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「リビングデッドは夢へ見る」へ続く為だけの話 0話

※※※※※※※※

 旅へ出るには切符が必要だ。しかし、その前に行く場所がある。俺は駅とは真逆の方へ向かった。やがて街の喧騒も途絶え、一本の広い道を行く。相変わらず馬鹿でかい家だ。太陽の光に目をやられながら、全体を見上げてみる。まさしく聳え立つという言葉が相応しいオールド・ワンの屋敷。門は開いており、ドアも鍵がかかっていなかった。ノックをするまでもない。

 不用心だろうか?いや、きっとあいつは知っていたのだ。俺がここへ来ることを。このままで済ますはずがないこと、黙って去るはずがないことを。だから開けておいたのだ。いつもそうだった。俺が訪ねる時は必ず開いている。いまさら驚きもしない。

 訊かなければ。階段を上り、通路の奥を目指す。奥の部屋から、一筋の光が漏れている。ドアが開いているのだ。俺はあいつを追いつめるつもりでいたが、逆に招かれている。誘いに乗ってやろうじゃないか。どの道、そうするかしないのだから。

 もちろんノックはしない。部屋のドアを開けると、カウチに揺すられるオールド・ワンの姿があった。待ちわびたように、椅子にふんぞり返って頬杖をついている。「どうぞ」と言われたが、言われるまでもなく、俺は席についた。テーブルの上に茶菓子が置かれている。ポットの中の紅茶は淹れたばかりのようだ。湯気を立てて、カップの中を満たしていく。

 紅茶を用意した後も、オールド・ワンは黙っていた。俺の方から口を割るのを待っているようだった。望み通りにしてやろう。俺は努めて静かに言った。

「どこまで知ってたんだお前は」

 俺がこいつの仕事を受け、カタロスを脱獄させてから今に至るまで。どれが、お前の手引きによるもので、どこまでがお前の筋書き通りだったのか。

「全てさ。状況はいつでも把握していたんだよ。現在進行形でね。ただ、全てが僕の予想通りに進んだわけじゃなかったさ。さすがに未来のことまでは分からないよ。僕は、神ではないからね」

「お前は知ってたのか、カタロスが死にたがっていること」

「もちろん」

「俺なら、あいつを殺せたことも」

「もちろん」

 本人は言わないが、俺は確信する。

 わざとだ。こいつが、カタロスを助ける役を俺に選んだのは、意図的なものだ。

「……それでどうだ?お前の望んだ通りになったか?カタロスがいなくなった現状に、お前は満足か?」

 こうなることを、オールド・ワンは予想していたのだろうか。

「何か思い違いをしているね」

 オールド・ワンは口をつけていたカップをテーブルに置く。

「もう一度言うけど、僕は神じゃない。君達を支配するわけでもなければ、救うわけでもない。それは神の仕事だ。僕は、誰かに『こうなってほしい』なんて、これっぽっちも思ったことがないよ」

 誰にも何も望まない。それがオールド・ワンの回答だった。

「僕は道を用意するだけさ。あるいは、チェス盤をね。その上をどう歩くは君達の自由さ。そうだろ?それに、君は僕の依頼を断ることも出来たわけだ。カタロス君と共に行くことを選んだのは、他でもない君だよ」

「お前は、カタロスが死ぬような未来を予測した上で、俺に依頼を出したのか」

「可能性としてはありえるっていうレベルの話だね。それは、他の可能性と等しく存在している」

「俺にはお前が何を考えているのか、さっぱり分からないな」

「そもそも、そういう考え方が間違ってるんだよ。君が『僕を理解する必要は無い』。君はただ、目の前の道をどう行くのか決めるだけでいい。そのまままっすぐ行くか、引き返すか、新しい道を探すか……。僕が何を考えているのか、どうしてそんな道を用意したのかなんて、どうでもいいんだよ。ただ、好きにすればいいのさ」

 わけが分からなくなってきた。正直、オールド・ワンの言っていることの半分も理解できない。自分は何も望まない?どうでもいい?好きにしろ?

 じゃあ、お前は、何の為にこんなことをしたんだ。

「僕はただ、君達のしていることを見ているだけで十分なんだよ」

「観察すること自体が目的、ということか」

 だから、結果がどう転んでも構わないというのか。それは逆に……無情なのではないか。誰が死のうが苛まれようが、生きようが幸福になろうが、

 こいつにとっては全て同じだということになる。どんな出来事も同列だ。

「それなりの付き合いのつもりだったが、なるほどな。俺は、お前のことを何も分かっていなかったようだ。今のでようやく、その尻尾くらいは掴めた気がするぜ」

 オールド・ワンは何も言わない。しかし奴は、唇で緩やかなアーチを作った。まるで下弦の月のような。これから闇に籠っていく月のように、その顔は白い。

「だから質問を変える。どうだったんだ?お前にとって、今回の結果は……満足か?」

 感想を訊ねるくらいなら構わないだろう。それくらいなら答えられるはずだ。そう思った。思ったが、訊ねたのを後悔するくらい、怖気を覚えた。

「最高の演目だったよ」

 それは初めて聞く声だった。聞くだけでうなされるような、耳にした者を容赦なく地獄へ引きずり込むような、恐ろしい声だった。俺は瞬きするのを、声を出すことを忘れる。

 凄惨な笑みだった。オールド・ワンは口の両端が裂けた狼のように笑い、目は一心に光を求める虫のようにぬらぬらと輝いている。恍惚に浸り、そのまま身を焼かれるのも構わないというような表情だった。

