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第二章 二十六話

 カタロスが手を触れてから、閃光は一瞬で部屋の中を走り去った。

 去って行ってしまった。

 何も起こらない。

「…………?」

 俺は、細めた瞳にかぶさっている瞼を上げる。カタロスの指先はプロジェクタに触れたままだ。瞼の裏に焼きついた閃光に目が眩む。

「おい……」

 俺がそう言うのとほぼ同時、カタロスの隣に居たユノーが笑った。

「これは、これは……」

 失礼と言って、ユノーはカタロスの手の甲に触る。

「…………」

 手の平を返し、ためつすがめつ眺めて、ユノーは飽きたように(しかし丁寧に)カタロスの手から指を離した。

「なるほどね……」

 言葉とは裏腹に、ユノーは「信じられない」という表情をしている。奴は眉をひそめていたが、自分を見ているカタロスの視線に気づいて、にこりと笑った。明らかに業務用の笑顔だ。まぁこいつの場合、業務用のものしか見たことがないが。

「ごく稀にですが、いらっしゃるんですよ……。正直、私にもプロジェクタの詳細な原理は分からないのですが、多くの人がプロジェクタに『干渉される』ことはできても、その逆、プロジェクタに『干渉する』ことはできません。電波とラジオの関係に置き換えてもらってもいい。我々は、アンテナは持っている。けれど、プロジェクタが送られてくるものを受信して、それを映し出すことしかできないのです。簡単に言えば、プロジェクタとはそういう仕組みなのです。ですが、稀に、電波を通さなかったり、意図的に遮断したりすることのできる人間がいます。体質だったり、生まれつきや訓練で身に着けた能力だったり……。

 ユノーはカタロスの顔をまじまじと見つめる。

「カタロスさんは興味深い素質をお持ちのようですね」

 ユノーは身を翻した。そのまま奴が例のエレベータの前へ向かうので、慌てて俺達もその足音を追いかける。ユノーに続いてエレベータの中に乗り込んだ。

「……さて、街に戻りましょうか」

 階数の書かれたボタンを押したユノーがそう言い終えるのと同時に、エレベータの扉がゆっくりと閉まった。


 遮る物の無い平原の上を横切る。並んだ俺とカタロスの前を、ユノーが歩く。その間、ユノーは何も言わなかった。

「ユノーさん、どうしちゃったんでしょう?」

 カタロスが口元を俺の耳に寄せた。

「さあな……」

 ユノーは実にあっさりと塔から出た。カタロスの過去を調べられなかったというのに、それを追究しないまま、街に引き返そうとしている。約半時間ぶりの沈黙をユノーが破ったのは、街の入り口に設えられた門の下をくぐった時だった。

「あなた方は家に戻っていてください」

 たったその一言を残して、ユノーは俺達を置き去りにどこかへ消えた。

「……とりあえず家に戻るか」

「ええ」

 商業区である七番街を抜けて、八番街を目指す。本当にここは、ロックイットは、一つの「街」だった。

 流通があって、それを生み出す人間が居て、それを守る為の統治がある。追いかけっこをする小さな子どもが俺の横を通りすがる。ここに居ついた者同士の間で生まれた子どもだろうか。

 路傍の店に立つ店主は若い。彼とやり取りをしている主婦は、もう五十前後だろう。彼女は、あるいは彼女の祖先達は、一体何を思って、この誰にも見放された場所に来たのだろう。

「『老後』って、こんな感じなんですかね」

 ふと、カタロスが呟いた。俺は顔を上げる。

「ここって、完全に自給自足ですよね。見た目は街だけど、ここの中身は『村』に近い。外に出ることはできないし、刺激的な娯楽も無い。けれど、みんな、『安心』して生活している」

「確かに、俺の住んでた場所とは大違いだな」

 売春宿、麻薬、ギャンブル……。ソドムにあった闇と、そこに沸いているうじ虫ども。俺もその中にいる同じ穴の狢だ。どんな理由をつけられて――理由なんかなくても――いつ命を奪われるか分からない世界。

「……年を取ったら、人里離れた静かな場所で隠居生活をしたいって言う人達の気持ち、ちょっとだけ、僕には分かります」

 とは言え、カタロスも今までそれに似たような生活をしていた。地獄と呼ばれる場所の最下層で。たった一人で。

「年を取ったら静かな場所で」とカタロスは言う。年を取ったカタロスは、人里離れた静かな場所で、また、一人きりになるのだろうか?

