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第1章 十八話

 アンリが初めてアインスに会ったのは三年前のことになる。

「初めて見る顔だね」

 初めて会った時――アンリは矢張り、部屋の中でベッドに伏せるアインスと相対していた。

 アインスの視線はどこか、「興味が無い」というか、どうでもよさそうな、投げやりな感じがあった。彼は薄い唇を開く。

「色んな人がここに来て、色んな人が、すぐに僕に会いに来るのをやめていったよ」

 そうなのだと聞かされていた。アンリは黙っている。まるで話が聞こえていないかのように、眉一つ動かさない。その様子を見て、アインスはきゅっと口を結んだ。しかし、すぐに目を細めて続けた。

「だから君も、やめたくなったらいつでも言って。一日中部屋の中で寝てるだけの奴の話し相手なんて、つまらないだろうから」

 それだけ言うと、アインスは早々と身を伏せって、頭から毛布をかぶってしまった。そして、布団の中からくぐもった声を出す。

「今日はもう帰ってもいいよ。『今日はとりあえず顔合わせだけすればいい』って言われてるんでしょ?」

 何故そのことを?アンリはそう訊ねるつもりだったが、向こうが先手を打った。

「いつものことだから」

 アンリは「失礼します」と言い、確実に自分が見えていないであろうアインスに向かって慇懃なお辞儀をし、そのまま退室した。


 世代交代によって発生する変異と差分の観察。アインスはそうしたお題目の為に、離れに作られた部屋の中で生活している。アインスは「交配することで引き継がれる特性、逆に、生まれてくる子どもの代では失われてしまった特徴」などを、継続的に観察する為の標本なのだという。

 一体いつからアインス一族の観察がなされているのか不明だが、彼は丁重に取り扱われているようだった。アインスの状態は週に一度、専属の研究者によって「観察」されている。

 一方で――観察を続けていく内に、いくつかの個体はストレスで死に絶えていったという。一つ所に閉じ込めて自由を奪い、常に他人に観察されるという環境に耐えられなかったからだ。

 また、研究を続けていくうちに「他者や異文化と接した際に、個体がどのような反応を示すのか」という疑問が研究者の中で上がった。「異質な物との出会い」が個体にどのような影響を及ぼすのか、彼らは知りたがった。

 要は化学反応だ。「金属に酸素を加えるとどうなるのか」というのを考えるのと同じレベルで、研究者達はその疑問に思い至った。そして、それを観察する為の人間が必要になったという。

 アンリは、もう何人と選ばれたか分からない「ビジトゥール」の一人だ。それは「訪問客」を意味し、定期的なアインスの「話し相手」の役割を担っている。

 アインスはその存在自体が機密事項である為、ビジトゥールの条件に適合する者は少なかった。少なくとも、下心が無い人間でなければならない。口は海底の貝より深く閉ざすことを求められる。

 また、アインス自身にも問題があり、なかなかビジトゥールが固定することは無かった。

「常に人が張り付いて標本を観察することは不可能だ。これまでの結果から、それが個体へのストレスとなり、死期を早める原因になることが分かっている。しかし、だからと言って見張りを置かないわけにはいかない。この二律背反を解決するには――見張りと標本を同一の存在にしなければならない」ということに、研究者達は思い至ったという。

 アンリは、アインスにどのような実験がアインスに施されているのかを知らない。しかし、アインスが願うだけで花瓶が割れたり、花瓶に生けた花が発火したりすることを思えば、それも薄々と知ることができた。

「どうしたの?考え事?」

 回想するアンリを現実に引き戻したのはアインスの声だった。ベッドの淵に腰かけているアンリの顔を、寝そべりながら覗きこんで笑っている。

「珍しいね。今の君、隙だらけだったよ」

 意識を目の前の現実に照準を合わせたアンリを、アインスの紫色の瞳が見つめていた。

 この目だ。

 この目が、花瓶に生けてあった花を灰燼にしたのだ。

「ええ。少し、考え事を」

 アインスの能力は、彼が気にいらない人間を一瞬で葬ることができる。証拠が残らないから罪を隠蔽することも容易い。

 アインスはそうやって、派遣されてきた気に入らないビジトゥールを、文字通り抹消していったのだ。

「ひどいな……。せっかくこうやって部屋に来てくれたのに、別のことを考えてたの?」

「いいえ、あなたのことを考えていました」

 即座に切り返された答えに、アインスの言葉が詰まった。しかしからかうように、再び口を割る。

「今更君のことを疑ったりはしないけどさ……。やっぱり気になる?どうして僕が手を触れずに物を壊せるのかとか、部屋の鍵を開けられるのかとか……」

「それができるのに、何故ここから出ようとしないのか」

 そっとケーキにナイフを入れるような、穏やかながら切れ味の良い口調だった。アインスは押し黙る。

 アンリがビジトゥールの役割を引き受けたのは、単に「任務だから」というのが最大の理由だった。しかしそれだけではない。彼には一つ、気になっていることがあった。

 これだけの能力を持ちながら、何故アインスが脱走しないのかということだ。

「簡単だよ。僕の体のどこかに、時限式の爆弾が埋め込まれているんだ。一定期間カウントをリセットしないでいると爆発するし、破壊しても爆発する。僕の能力は魔法じゃないからね。物質を『消す』ことはできないんだ。もし爆弾を見つけて爆破しようとすれば死んでしまう」