 人間のそんな表情を見たのは初めてだった。

「マギの時代が終わる……。それはつまり、君が地上の、数百年先の未来を捻じ曲げてしまったということさ。もちろん、いずれ起こるとは思っていたさ。いつか、マギに変わる新しいパラダイムが生まれるだろうと。でも、こんなに早く変化がやってくるとは、僕も思ってなかったのさ。それを君がやってのけてしまうということも」

 オールド・ワンは身を乗り出す。腰がテーブルにぶつかり、カップやポットが床に転がって中身をぶちまけるのも構わず、奴は俺の手を両手で握った。

「金も時間も、愛さえ君のものだ。君が望むなら、僕は何だってする。是非お礼がしたい。こんなこと、千年、二千年生きていたって、なかなかお目にかかれるものじゃない。さあ、何でも口にしてごらん。もう一度言うよ。僕は、その為なら何だってできる」

 オールド・ワンの目は本気だった。

だからこそ、こいつは正気じゃないと確信した。俺は無言でかぶりを振った。そして、カタロスの手を振り払う。

「そうだな……。確かにお前は、神なんかじゃなさそうだ」

 では何だろう。

 神でなければ悪魔か。カタロスの言う通り、もし神が存在するというのなら、悪魔が居てもおかしくないだろう。

イブが蛇にそそのかされて知恵の実に手を伸ばしたように、カタロスはオールド・ワンの声に誘われるまま、二度と開かないはずの扉を開いてしまった。俺もまた、カタロスの手を取ってしまった。そして、カタロスも俺も、失ってしまった。

なのに傷だけが残ってしまった。必要なものはみんな消えてしまったのに、傷だけが。

「何でもするって言ったよな」

 珍しく、俺は笑顔を見せて言った。

「さよならだ、オールド・ワン。俺の名前は忘れてくれ。二度と呼ぶことはないはずだ」

 オールド・ワンに食ってかかった所で何も返ってこない。衝動に任せて一発ぶん殴ることもできただろう。多分、こいつは俺の動きが読めていてもかわさないだろう。へらへら笑いながら、切れた唇についた血を拭うだろう。

 でも、これ以上、お前と関わるのはごめんだ。これ以上、お前に俺の未来を捻じ曲げられるのはごめんだ。

「さっさと新しいおもちゃを見つけてくれ。お前には、そうする為の金も時間も、いくらでもあるだろ」

 オールド・ワンは黙って俺の話を聞いていたが、やがて薄く唇を開いた。

「いくらでも、ね……」

「そうさ……」そう呟いたオールド・ワンの目は……どういうことか、まるで目の中に炎が灯ったように、赤く紅潮しているように見えた。

 幻覚……?いや、暗い紫色の瞳が、徐々に赤く染め上がっていくのを、俺は目の当たりにした。赤く燃える瞳が、血で濡れたように光る。

「本当に君には恐れ入る。僕にそこまで言い切った人間は初めてだよ。それに、君の言うことはもっともだ。別に急ぐ必要は無い。『それは、また、いつかでいい』」

 そこまで言うと、オールド・ワンは、優しく笑った。

「オールド・ワンの名に誓って、君に報いよう。約束するよ……。必ず、君の望みは叶うと」

 殆ど独り言のようだった。言いながら、オールド・ワンは腕をまっすぐ、床と平行に伸ばす。その手の平は、俺に向けられていた。

「けれど、今はまだ、その時でない」

「それまではお休み」確かにそう聞こえた。しかし、確かめようがなかった。目の前に幕を下ろされたように、視界が一瞬で闇の中に埋まる。思わず手を伸ばすが、虚しく空を掻くだけだった。

そして、声は出なかった。爪先から膝へと、順に体の感覚を失う。自分が立っているのか、膝をついて倒れているのかすら分からない。ただ、声だけが聞こえてくる。耳を通して聞いているのか、頭に直接響いてくるのか、それも分からないが、はっきりと。

「大丈夫、時間はいくらでもあるさ。僕も、そして、これからは君も……」

 それっきりだった。もう何も聞こえてこなかった。まるで夢だったかのように全て消え去り、辺り一面、何もなかった。いや、逆かも知れない。あるいは、俺が夢を見ているのかも知れない。そう、俺の方こそ夢の中にいるのだ。二度と覚めない夢の中に……。

 一体、何が起きたのだろう。何も分からなかった。ここには距離や時間、空間さえ存在しない。当然、未来も無かった。人としての俺は、もう死んだと言っていい。

 オールド・ワンは「今はその時でない」と言った。ならば、いつ?いつになったら時は来るのだろう。こちらから「時」へ向かうのか、あるいは「時」の方から俺を訪ねてくるのか。距離も時間も無いこの場所で、そんなことができるのだろうか?


 そこにずっと俺はいる。この真っ暗闇の中に。あの日からずっと……。

 こうして俺は、俺でなくなり、次にこの夢から目覚めた時には、『彼』になった。

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