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第1章 十九話

 宿舎で眠っていたリゼルグは、トイレから帰る途中でアンリと遭遇した。アンリは外に出ていたらしく、軍服を着たままだった。リゼルグは声をかけたものかどうか躊躇ったが、その間にすれ違ってしまう。

「…………」

 躊躇ったお陰で出そこなった言葉を呑みこみ、リゼルグはそのまま自室に向かた。

「ただいま」

 寝っ転がりながら本を読んでいるイズルに一言投げかけて、リゼルグは部屋の扉を閉めた。二人は同室だった。

「今、廊下でアンリとすれ違ったよ」

「へえ……こんな時間までアンリ先生が外を出歩いてるなんて珍しいな」

「でしょ?」

 イズルがアンリのことを先生と呼ぶ真意はよく分からないが、確かにアンリなら、教鞭を持って黒板の前に立つ姿が似合うような気がする、とリゼルグは思う。アンリの模範的な生活態度が、イズルに先生呼ばわりさせているのだろう。

 アンリは必ず門限の前に帰宅して、決まった時間に眠って、いつも同じ時間に起きるらしい。消灯時間もとっくに過ぎた、今の時間まで出歩いていることは、珍しかった。

「先生は『王子様』の所に居たのかも知れないな」

 言ってから本を枕の横に放り出し、イズルは仰向けになる。そしてそのまま、頭の下に両手を敷いた。腕をくの字にして楽な体勢をとる。

 イズルの言う王子様――アインシュテルンのことは、イズルとリゼルグも知っていた。彼らも、一度はヴィジトゥールの候補に挙がったからだ。イズルは「他人の世話を見るのなんて俺には向かない」、リゼルグは「どちらかと言うと剣を振るうことの方が得意ですので」という理由で、それぞれ断った。

「そうかもね。でも、ちょっと意外かな」

 リゼルグが含み笑いをするので、イズルは訝りながら訊ねた。

「何が?」

「だってさ……アンリって悪い人じゃないけど、あまり人とコミュニケーションをとろうとしないじゃない?だからさ、ずっと部屋の中に閉じ込められてるっていう『アインシュテルン』って人と、上手くやってけるのかなぁって思ってたんだけど」

 リゼルグの疑問はもっともだった。アンリは、任務が無い時は巌の如く押し黙って、途端に、かすみがかったように存在感をなくしてしまう男だ。正直、「仕事」以外の時の彼がどう過ごしているかなど、イズルにも想像できない。

「確かにな。まぁ、でも、分からねーよ。ずっと部屋に閉じ込められているから『気難しくてロクに人と会話できないような奴』かも知れないが、『閉じ込められているから世間知らずで、騙されることを知らないお人好し』っていう可能性もある。先生だって、別に『しない』ってだけで、コミュニケーションができないってわけじゃないだろ。それは俺達がよく知ってる」

 確かに。リゼルグは心の中でイズルの言葉に同意した。食堂でたまたま見かけて話かけても「はい」や「特に」としか答えないアンリだが、任務の時、特に「今回の作戦行動について」語る時はよく喋る。それも必要最低限の言葉で分かりやすく。

 分かりやすく短い言葉で話せるのは、話し方が上手い証拠だ。むしろ、アンリの会話の能力は高いと言える。

 けれどアンリは、会話することに魅力を感じないのだ。いや、彼の場合は「必要性」を感じないのかも知れない。他者との他愛の無い会話に「理由」を見いだせないのだ。

 悪い人間ではない……。そう頭で分かっていても、リゼルグはアンリに声をかける時は躊躇ってしまう。だから、彼が「王子様」の所に長年通っているということが不思議に思えていた。アンリに気の利いた冗談を言ったり、面白い話ができるとは考えづらい。

「とにかく、先生が王子様に気に入られているのは確かだろ。だからもう二度と、俺達にお鉢が回ってくることもない。いいことだろ、それは」

「そうなんだけどね」

 イズルとアンリも聞かされてはいた。「王子」のお気に召さない人間は、二度と生きて地の砂を踏むことがかなわないのだと。そこまでして王子が重宝される理由までは聞かされなかったが、なんとなく二人は察している。

「ネフェリム関連、といったところだろうな。何が起きてるんだか知らねーけど、機密事項扱いってことは、ネフェリムの何かを知っているか、遺物の解明に必要な知識を持っているか、あるいは……」

 実験体にされているか。リゼルグもイズルも、思い浮かべるだけで口にはしなかった。しかし、二人の表情は曇っている。

 万密院の中で人体実験がされているという話を直接聞いたことはない。しかし、実用化を狙うなら、人体を使った実験が必ず必要になる。

 薬の場合それは「治験」と呼ばれるが――研究所の中で行われていることは、もっと殺伐としたものなのではないかと、リゼルグは考えていた。だから、存在すらも隠されているのではないかと……。リゼルグは薄く笑いながら言った。

