第二章 二十九話
三日後、俺とカタロスは再び老師へ会いに行った。そして誓う。二人で肩を並べて、とてもこれから殺し合う人間同士とは思えないほど、穏やかに宣言する。
「俺は、ゲームに参加する」
「僕は、ゲームに参加します」
連れ立って現れた俺達を見ても、老師に驚いた様子は無く、しれっとしていた。ただ一言だけ、「そうか」と言う。予期していたようでもあるし、意外でもあったような、どうともとれる言葉だ。
ユノーが老師の隣に立ち、ルールを説明する。しかし何を言われても上の空だった。ユノーの流暢な言葉は、完全に俺の頭の遥か上を流れていく。俺はじっと、横目にカタロスを見る。カタロスも同じようだった。
「では、健闘を祈ります。あなた達の願いが、叶わんことを」
お定まりらしい文句を言って、ようやくユノーが静かになる。
三人で老師の部屋を後にした。最初に喋ったきり、老師は何も言わなかった。ただじっと、俺のことを見ていた。その視線から逃げるような足取りで、俺は部屋の外に出る。オールド・ワンのものとは違う、問いかけるような瞳……。隠し立てが一切通じないようなあの瞳が、少し苦手だ。
「期限は、一週間ですからね」
前を歩くユノーが言った。俺達が話を聞いていなかったことに気づいていたかのように、少し呆れた感じの物言いだった。
「老師の前に立って参加表明をする時……大体は相手に寝首をかかれないよう殺気だっているか、怯えているかのどちらかなんですけどね。あなた達みたいに、揃いも揃って葬式中のような顔をして黙っているのは、珍しいですよ」
ユノーはそう言って黙ってしまった。長い長い地下道を、俺達はひたすら黙り込んだまま進んだ。
そして、夜になった。ユノーは件の別室で、俺とカタロスは相変わらずベッドを並べて横になっている。周囲はとても静かだった。自分の呼吸をする音が、何か別の、暗闇に潜む不気味な生き物の息遣いに聞こえる。そして、淡々とカタロスが口を割った。
「僕はずっとエルガストゥルムの中で暮らしていました。何故だと思います?刑期一万年の大悪人なら、殺してしまえと思いませんか?刑期が一万年もあったら、社会に復帰して罪を償うこともできない。そんな人間をどうして生かしておくのかと、思いませんか」
初めて聞いた時から抱いていた疑問をカタロスに問いただされた。
「答えは簡単です。死ねないからですよ。僕には、死ぬことだって許されない。死んでしまえば人生が終わる。けど、同時に苦しみも終わる。僕には、それさえ許されないんです。償う機会も救済も無い人生なんです」
それがカタロスを裁いた人間が出した答えなのだろうか。それが、刑期一万年の男に最も相応しい罰……。
「あなたに牢から連れ出してもらった時、嬉しかった。ずっとこのまま、あの牢の中で暮らしていくと思っていましたから」
地獄の最下層にある闇に訪れた光。それが暗殺なんかやっている、俺のような薄汚い人間だなんて皮肉なものだ。
「でも、いいんです」
カタロスはもう一度笑った。まるで困ったように、優しく。
「本来なら持ち得なかった自由です。少なくとも、僕自身の力で掴んだ自由じゃない。あなたに与えられた自由です。だからそれを奪うのもあなたなら、僕に後悔は無い」
俺は口を開けた。しかし、カタロスが呟く方が一瞬早かった。
「これ以上、僕のせいで誰かが苦しむのはごめんです。僕は……あなたが思っているより、ひどい男なんですよ。これまでだけじゃない。今も僕のせいで苦しんでいる人がいるんです」
それ以上カタロスは何か言おうとして、やめた。
俺が奴の目の前に、手の平をつきつけてやったからだ。
こいつが何をしてきたのかなんて知らない。そしてこいつがいることで、今どんな奴が、どういう目に遭っているのかということも。
「…………」
カタロスは知っているはずだ。以前話している。俺の炎の手の力を。
知っていて目を閉じたのだろう。
カタロスの額に、俺は指の腹を押し付けた。
翌日、俺は「老師」の部屋に向かった。
「…………」
老師は黙っている。ユノーが老師の前に立ち、例の恭しげな挨拶をした。その間も、老師はこちらを見つめて、じっとしていた。
「次にこの部屋に来るのは結果を出した時、だったな」
老師は黙っている。だから、俺から言うことにした。
「これが俺の出した結論……ゲームに参加した『結果』だ。それを、あんたの前に持ってきてやったぜ」
俺は右手を顔の前に差し出す。その手の平の中に、一本のナイフが納まっていた。無駄のない造形美で、刃に映りこんだ老師の顔を照り返す。
そして
ガッ。
鈍い音を一瞬立てて――俺の手の中にあったナイフが、床に突き刺さった。俺のほんの五十センチ前で、刀身を震わせながら床に刺さっている。
「…………」
ユノーはそのナイフが、自分達に向かって投げられると思っていたのだろう。奴は身構え、反面、老師は涼しげな顔をしている。
「要するに、くそったれってことだよ」
俺がそう言うと――俺の背後で大人しくしていたカタロスが一歩前に出た。
「今、俺はお前らを殺そうと思えば殺せた。でも、そうしなかった。まぁ、そのままナイフをお前らに投げたら、俺も死んでたかもしれないけどな」
チラっと、俺は部屋中に視線を走らせる。壁の向こう側……壁に開いた僅かな穴から漏れてくる視線。天井から感じる、微かな息遣い。老師を護衛する衛兵達の存在を感じることができた。