 あいつらは賢い連中だよ。そう言ってアインスは仰向けになった。不健康に薄い胸板が天井を向く。

「どうしてそんなことを訊いたの?仕事に関係無いことを君が訊ねてくるのって、珍しくない?」

 確かに、アインスとの会話に限らず、アンリが仕事以外の話題を口にすることは、殆ど無かった。

「腑に落ちないと思ったからです。私には、あなたの能力とあなたが置かれている状況が矛盾しているように見えました」

「で、今の話を聞いて納得したの?」

「はい」

「やっぱりなぁ……。そうだよね」

 仰向いたまま、アインスは胸を震わせて含み笑いをする。アンリはそこで、ようやくアインスの方を振り返った。

「そうだ、と申しますと?」

「君が個人的なことを訊いてくるなんて珍しいなぁと思ったんだけど……。やっぱり君は、仕事の心配をしてただけなんだね」

 それは……まさしくアインスの言う通りだった。任務完遂に障害となる可能性は、全て排除しなければならない。

 しかし――もしかするとアインスは、先の一言でアンリから個人的な感情を見いだせることを期待していたのかも知れない。

「いいんだよ、別に。本当のことなんだろう?」

 ごろん、と九十度横を向いて、つまりアンリの方に体を横たえて、アインスは笑った。

「だから君は『いい』んだ。ここに来た他の連中は、おべっかを使って僕の機嫌を取ろうとしたり、僕が刃向ったりしないように威圧的な態度だったり……そんな連中ばかりでうんざりだったよ」

 万密院がよこした、アインスの相手をさせる為だけの、役割を演じる人形達。そして、アインスがそんな人形遊びにも飽きた結果、彼らが生きてこの部屋を出ることは、二度と無かったのだ。

「本当に君は正直だよ。おまけに欲も無い。だから僕は……何の気兼ねなく、こうして話ができる」

 そう言って、アインスは黙った。かなり長い間そのまま沈黙を保っていたので、一体何事かと、再びアンリが振り返った時――アインスは、そのままの格好で寝息を立てていた。

 それが、二人が初めて会って、三か月後の出来事だった。


 翌日、アンリは約束通りアインスの部屋を訪ねた。アインスは上半身を起こして、本を読んでいた。本は以前、頼まれてアンリが持ち寄ったものだった。アインスはアンリの姿を認めて笑う。

「おはよう」

 まだ弱々しい朝日の光が差し込む中、アンリはアインスの髪を梳いてやった。髪はいつも手入れが行き届いている。毎日、給仕の連中が面倒を見てやっているのだろう。体も湯につかっているのか、タオルで拭いているのか、常に清潔だった。

 それからは、お互いに口も聞かずに過ごした。アンリは本を読んで過ごし、アインスはぼんやりと手の平の中の水時計を見つめている。これは、いつか「何か面白い物はないか?」と訊かれたアンリが持ってきたものだった。

「ねぇ……」

 けだるく無為な時間を過ごす中、アインスが思い出したように口を割った。

「僕にはその、友達っていうのがいたことないんだけど……」

 そう言うアインスだが、むしろ彼には家族すらいない。彼らは、アインスが生まれた時には死んでいたか、はたまた別の場所で「観察」を受けている。

「どういう感じなんだろう?みんな、友達と一緒にいる時は、どんな風に過ごすんだろうね?」

 アンリは読みかけの本を開いたままアインスを見つめる。

「ははは、アンリに訊いてもしょうがないか。アンリも、友達がいなさそうだし」

 確かに――自分に適切な答えを返せるとは、アンリも思っていなかった。級友や仲間と呼べる人間はいる。ただしそれは、所属する組織の中にいる間だけだ。いわゆる「プライベート」と呼べる時間の中で、そんな風に慕える人間がアンリにはいない。

「上の人に『友達がほしいです』って言えば、連れてきてくれるかな?」

 と、アインスは言った。アンリは「友達というのは肩書を指すものではなく、私的な感情によって共にいることを望む人間のことを指すのですよ」と、訂正してやった。するとアインスは、

「知ってるよ」

 とだけ、短く返した。

 短く返して、アンリを見ながら笑った。

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