「僕は王子様って言うより、『眠り姫』だと思うけどね。一つ所で眠り続ける自分を起こして、外の世界に連れ出してくれる人間を待っている……。そんな感じなんじゃないかって思うんだけど」

 しかしいつになっても、王子様――彼を外に連れ出す存在など現れはしないだろう。姫はずっと、いばらに包まれた冷たい城の中で眠り続けるのだ。

 イズルは寝返りを打って横になった。そして、入口に立ったままのリゼルグを見遣って言う。

「確かにそっちの方がしっくりくるな。王子っつったって、別にそいつの迎えを待ってる奴なんて、どこにもいないだろうしな」

 一瞬言い淀み、逡巡するように瞳を伏せてイズルは続ける。

「姫っていうのは王子の迎えを待つものらしいが……。この世のどこかには、いつまでたってもお迎えが来ないお姫様もいれば、誰からも必要とされていない王子様っていうのもいるんだろう」

「……かもね」

「迎えが来ないお姫様ってのも惨めだが、誰からも求められていない王子様ってのも、哀れなもんだな」

 イズルの言葉を聞いて、リゼルグは広い城の中で佇む王子の姿を思い浮かべた。

 豪奢な食堂。立派なダイニングテーブル。この世のものとは思えないほど美味い食事が並べてあり、テーブルの上座には王子が座っている。

 けれどそこには、王子の他に誰もいない。

 長いダイニングテーブルにも、王子以外に着席しているものはいない。

 そうやって王子は一人、食事をしている。

「…………」

 黙って想像にひたるリゼルグの意識をゆすったのは、イズルの声だった。

「で、どうなんだよ。そこん所は。リゼルグ『王子様』?」

イズルの呼びかけにリゼルグは――矢張り、薄く微笑みながら答えた。

「さあ、どうだろうね。僕は迎えを待つお姫様に会ったこともなければ、誰かを迎えに行こうと思ったことも無いから」


 リゼルグは上流貴族、グロワリアと呼ばれる階級の人間だった。今はその地位を捨てて、市民階層に身を置いている。リゼルグは自ら、生まれながらに賜った地位を捨てた。

「一応、俺は死んだことになってるから厄介なこともないよ。リゼルグだって本当の名前じゃない」

 イズルはエペの中で唯一、エペに入る前のリゼルグと付き合いがある人物だった。初めて二人が出会ったのは、まだリゼルグが「リゼルグ」と名乗る前のことだった。

「……知ってるさ」

 イズルはリゼルグと初めて出会った時のことを思い出す。随分昔のことのようでいて、しかし、思っていたほど時の流れは早くなかった。二人が初めて会った時から、まだ二年ほどしか経っていない。

 それに……二人の間に付き合いがあった時間も、長くは無かった。振り返ってみれば――自分達は先の長い人生の中で、ほんの一時居合わせただけだったのに過ぎないのだと感じる。

 そして、エペの中で再会するとは思ってもみなかった。

 イズルはリゼルグと過ごした過去の出来事をぽつぽつと思い出す。暗がりから浮かび上がるように、思い出達はひっそりと蘇ってきた。既に背景がモノクロがかったように霞んで見える記憶達だが、どれも二年以内出来事のはずだった。

 結構、最近のことだったんだな……。

 イズルはそう思いながら瞳を伏せて、再び寝返りを打つ。

「……ま、その話はもういいや」

 イズルは回想を打ち消す為にやや投げやりに言う。そこでようやく、リゼルグは扉の前から背中を離して部屋の中央に入ってきた。イズルはなおも続けた。

「知ってるか?一年半前、モルゲンシュタインっていう結構デカい教会が襲撃される事件があった」

 その言葉を聞いてリゼルグは足を止める。

「それで今回の咎負い騒ぎだ。一年半前の事件はかなり周到な用意がされていて、教会が爆破されるまで、誰もこの計画に気づかなかった。そして咎負いの脱獄も、奴がここを出るまで誰も気づくことができなかった」

 敵ながら見事な事の運び方だった。誰に準備を気づかれることも無ければ、今もなお、その尻尾をつかませていないのだから。

 そう……。敵はかなり万密院の内部情報に詳しい人間だ。咎負いのことも知っているとなれば、かなり情報入手経路も限られてくる。あるいは

「いるんだろう、この中に。裏切り者が」

 リゼルグは進みかけた足を止めたまま、イズルを見つめた。イズルはこちらに背を向けているのに――冷ややかな視線で、見つめられているような感じがした。

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