第二章 二十八話
老師は言った。
「まずは三日後――。島を出たいと思っている人間を連れて、わしの前に再び来るがよい。そして、二人揃ってわしの前で誓うのだ。これから島からの脱出をかけて殺し合うと。その時がゲーム開始の合図となる」
ユノーが言う。
「前はね、三日後なんて猶予は無かったんですよ。でもいつだったか……あなた達と同じようにこの島に流れ着いた者がありました。二人とも、この島を出たがったんです。二人の男を見て老師は言いました。この島を出たいか?と。二人は何のためらいも無く頷いて、そして老師は――」
この島を出ることを望んでいる人間を、誰か一人殺せ。
「老師がそう言った瞬間です。片方の男が倒れた。撃ち込まれた銃弾の痛みに悶える暇も無く即死……。生き残った方の男は、老師にゲームのルールを伝えられた瞬間、相方の男を撃ち殺したんです。『この島を出たいか』と訊かれて頷いた時と同じように、何のためらいもなく」
老師は言った。人によりけりだが、実に簡単にこの島を出てしまう者もいると。
「それからなんです。三日という猶予ができたのは。必ず、お互いに『ゲームに参加する』という覚悟がある者同士でゲームをさせる……。そうさせる為に老師が考えなさった措置なんです」
ふと、周囲の据えた臭いが薄らぐのを感じた。出口が近いようだ。
「さて、地上に出ましたね」
ユノーの後ろを歩いて、賓客を失っただだっ広いコロシアムを眺め回す。ふと、ここに来た時に見つけた、刃こぼれのある剣先が目の前を転がっていることに気づく。
「ゲームの開催が決まった後、どこで参加者達が争うと思いますか?大概ここなんですよ」
ゲームのルールには「無関係な一般市民を巻き込まないこと」ともある。そうなると自然、ここが決闘の場所になるのだそうだ。聳える石壁、障害物が無く見通しのよい空間……。たしかに、うってつけの場所だろう。俺は足元にある剣先を拾う。埃と錆びた血に塗れていても……つい最近折れたものなのだと分かる。
「結構いるんですよ。この島に漂着してくる人間がね。月に一度くらいでしょうか。大概、捨てられてきた人間のようです。島流し、あるいは流刑……」
島流し、あるいは流刑……。俺達をここに放り込んだ奴は、何をしたかったんだろう?
口封じをしたいのなら、殺せばいい。こんな所に連れて来る暇があったんだ。それくらい訳も無かっただろう。
俺達をどこかに閉じ込めておくのが目的なんだろうか。けれど、ここには「ゲーム」がある。俺達がずっとこの街にいるという保障は無い。もっともゲームに勝った所で、渦潮とも例えられる海流に囲まれたこの島から、大陸に辿り着けるかどうかは別の話だ。
何より、閉じ込めておく理由が分からない。
俺達を殺さずに閉じ込めたのは、俺達両方、あるいはどちらかを、生かしておく必要があったからじゃないのか?
「僕達をここに放り込んだ人は、何が目的だったんでしょう?」
カタロスも同じことを考えていたようだ。
「少なくともその人に、今すぐ僕達を殺す気は無かった。けれど、ゲームのせいでどちらか死ぬかも知れないし、もしかすると、両方とも他の参加者と争って死ぬかも知れません」
そう、その通りだ。生かしておきたいのに、こんな所に放り込むなんて矛盾している。
「何より、閉じ込めた奴らが全く接触してこないことが一番謎だ」
閉じ込めておいて放置している理由……。上手くそれを説明できる理屈が思い浮かばない。一体、そいつは何がしたいんだ?
どんな目的があるにせよ、俺達に「干渉」できなきゃ意味が無いんじゃないか?
「もし、俺達を閉じ込めた奴に生かしておかなきゃいけない理由があったにしろ、その後、音沙汰無いってのはどういうことなんだ?これじゃ、殺したのと何も変わらない。むしろ殺した方が、俺達が他の人間の手に渡る心配もなくなって、やっぱり殺した方がいいっていう結論になる」
少なくとも、万密院の息がかかった教会を出入りできるほどの人間だ。人一人殺したところで、いくらでも隠蔽ができるだろう。
ただ閉じ込めるだけ。しかも、自分の手の届かない場所に。
何故、そんなことをする必要があるんだろう?
