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第1章 十三話

 イズルとリゼルグが第一武隊指揮官室を出た時、時刻は午後の四時を過ぎていた。イズルはため息をつく。そのままうっかりあくびもする。イズルの小さなあくびを見て、隣に並ぶリゼルグが微笑んだ。イズルはぷいと、顎をリゼルグから背けながら言う。

「……眠れてないんだよ、最近」

「僕も」

 リゼルグは前を向いたまま答えた。司令棟と呼ばれる、指揮官居住区である特別な宿舎の廊下の奥を、二人は歩いた。漂白されたような白さの床と壁に挟まれて、居心地の悪い思いがする。

「咎負い、か」

 天井裏に居座る監視者のせいで寝不足に痛む頭をさすりながら、けだるそうにイズルが言った。リゼルグは懐っこい笑顔を浮かべたまま言う。

「エルガストゥルムの最下層……聞いたことはあるけど、どんな人なんだろう。その咎負いっていう人」

「さあな」

 エルガストゥルム刑務所と万密院の関係は一般に公開されていない。エルガストゥルムと呼ばれる監獄は咎負いの為に作られた、とイズル達は聞いている。

 彼一人だけの為に、それをカモフラージュする為に、王宮一つに匹敵する大きさの刑務所が作られたのだ。

 そこに凶悪な犯罪者達が実際に収容されてはいる。が、それらは全てフェイクなのだ。咎負いの存在を隠す為に。木を隠すのなら森の中だ。

 もっとも、イズルもエペに入隊するまで咎負いの存在を知らなかった。

「上の連中は、何から咎負いの存在を隠そうとしているんだろうな。『史上稀に見る凶悪犯であるから厳重に管理すべし、何人たりとも近づくべからずっていうおふれが出ているだけで、内部の人間ですら実態が掴めやしない」

 二人は宿舎を出て、中庭に入った。そのまま生垣に囲まれた遊歩道の上を歩く。夕日に染め上げられた黄色いバラが、そこかしこに生えている。夕日によって全てが赤く見えていた。

「それに、決定的に分からないことがある」

 不意にイズル声のトーンが落ちた。リゼルグは瞳だけ動かして、隣にいるイズルの様子を伺う。

「咎負いがいる。共犯者がいる。そうだとしてもだ。咎負いと共犯者は、どうやって連絡をとっていたんだ?咎負いがどうやって外部の人間に助けを求めたのか、どうして共犯者はその声を聞くことができたのか」

 イズルは立ち止まった。立ち止まって、リゼルグの方を振り返らずにそのまま続ける。

「内通者がいるとしか思えない。それも、刑務所の構造や規則に詳しい人間だろう。何時に食事があっていつ清掃屋が入るのか、そうしたことも全部把握している人間だ。脱獄を成功させる為には勿論、少しでも脱獄の発覚を遅らせたいはずだからな。これほどの人間を連れ出すのだから、準備も念入りだったはず」

 リゼルグは黙ってイズルの話を聞いている。その見た目に似合わない口調と冷静さで淡々と喋る少年の言葉の続きを、戸惑いの表情の表示で待ち続けた。

 イズルは時々こんな風に、その場に居ながら、周囲の全てを置き去りにして思考を始める。

 その意志がどこを向いているのか、全く分からない瞳。今このままイズルから目を離したら、どこかへ行って、そのまま帰ってこないような気がする。猫のように鈴の音だけ残して、そのままどこかに行ってしまうような。

「依然、内通者の存在を疑わざるを得ないことは確かだな」

「……つまり、僕達の中に裏切り者がいると?」

 ようやくリゼルグはそれだけ返した。遅れてきたリゼルグの返事を訝りつつ、イズルは再び正面を向く。

「そうかも知れないっていう話だ。咎負いとの接点が少ない俺達エペの中に紛れ込んでいる可能性は、低いと思うけどな」

「…………」

「何にしたって、重要なのは共犯者だ。もし咎負いに行く宛てがないのなら、今も共犯者と一緒にいる可能性が高い。もし共犯者を捕まえられれば、二人まとめてお縄につけさせることもできるだろう」

「……ふふ」

 隣人の声を聞いてイズルが振り返った先――リゼルグが肩を震わせて笑っていた。

「……何だよ」

「いや、旦那とかお縄につくとかさ、一体どこの国の言葉なんだろうって」

 イズルはうるさそうに答える。

「いいだろ別に。好きで使ってんだ」

「うん」

 リゼルグは、横からイズルの顔を覗きこんだ。覗きこんだイズルの顔は、いつの間にか先ほどまでの冷静さが姿を消して、歳相応らしい少年の顔つきになっていた。いつものイズルだった。