 ついでに三日分の食料を買い込んで、俺とカタロスはユノーの家に戻った。ユノーが戻ってきたのは二人で芋を湯がいていた時だった。

「お二人とも、ちょっとよろしいですか?」

 包丁を持ったカタロスは背後を振り返る。そこにコートを着たまま突っ立っているユノーが、鍋の火を消すよう俺に言った。

「お二人にお出でいただきたい場所があるのです。それも今すぐ。可及的速やかに」

 俺とカタロスはどちらともなく顔を見合わせる。追い立てるようなユノーの声が、その間に割って入った。

「今夜は冷えます。外出の準備は念入りに」


 ロックイットの夜は早い。夕食の支度時にもなれば、外を歩くのは他の番街地から来た仕事帰りの男達ばかりだ。

「これからあなた達を、『老師』のいらっしゃる場所へご案内します」

 俺達の三歩先を歩きながらユノーが言う。

「老師?」

 鸚鵡返しに訊ねる俺の声にユノーが答えた。

「老師は、このロックイットの支配をされているお方です」

 ユノーの言葉にひっかかりを感じているとカタロスが訊ねた。それはまさしく、俺が疑問を感じる部分を、ユノーのセリフから切り取ったものだった。

「支配……?」

 ロックイットには議会がある。民主主義と言われる議会制度だ。首相と呼ばれる統治者と議員がこの街に存在している。

「首相はあくまで、老師の代理に過ぎません。首相は老師の言葉に従い、議会を動かしています。老師は多忙の身ゆえ、執政を他の者に託しているのです」

「で、これからその『老師』様の所に行くってわけか。……どうやって?」

 ユノーが立ち止まる。俺とカタロスは、目の前にある物を見下ろした。刃、だった。表面に錆びの浮いた折れた剣の刃先が、足元に落ちている。

 すっかり日も姿を隠した暗闇の中――俺達は、コロシアムの中央に居た。

「以前お話した通り、この街はいくつかの区画に分かれています。一番街に司法、二番街に行政、三番街に立法をそれぞれ司る機関、五番街は学術研究区。六番街は工業区、七番街は商業区で、八番街と九番街が居住区になっています。そして、街の中で一番小さいこの四番街が――コロシアム」

 コロシアムは、昔この島に居たという王が建てたものらしい。王が奴隷同士、奴隷や虎などを対戦させて楽しんだのも今は昔、現在殆ど使われることがない施設だ。殆ど……。

 俺はそっと、足元にある剣を拾い上げた。錆びに変わった血のついている刃。王がいた時代に遡れるほど古いものではない。

「さ、行きましょうか」

 ぬけぬけと言い、ユノーは施設の奥に見える選手入場口へ向かった。ユノーの白い人指し指と親指の間に、小さな鍵が納まっている。それが尋常なものでないことは、鍵が僅かに――けれどずっと――発光していることから分かる。ユノーの足が「選手登録所」の前で立ち止まった。

「ここは四番街。かつて、この街の娯楽の象徴であった血の匂いが眠る場所」

 登録所の奥にある扉の鍵穴に、ユノーの持つ鍵の足がピタリと嵌った。

「そしてその下に、老師のおわす零番街がある」

「言われ無き血を流した者の涙が染み込む大地の下に」そう続けてユノーが言う頃には、目の前の扉が――誰も取っ手を引いていないのに――開いていた。三人で扉の奥に待っていた通路の上を進む。

「何だって老師って奴は、こんな場所に住んでるんだ?」

 正確には、こんな場所の奥にだが。

「何でも、この奥にある場所が一番『濃い』のだそうで」

「?」

「理由はもう一つあります。他の街は、敵襲に遭った時に崩壊させられる可能性がある。特に行政区、研究区、商業区……。これらは完膚なきまでに破壊されるか、占領されるかする可能性が高い。しかし、かつてコロシアムだったただの廃墟に、敵軍がわざわざ攻め入るような理由はない」

 自分達の足音が反響を繰り返す細い通路の中を歩いていると、頭がおかしくなりそうだった。明かりもユノーが手に持った松明だけ。

 俺はいつか、エルガストゥルムへ侵入した時のことを思い出す。あの時は、底の見えない階下をライターの光を頼りに降りていった。いつまでも、目的地に辿り着けないような気がしたまま……。

 ユノーが立ち止まった先に扉があった。鉄製だった。ユノーが取っ手に手をかけると、石畳を擦るような音が悲痛そうにギィギィと、声を立てる。

「失礼します――」

 そう挨拶するユノーの後ろに、俺とカタロスが続いた。


 この地を支配していた王の血は、既に絶えたという。

 本当にそうだろうか――?

 目の前の光景は現実離れしていた。黄金の飾りがついたシャンデリア。部屋中の床を覆いつくす、真っ赤なビロード。表面に宝石がちりばめられたワイングラス。部屋の広さは、十五メートル四方と言ったところだ。

 入り口から更に十分歩いて、ようやくこの「老師」の部屋に辿り着いた。

 宝石が浮いたワイングラスを絡め取っている指――その上にある顔を、俺は見上げた。玉座に座る「老師」は物見高いその場所から、こちらを見つめる。

「ご苦労じゃった。なるほど、初めて見る顔じゃの」

「老師」は俺達を見つめている。見つめて、笑っている。ユノーから聞いていた。その人物は「老師」と呼ばれているのだと。

「老師」はハリのある白い肌の上に、真っ赤な礼装を着込んでいる。ツヤのある黒髪と同じ色をした瞳。

 どう見ても二十代か三十代前半……。百人が百人、美しいと認める美貌。その美貌は、口元に浮かべた笑みによって更に引き立つ。自信ありげに輝く瞳とつり上がった眉が、不思議と「老師」の威厳を感じさせた。

 老師は、彼女は――紅を引いた唇を優雅に動かす。

「ようこそ、わしの、秘密の部屋へ」

 まるで空き家に作った隠れ家をこっそり友人に見せる子どものような顔をして――監獄の街を支配する、絶世の美女が笑った。

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