件を」

 そう言って男は笑う。飾ることなく、笑う意味すら知らないような、自然な笑みだ。

「どうかしましたか?」

 男のその笑顔は。

 ここでない場所なら自然な笑顔だった。

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