俺はカタロスの横顔に視線を寄越す。時々忘れそうになるが、刑期一万年の男だ。それほどの罪を犯して、それでも生かされている。
何故だろう……。
「僕達をここに連れてきて人……本当はここに来るつもりだったのかも知れませんね。でも、何かの理由で、それができなくなった」
「…………」
勿論、答えは出なかった。誰が何の為に、俺達をこの島へ置き去りにしたのか。ふと、オールド・ワンの顔が思い浮かぶ。それと同時に、あいつの言葉も。
「だってさ、見てるだけじゃなくて、実際にお話した方が色んなことが分かるだろう?」
あいつの顔を思い出す時、大抵笑顔を浮かべている。そしてこれも、あいつの言葉だ。
「でもね、『見る』ってことも大事なんだよ。変化を与えた時、そこで何が起こるのか……。観察することも大事なことなのさ」
オールド・ワンの顔が思い出される。新しいおもちゃを与えられた子どものように、自分より力の弱い生き物を好きにする子どものように、にやりと笑う、奴の笑顔が。
ユノーの家に戻った俺とカタロスはどうしたのか?
いたって、いつも通りだった。夕食を食べて、明日の昼食の仕込みをして床につく。そしてユノーが眠ったのを確認してから、俺とカタロスは、隣り合ったベッドの上で天井を見つめた。
「……どう思う?」
俺から先に、口をきいた。カタロスが振り返る。
「…………」
カタロスは何も言わない。ただこちらを見つめるだけだった。
あまりにまっすぐ見つめてくるその視線から、逃げたくなる。俺は視線を泳がせて、他所を見た。
「ここから出るには、どうしても生贄が必要らしいな」
もっとも、外に出してくれるだけ有難いのかも知れない。ヘリテージの存在を外に知られるのは老師やこの島の住人にとってまずいはずだ。この島の生活はヘリテージで成り立っているのだから。
万密院が躍起になって探すネフェリムの遺産。それがあると知れたら、どうなることか。エペにいた俺だから分かる。ネフェリムの遺産を回収し、研究して技術を発展させる。連中の目的はたった一つだ。けれど、手段を選ばない。どんな手でも使うだろう。考えつく限りの悪行を以てしても、連中の行動はそれより更に罪深い。
「……あなたは、この島から出たいと思いますか?」
ようやくカタロスが口を割った。
どう答えよう……。
ここでの答えが、この先の運命を決めるような気がする。
「……ふん」
運命という無責任な言葉が自分の頭を掠めたことに気づいて、俺は噴き出しそうになる。
運命。それは既に用意されている、決まった道を辿る為の轍。
確かにそうだろう。生まれつく地、生まれ持った能力、自分を産んだ親。それは選べないし、変えることもできない。そして、生きている限り、自分ではどうすることもできない状況だって起きるのだ。
たとえば今のような、元の生活に戻る為だけに他人を殺さなければならない状況とか。
「ここから出たい。でも、お前を殺してもいいものかどうか迷う」
現実的な話をすれば……俺はこいつを保護しなければいけない。依頼者であるオールド・ワンからそう頼まれているからだ。カタロスに手を出してしまえば契約は打ち切り、むしろ、慰謝料を取られる可能性だってある。場合によっては命を差し出すことも、この世界では珍しくない。もっとも、オールド・ワン相手じゃそれも無いだろうが。俺が死ねば、奴の言う「見る」ことができなくなるからだ。
「……まるで、絶対に僕を殺せるみたいな言い方ですね」
俺の口から当然のように出た言葉を聞いて、カタロスは笑う。
笑っている。
思わず、俺はぞっとした。
自分を殺そうとしている人間が隣にいる。そして、いつでも殺される状態にある。そう知っていてお前は笑うのか。
俺は思い出す。一年半前の、いつかの夜を。
俺に頭を触れられても――ルーチェは大人しくしていた。あの時ルーチェは。
「ねぇ、もしもなんですけど……」
カタロスが口を開く。聞きたくないと、反射的に思う。けれど俺は、そのまま、カタロスの言葉を聞いてしまった。
カタロスが言う。
「殺しても、構わないんですよ」
僕のことを。