「いいんだ別に。その方がイズルらしいと思う」

 そう言うリゼルグの顔には、いつもの懐っこい笑顔が浮かんでいた。「はぁ?」と嘯いて訝しむイズルを置いて、リゼルグは前に踏み出す。

「それでいいと思うよ」

 そのリゼルグの言葉にイズルは一言だけ返す。

「……わけが分かんねーや」

 そう言って、イズルはリゼルグの背中を仕方無しに追いかけた。慣れたように。


 第一武隊指揮官室に残っていたのはゼーノとアンリだけだった。他の三人が部屋の前を去ったことを確認して、アンリはおもむろに口を開く。

「よろしかったのですか。任務を任されたのがエスペリオで」

「不服なのか?……珍しいな、お前が異議を申し立てるなんて」

 ゼーノはアンリの物珍しい態度に惹かれたように、そっとアンリの方を見遣る。アンリは相変わらず鉄面皮で、その表情に揺らぎは無い。

「エスペリオの特筆すべき戦闘技能に不足はございません。しかし精神面において、至らない点が多々あるのではないかと」

「確かに……そうだろう。現にルーチェは、ターゲットの顔を確認しただけで名乗りをあげてきた。放った刺客が殺された状況などを聞くこともなしにだ。そして必ず成功させると、そう断言している」

「洞察による不完全な戦略の補完。それを越える実力がエスペリオにはあります。しかしそれは、彼が単独で行動する場合においてのみ有効です。他の人間と組ませた場合、必ず彼の行動は足並みを乱す」

「確かにそうだ。しかし、それがお前ならば、問題無いだろう?」

 ゼーノに言われて、アンリは押し黙る。薄い眼鏡のレンズの奥でゼーノの真意を図っているようだった。

 ルーチェが任務を志願してきた時――ゼーノは一つだけ条件をつけた。

「いいだろう。ただし条件がある。この任務には、必ず二人一組で当たれ」

 ゼーノは組んだ指で口元を隠しながら言う。

「相手は『彼』だ。ルーチェは俺達の前でこそ抑えていたものの、今のあいつは、相当頭に血がのぼっている。『彼』を目の前にすれば、到底冷静ではいられないだろう。だからこそ俺は、お前を宛てがった。お前なら、もしルーチェが前後の見境をなくしても、全力で止めてくれるだろう」

「…………」

「お前なら、ルーチェを殺してでも止めてくれる」

 刺すようなゼーノを視線を受けて、アンリは瞳を閉じた。

「了解」

 いつも通り粛々とした返事をして、アンリは自分の腹の前で右腕を折り曲げて敬礼をする。ゼーノは「くれぐれも……」と言い添えた。

「直接ターゲットとルーチェを接触させないようにしてくれ。表向きの行動はお前主導で動くよう、俺からルーチェに伝えておく」

「かしこまりました」

 ゼーノは指を組み直して椅子に深く座った。アンリは声を忘れた鳥のように黙り、しかし、大地を見下ろす鷲のように落ち着いている。

「……どうした?まだ何か訊きたいことがあるのか?」

 ゼーノに問われて、アンリは間髪を入れずに口を割る。至極丁寧だが、遠慮の無い物言いだった。

「隊長はエスペリオに拘っていらっしゃるようにお見受けします。今回の任命もそうです。確実に任務を成功させたいのであれば、私とイズルあたりを組ませた方がよろしかったはず。ここまで面倒なことをしてまで、エスペリオの要求を聞き入れた理由は何なのです?」

 何か理由がおありですかと言って、それきりアンリは石のように黙った。

「……拘っているわけではないさ」

 ゼーノは席を立った。そのまま背後にあった窓辺に寄る。中庭をイズルとリゼルグが横切って行く所が見えた。夕刻の日差しは強く、思わずゼーノは目を眇める。

「拘っているのではない……。ただ、恐れているだけだ」

 ゼーノは思い出す。焼けただれ崩れていく教会の中、そこへ駆け付けたゼーノは確かに見たのだ。

 血だまりの中で息絶えた死体。部屋の内部を囲むように折り重なった死体の輪の中で、こちらを振り返るルーチェが笑う。その膝元には、あの少年が――『彼』が居た。

 何故ルーチェが笑うのか、ゼーノにははっきり分かった。

 そして、

 分かったから恐ろしかった。

「今回、お前にはルーチェと二人で行動してもらう。そしてターゲットは、あろうことか『彼』だ」

 彼……。それは幾度となくゼーノが繰り返している言葉だった。そう口にする度に、ゼーノは彼の視線を思い出す。あの焼け付くような、くすぶるような金色の瞳――。その視線が、鮮明に思い出される。

「お前には話しておこう。お前も知っているだろう?一年半前に起きた賊の襲撃で、教会一つが消し墨になった事件を」

 直にその惨状を目にしたわけでは無いが、無論その話は、当時エペの中にいたアンリの耳にも届いていた。

「今から俺が語る話は極めて断片的なものだ、と先に言っておく。ただ……」

 たとえそれが全てでは無いにしても十分なのだ。俺がルーチェに畏怖する理由を知ることに。

 そうゼーノが告げても、アンリは表情を変えなかった。そしてゼーノも、もうアンリのことを見ていない。その意識は既に、焼け落ちる教会の温度を思い出していて、駆け付けた時に体中から噴き出していた汗の感触と、暑さで朦朧とする意識の片隅で見つけたものを、思い出すともなく思い出している。

 いや、それは思い出すなどといった甘い響きのあるものではなく――体に受けた古傷をなぞるように、後悔をするように、暗澹たるものだった。

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