「俺は、殺そうと思えば、いつだってお前らを殺せた。カタロスだってそうだ。俺がその気になれば、いつだってこいつを殺せる」
カタロスは決しても構わないと言った。
そして俺が本気だと知っていて、俺に殺されることを選んだ。
「馬鹿げてるな、こんな遊びは。楽しいか?人殺しをさせて、それを見ることが。そんなものが娯楽になるなんて、よっぽど老師って仕事は退屈なんだろうな」
「貴様……!」
俺の言葉に耐えかねて、ユノーがコートの懐に手を入れる。
「……待て」
それを諌めたのは老師だった。老師はさっきからずっと、こちらを見つめている。その質すような視線にあっても、俺は話を続けた。
「俺はカタロスを殺さない。きっとそんなことをしてまでここを出たいって奴はさ、外に出ても、同じことをするんだろうよ。違うか?老師。あんたは、そんな人間をこの島から出していいのか?」
この島にいられても困るだろうけどな。そう言って笑う俺に、
老師も笑って答えた。
「恐れ入ったな」
老師は頬杖を崩して、椅子に座り直した。
「過去に何度か、お前達のようにゲームを破棄した者がいる。その主張は概ね、今お前が言った通りだ。だが、このわしを、一瞬でも本気で殺そうとした者はおらんかったがな」
老師の言葉を聞いて、俺はもう一度口の端を上げる。老師は全て、お見通しだったと言うことか。
俺が一瞬でも、本気で老師を殺そうとしてナイフを握ったこと。老師が抵抗しなければ、俺は老師にナイフを投げないと決めていたこと……。
全部、見通されていたような気がした。
「よろしい。おぬし達に、この島を出る許可をやろう」
そして……実にあっさりと、老師が言った。
「え……」
カタロスがポロっと呟くと、老師がくすくすと笑う。
「おぬしらはそれを望んでいたのだろう?そして、それを実現する為に、今のような行動に出た。違うか?一体、何を驚く必要がある」
カタロスは完全に固まっている。俺は平静を装っていたが、表情が固まったまま動かなかった。
まさかこうも、あっさり上手くとは思わなかったからだ。
ユノーが口を開く。
「いつかあなた達に話した、かつてこの島に来てゲームに参加した者の話。あれには、続きがあるんです」
徐に口を開いたユノーは、懐から手を引いて語った。
「一緒に流れ着いてきた者を容赦なく撃ち殺した男……。そいつは次の瞬間に、同じように、拳銃で撃ち殺されました。……この『私』の手によってね」
「理由は、今おぬしらが申した通りじゃ。そのような者は、外へ出た所でまた同じような悪さをするのに決まっておる。わしが望むのは、そのようなことではない。おぬしらのように、あえて共存の道を選ぶ者達にこそ、外に出る権利を与えたい。わしは、極限状態においてそのような選択ができる者であれば……ヘリテージのことも、口外しないと信じることができる」
老師は言っていた。なかなかこの島から出られない者もいれば、簡単にこの島を出てしまう者もいると。
「最短記録だな。ゲームに参加して、僅か三日で脱出の権利を得た者は」
老師はそう言って笑った。
「そして、おめでとう。おぬしらが、もうこの島に捕われることもない。このわしが作ったルールにもだ」
この島から出ることができる……。つまり自由……。ようやくそう実感することができて、俺は前にいるカタロスの背中に視線を移す。それと、殆ど同時だった。
「やっ……」
息を呑んだような、小さな声がした。
「やりましたね!」
言うやいなや、カタロスは振り返って俺に抱きついてきた。
「何すんだよ、離れろ……!」
俺は必死で、カタロスの胸を押しのけようとした。しかしカタロスは、俺の頭を両腕で抱えて叫び続ける。
「僕達、帰れるんですよね!二人で一緒に!」
二人で一緒に……。
そうか、そうだよな……。
気が緩んだ俺とはしゃぐカタロスに対して、ユノーが呆れたように言った。
「それにしても、どうして『二人で一緒に島を出る』っていう結論を出したんですか?前にここを出た時は、とてもあなた達がそんなことを考えるようには見えませんでしたけどね。一体、今日ここへ来るまでの間に何があったんです?」
「…………」
俺は逃げている。逃げ続けている。ルーチェのことから、今もずっと。
そして昨日の夜、カタロスから殺してもいいと言われた時……俺は思った。
また俺は、逃げるのだろうかと。
ルーチェのことから、カタロスのことから。ここでカタロスを殺して島を出て、そして俺は、カタロスのことを忘れようとするのだろうか。
カタロスの両腕に頭をうずめたまま思い出す。昨日の夜のことを。
「僕は……あなたが思っているより、ひどい男なんですよ。これまでだけじゃない。今も僕のせいで苦しんでいる人がいるんです」
それは、お前も同じだろ。
お前が死んでも、自分が過去にしたことを無かったことになんか、できないぜ。
それは、俺もお前も同じだから。
逃げたり死んだりしたら終わらせてくれるほど、世の中、甘くないんだよ。
ユノーがもう一度、俺に言う。
「一体どうして、二人で島を出ようという気になったんですか?」
俺はようやく腕を放したカタロスを押しのけて、ユノーの顔を見ながら言った。
「理由を考えなきゃいけないほど、めんどくさいことじゃねぇだろ。別に」